4-6 夜を歩いた先
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夜だったけど、空は晴れている。月明かりが周囲を照らして、実りの季節を前にした畑がよく見えた。
時折、闇夜豹が「このまま進んで」などと言ってどこかへ離れていく。
その身のこなしは、普通の人間のそれを超えている。身体の動きが機敏で、すばしっこい。
僕が身体能力に理力の作用を加えた時と同程度は力がありそうだ。もちろん、僕たちの元から離れる闇夜豹の動きが全力なわけもなく、本気で力くらべをしたら、さて、とちらが勝つか。
闇夜豹が離れていくと、しばらく火炎はそちらを見ている。僕も眺めるけど、何も見えない。見ようと思えば理力で見えるけど、それはどこか申し訳なくて、遠慮した。
そんな僕とは裏腹に、火炎がつぶやくことには、どうも闇夜豹は近くにいる夜盗の類を退けているらしい。
ほんの少しの時間で背後から駆け足で彼女が戻ってくる。少しだけ血の匂いがするけど、彼女自身も、火炎も気づいているだろう。でも何も言わない。
僕もこの永という国のことを知っているつもりだったけど、山を降りてここまでやってくると、知らなかったこともいくつかある。
都市の賑やかさも知らなかったし、こうして闇夜に紛れて人を襲うものがいることも知らなかった。
夜という時間のせいか、そんなことをつらつらと考えてしまう。
村を一つ通り抜け、さらに先へ進み、夜明けが近づいた頃に、やはり闇夜豹が離れていく。
「このまままっすぐ行ったところにある村だから。先に行くわよ」
今度は夜盗を退治するのではなく、純粋に日差しを避けたいらしい。それもそうだ。彼女が本当に日光に骨まで焼かれるとなると、こんなところで時間を無駄にはできないだろう。
返事も聞かずに彼女は駈け去ってしまった。
「意外にマメに働いていたな」火炎が歩きながら言う。「信用できる奴かもしれん」
「僕は始めから信用していたけどね」
「お前はそういう奴だよ。まあ、そういうところが俺を気持ちよくいさせてくれる」
どういうところだろう?
そのうちに日差しが上がって、周囲が照らし出される。畑には緑が溢れている。
空腹を感じ出す頃に、村のようなところに辿りついた。そう、村かどうか怪しい場所だ。
まず人気がない。次に廃屋がやけに多い。そもそも建物の数が少なかった。
誰もいないので、もしかしたらここではないのかもしれない、この先にちゃんとした村があるのでは? などと考えた時、ぐっと火炎が僕の腕を掴んだ。
「あそこじゃないか?」
そう言って彼が指差す先には、比較的、整っている家があり、ピタッと全ての戸が閉じている。雨戸さえも、しまっていた。
なるほど、怪しいかもしれない。
火炎が先にそちらへ行き、堂々と玄関の戸を開けた。
すると、その向こうに幕が垂れている。火炎がこちらを振り向き、ニヤッと笑う。二人で中に入ると、かすかな明かりがあり、目が順応するのに時間が必要だった。
「そちらさんが例の二人かな?」
薄暗い室内に、座っている人がいる。しわがれた声を発したのもその人物らしい。
火炎が見下ろすようにしているので、僕は先に膝を折った。
「呪術師の方を探しているのです。闇夜豹に案内を頼みましたが、彼女は陽の光の下を歩けないという。彼女は夜のうちに先に行き、追ってきました。ここで間違いありませんか?」
やっと闇に目が慣れた。
老人は年齢は八十に近いだろう。極めて高齢と言える。
でも雰囲気、迫力のようなものには鋭いものがある。耄碌しているようでもない。
その老人が僕の方を見て、かすかに微笑んだ。口元が小さく動く程度だ。
「闇夜豹から聞いていますよ。名は知らないとか。渡水鳥、そして、雷士。どうやらあなたが渡水鳥、ですね?」
「ええ。立っている彼が雷士です。無礼をお許しください」
「闇夜豹はどこへ行った?」
憮然とした様子で火炎が訊ねると、老人は彼を見上げて、穏やかな様子で答える。
「奥で休んでいます。あの娘は昼間に休むのです。もう何年もそれを続けています」
「あんたがあいつをそういう体にしたんじゃないのか?」
「まさに。その点では、私も責任を感じています」
鼻を鳴らして、やっと火炎も腰を下ろした。
「失礼ですが、ご老人、お名前をお伺いしてよろしいですか?」
「私は、戒円と言います。あとは死ぬだけの老人ですよ」
「この村には他にどなたが?」
「誰もいません。みな、国中に散りました。私の面倒は、闇夜豹が見てくれています」
意外に優しい娘じゃないか。
「村人に呪術を施したのか?」
つっけんどんに火炎が急にそんなことを言い出したので、僕は反射的に火炎を見て、次に戒円を見た。戒円は穏やかな様子で、首を振った。
「村人は呪術とは関係ない」
「ではなぜ、闇夜豹に呪術を施したんだ? 自分の世話をさせるためか?」
戒円が答えようとした。
しかしそれより先に、奥の部屋から当の闇夜豹が入ってきた。
「先生を悪く言わないで」
「事実を確認したいだけだ」火炎は薄暗がりでもそうとわかる怒りを瞳に浮かべている。「俺からすれば、呪術師は人間の尊厳を損なう、非道な人間だからな」
「先生はそんなんじゃない!」
すっと、戒円の横に闇夜豹が座った。
「私は望んで、呪術を受けたのよ。両親の仇を討つためにね」
戒円がかすかに顔を俯かせる。でも闇夜豹は口を止めなかった。
「私が幼い時、両親は夜盗に殺された。私も殺される寸前だった。それを先生が助けてくれた。私は血まみれでズタズタの両親の姿を前にして、先生に頼んだの。奴らを倒す力をください、って。先生は反対したけど、私は、無理を言って、力を授けてもらった」
それで、と火炎が先を促す。
「私は呪術の力で、夜盗を皆殺しにした。十人をまとめてね。村人は私に恐怖して、逃げて行った。誰もここには残らなかった。それがこの村の真実よ」
「なるほど」
火炎の返事はそれだけだった。
「何よ、驚かないの? 怖くないの?」
「まぁ」顎を撫でつつ、火炎はうっすらと笑ったようだ。「俺も似たようなものさ」
僕も火炎の過去のことはよく知らない。逃げているようだけど、焦っているようではない。自由で、苛烈なところもあるけど、変に穏やかなのだ。
今も、さっきまでの峻烈な光が鳴りを潜めて、柔らかさが表に出ている。
これには闇夜豹も困惑したようだが、もう何も言わない。
「戒円殿の呪術の力をお借りしたいのですが」
僕がそういうと、老人は簡単に頷いた。
「良いでしょう、この老人にできることなら、やらせていただきます」
あまりにもあっさりと返事があったので、僕は逆に不安になった。この老人に対して、僕は何も見返りを提示していない。それなのに、ここまで快く引き受ける理由は何だろう?
いつの間にか闇夜豹の片手が老人の手に触れていたが、老人はそっとそれを外した。
闇夜豹が少しだけ顔を曇らせた気がした。
(続く)