4-4 盗賊
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部屋に戻っても火炎はイライラしているように見えたけど、部屋に用意していた保存食を食べると、落ち着いたようだった。
もう寝る、と早々に言い出し、自分の布団に大の字になると、そのまま眠り始めた。
僕もやることがないので、自分の布団に横になり、明かりを消した。窓からのかすかな明かりと、どこか遠くからの喧騒。
うとうとしていた時に、そのかすかな音がした。
僕の意識は眠りに入る寸前で、どういうわけか、いつになく鋭敏だったらしい。
音と言っても、まるで髪の毛が一本落ちた、という程度なのだ。
意識が一瞬で覚醒したけど、もちろん、眠ったふりを続ける。呼吸を誤魔化すのに苦労する。
相手は……一人か。
全く足音も気配もなく、いきなり輪郭が闇から滲み出したようだった。真っ黒い装束を着ていて、闇が人の形をとっている、とでも言えるだろうか。
それが猫のように、こちらへやってくるのを、理力をわずかに活性化させ、その流れの察知で把握した。
あと二歩、一歩、今!
僕は跳ね起きつつ相手に足払いをかけたが、身軽に上に飛び上がって避けられた。
でもその隙に枕元の剣を手に取り、鞘走らせている。
相手が着地したのと同時に、その喉元に僕の剣の切っ先が触れんばかりに伸びていた。
お互いが黙る。
目で見てわかったけど、男じゃない。女だった。しかもまだ若い。
焦げ臭い匂いが急に鼻に届いた。侵入してきた女が何かを僕の足元に転がした。チラッと見たときには、煙がいきなり広がり、何も見えなくなった。
僕が口元を押さえて壁際へ下がったのは、安全のためと、呼吸のためだ。
ただ、そんなことを考えない奴もいるらしく、煙の中でドタバタと何かがぶつかり合い、僕は冷静に鞘に剣を戻し、急いで窓と玄関の戸を開けた。
煙が消えていくと、果たして部屋には、火炎が女に抱きついて、倒れている光景があった。
「……何かいやらしいこと、考えている?」
思わず訊ねる僕に、火炎は怒りの火の灯った瞳を向けてくる。失言だったらしい。
女は一言も言葉を発さないが、雰囲気ではだいぶ苦しそうだ。火炎が大きな体でのしかかり、ほとんど押しつぶされている。
ぐっと鈍い音ともに、女の体から力が抜けた。
そうなってやっと火炎が姿勢を正し、女を解放したけど、相手は昏倒している。
「いつの間に入ってきやがった?」
「それよりも火炎はいつ起きたんだ?」
「何かが燃える匂いがした時だ、火事かと思った」
つまりあの煙の中で、女に飛びついたわけだ。機転が利くとか、大胆とか、そういう言葉で表現できる感じでもない。言ってしまえば、野生の本能か。
倒れたままの女を放っておくわけにもいかず、縛り上げて、転がしておく。
「どこの誰だ? 顔を知っているか?」
女はもう覆面を剥ぎ取られていて、目が閉じているけど、結構な美少女ではある。
身につけているものも確認したが、腰に細い短剣があるだけで、他には武器らしいものはない。例の煙が吹き上がる球体が、腰にもう一つ、残っている。腰には火縄もあった。
「全く知らないし、どうしてここにいるのかも、わからない」
「じゃ、本人に聞くとしよう」
そう言うなり、火炎がめちゃくちゃ乱暴な動作で活を入れた。
意識を取り戻した途端に女の子は激しく咳き込み、悶えていた。火炎の意趣返しは悲惨なものがある。
ほとんど嘔吐寸前から回復し、大きな瞳がまず僕を、次に火炎を睨みつけた。
「何してくれんのよ! 死ぬじゃないの!」
「お前が部屋に来るからだろ」火炎が顔をしかめている。「立場ってもの、わかっているか?」
「あんたたちが金を持っているのが悪い!」
その一言で、僕は思わず火炎と視線を合わせてしまった。
あー、とかなんとか言いつつ、火炎が言葉を探している。
「お前はつまり、ただの盗人で、俺たちの金銭が目当てか?」
「金がない場所に盗み入る盗賊がいるか、バカ! しかもこんな場末の、崩れかけの、臭くて汚い建物に入るわけがあるか!」
何も言い返せないが、少なくとも僕は借りているだけなので、そういう指摘は大家に言って欲しい……。
しかしな、と火炎が座り込み、転がったままの少女の横にかがみ込む。
「こんな部屋で暮らしている俺たちがどうして金持ちだと思った? こんな場末の崩れかけの臭くて汚い部屋に住んでいるんだぞ?」
「良いカモがいるっていう情報があったのよ」
情報?
僕と火炎の中で同じ連想が成立する横で、少女はまだ喚いている。
「良いカモだったはずなのに、片方は私の気配に気づいて剣を抜くし、もう片方は煙の中で抱きついてきて押し倒されるし、もう最悪よ。何も盗ってないんだから無実でしょ、ちょっと部屋に入っただけだし。戸締りと防犯対策、考えた方がいいわよ」
ぐっと火炎の手が女の子の襟首を掴み、引っ張り上げた。可愛い悲鳴を上げているが、火炎の怒りの気配の方が強すぎて、可愛い悲鳴など場違いだった。
「仲湯から情報を買ったんだな? そうだろ?」
「ご名答」
「あのジジイはどこにいる? 知っているか?」
あんたって馬鹿なの? と女の子が苦笑いしている。
「情報屋なんて、憎まれもすれば恨まれもする存在よ。金さえあれば、誰彼構わずに売っちゃうんだから、平凡に暮らしていたら、命がいくつあっても足りないわよ。今頃、どこかで息を潜めているでしょうね。つまり、私も今の居場所は知らない」
「ぜひとも知りたいんだがな」
「ご愁傷様、そりゃ無理ね、あと半年はどこかに潜っているでしょう」
罵り言葉を口にしつつ、火炎が女の子を放り出す。また悲鳴が上がるけど、やっぱり場違いだった。
「こいつはどうするべきかな、渡水鳥」
いきなり火炎が僕をあだ名で呼んだので、そうか、名前を知らせるべきじゃないんだな、と気づいた。何か、警戒するものがある、ということだろう。
「まぁ、仲湯の居場所、その候補を喋らせるべきじゃないの?」
僕の顔を、絶対に言わないわよ、と言わんばなりに女の子が見てくる。無視だ。かわいそうだけど。
「ちょっと痛ぶってみようか? 辱めるとか?」
火炎がそう言うと、女の子が冷静な顔になり、また僕を見た。
あんたにはまともな理性があるわよね、という顔だ。
やれやれ。
仕方なく僕は彼女の横に座った。
「僕は渡水鳥、彼は雷士だ。君は?」
女の子は渋々と答えた。
「闇夜豹」
やっぱり本名を名乗るつもりはないか。火炎を振り返ると、憮然とした顔でこちらを見ている。僕は頷いて見せるしかない。火炎は僕に任せると身振りで示してくれた。
と、部屋が急に明るくなった。夜明けらしい。
「ちょ、ちょっと、窓を閉めてくれる?」
慌てたように闇夜豹がそう言ったので、僕は思わず彼女の顔を見ていた。焦っているのは明らかだ。でも何がそんなに強いんだ?
「か、顔に光が……」
座り込んでいた姿勢から、横倒しになり、芋虫が這うように彼女は移動していく。
僕も火炎も、呆然としていた。急に変な行動を取り始めて、呆気にとられたのだ。
しかし彼女の行動の理由はわかった。
「あちちち!」
闇夜豹が悲鳴を上げる。
窓から差し込む薄い光が、後ろ手に縛られた彼女のむき出しの腕に当たっていた。
彼女の肌から、白い煙が上がっていた。
(続く)