3-7 旅立ち
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食事が終わり、三人で協力して小屋の残骸を片付けた。
幸い、天気が崩れそうではないし、季節的にも寒さが厳しいわけじゃなかった。壁が半ば崩壊していて、屋根が崩れていても、数日なら問題ない。
火炎が夕日が差す頃に起き出して、腹が減ったな、と言い出したので、今度は四人で夕飯になった。
(いいかな、全員、聞いてくれ)
もう何の違和感もなく輪に混ざっている幻像の師匠が切り出した。
(定輪、伏陸の二人は、小屋を作り直し、畑の手入れをするんだ。龍青が帰ってくるまでになる。その間はこの小屋にあるものは自由にしていい)
「こんな廃屋みたいな建物に何があるんだよ」
ぶつぶつと定輪がつぶやくが、師匠は一顧だにしなかった。
(龍青、お前はすぐにでも短剣を追いなさい。東を目指して、まずは西深開府だ)
西深開府は、この永という国の大都市の中では、最西端に当たる。そこよりもさらに西に、ここ、古龍峡や、高く険しい山脈がある。
「師匠を置いていくのが心配なんですが」
(二人の若造がいるのだ、問題あるまい)
思わず定輪と伏陸を見るけど、二人ともどこか不安げだった。
(火炎は自由だ)
「俺にも何か役目をくれよ、と言いたいところだが、俺は決めたぜ」
全員の視線の先で、火炎がぐっと胸を反らす。
「俺は龍青についていく。腕の立つ奴が一人でも必要だろうしな」
「そもそもお前、なんでここに来たんだ?」
伏陸が訊ねると、火炎は少し黙った後に、
「最終的には龍青を切るためだな。俺の実力を証明するために」
「自分が切りたい相手を助けるのかよ……?」
「他の奴に切らせるわけにはいかん。それに龍青にくっついていれば、理力のなんたるかもわかるだろうしな。一石二鳥だ」
その言葉を受けて、今度は全員が僕を見た。
僕も決断しないといけないんだろう。
「行きます、短剣を追います」
火炎がニヤリと笑い、二人の悪党は胡乱げだ。
(さっきの箱を持って来な)
促されて、師匠の部屋から回収した箱が、全員の前に置かれた。僕が代表するように、蓋を開ける。
中に入っていたのは、剣だった。
つい先日、僕を買い出しに行かせた時、手渡してくれた剣と長さはそれほど変わらない。
綺麗な鞘に収まっているそれを、すっと手に取る。重さも今までの剣と同じくらいだ。
「気配があるが、なんだろうな」
こちらを覗き込みつつ、火炎がそんなことを言う。
僕はそっと鞘から抜いてもみた。
上等なものがあるじゃないか、と伏陸が呟く。確かに金にはなりそうだ。
でも金に変えるのが惜しいほど、美しい剣だった。
(その剣には理力とは違う古い術が施されている。呪術を遠ざけ、破ることができると聞いている。実践したことはない。眉唾でな)
……眉唾のインチキ商品みたいなのを僕に渡すのか。
「眉唾でもないと思うけどな」
じっくりと片刃のそれを眺めつつ、火炎が呟く。
(どちらにせよ、上等な剣だ。よく切れるのは私も試した)
「見るからに切れるのはわかります」
(持っていくといい。出発は明日の朝でよかろう。龍青、二人の若造にどういう生活をすればいいか、教えてやりな)
そんな具合で、食事の間から話が始まり、お茶を飲みつつ、深夜まで僕は定輪と伏陸にここでの生活について話をした。
「しかし」お茶を飲んでいた火炎が口を挟んだ。「お前たち、どうやってここにたどり着いたんだ。よく迷わなかったな」
ああ、と伏陸が応じる。
「龍青の後をつけたんだが、途中で見失って、危うく遭難しかけたんだ」
「結局、崖を死ぬ気で這い降りて、ここに辿りついた」
それはまた、すごい根性だな。
危険を乗り越えてここまで来て、いきなり自分たちだけで生活しなくてはいけなくなるとは、不憫だ……。
「って」不意に気づいた。「どうして僕を追ったのですか?」
「街で話題になっていたからな。何かあると踏んだんだが」
定輪がそう答え、肩を落とした。
こんなはずじゃなかった、ということらしい。
夜更けに適当な空間で四人がゴロゴロと横になり、朝まで眠った。
翌朝になり、一番初めに起きたのは僕だった。
昨日、受け取ったばかりの剣を手に取った。そっと外へ出て、一人で湖へと向かった。一歩、二歩と水面に乗り、ゆっくりと駆け出し、全力で走る。波紋が点々と僕の後に残されていく。
湖の上で武術の稽古をする。
すらりと剣を鞘から抜き、型の通りに振るった。
初めて抜いた剣、初めて振った剣が、急に自分の手の延長のように感じ取れた。
全身に理力が広がり、剣にさえも染み透っていく。
高く跳ね、空中で身を捻り、片手で水面を打ってもう一度、跳ね上がる。
着水と言っても、水中に僕の体は微塵も沈まない。
複雑な足運びと、両腕が連動する。
目まぐるしく宙を切っ先が焦がし、ピタリと、全身が硬直するように止まる。
呼吸はわずかに乱れている。
理力の乱れは微塵もない。高い集中が維持され、感覚が研ぎ澄まされる。
だからさっきから、湖畔で火炎が座り込んでこちらを見ているのがわかる。驚いて座っているのではなく、立っているのが億劫な様子だ。耳をほじったり、鼻毛を抜いたりして、こちらを見ている。
理力の型、理科と呼ばれるものを一つ、試す。
それを僕は、雨の型、と呼んでいる。
ガチリと意識が切り替わり、僕の中の理力が肉体を完全に掌握する。
片手の先で、剣が躍動する。
超高速の連続の振りは、十回、二十回を超えていく。
休みなく、ひたすら続ける。
五十を超えたところで、動きを止める。
剣を振り抜いた姿勢で、止めていた呼吸を再開すると、ずっしりと全身が重くなった。
喘ぐように息を吸い、危うく両足が水に没しかける。
ゆっくりと剣を鞘に戻し、その場を離れて湖面を歩きつつ、呼吸を整え、肩の動きが収まる頃に僕は火炎の前に立っていた。
「すごいな、水の上に立つ奴なんて、いるんだな」
あっさりとした調子なので、僕としては少し調子が狂う。もっと驚かれると思ったんだけど。
「隠者殿はお前をなんて呼んでいる?」
「渡水鳥、だね」
「なるほど、そのものズバリの、いい通り名だ」
火炎が立ち上がり、歩き出す。僕もそれについていった。
「もしかしたら俺が迷惑をかけるかもしれないが、許してくれよ」
大きい背中、大剣の向こうで火炎がそう言ったので、僕は思わず笑ってしまった。
「僕こそ、火炎に迷惑をかけると思う」
「お互い様だな」
ふと気になり、僕は小走りに火炎の横に並んだ。
「火炎の目的って、何なの? 本当に僕に興味があるだけとも思えないけど」
そうだな、と顎を撫でつつ、少しの間の後に火炎が応じた。
「俺は旅がしたいだけかもな。お前はちょうどいい口実だ。旅が充実したものになる、愉快痛快な旅になる、そういう要素が、お前には満載なだけさ」
旅か。
僕にはまだ旅がどういうものか、はっきりわからなかった。
今まで、ほとんどの時間をこの秘境で過ごしてきた。
これから何が起こるのか、まったくわからない。不安になりそうだけど、火炎が一緒にいると思うと、不安も和らぐ。
師匠が僕に火炎をつけるように、そうと分からせずに誘導した、ということもあるかもしれない。
その日、小屋で朝食を食べ、僕は自分が育った場所を後にした。
(第三部 了)