3-6 再会
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朝食をどうするか、考えた時、傍に理力の気配が戻り、それが即座に師匠の輪郭に変わった。
「大丈夫ですか?」
(峠は越した。あとはじわじわと治していくしかあるまい。あの二人は?)
「小屋に拘束してありますよ」
(よかろう)
師匠が小屋の土間へ向かうが、足を動かさず中を浮遊しているのが、ものすごく不自然だ。
土間に師匠の幻が入ると、定輪と伏陸は心底から驚き、次に怯え出した。
(何も取って食おうっていうんじゃない。お前たちに頼みたいことがある)
師匠がそう言って、まず定輪、次に伏陸の顔を覗き込む。二人とも視線をそらそうと首をひねるが、執拗に師匠は視線を合わせ続けた。嫌がらせだろう。
(お前たちはここで生活する。龍青が戻ってくるまでだ)
「へ、へ? ここで?」
定輪が目を白黒させる。陸伏もだ。
(そうだ。私のことは構わなくていい。ただこの小さな小屋と小さな畑を守れば良い。わかるか?)
「師匠?」
僕が声をかけても、師匠はこちらを見ず、二人の悪党を眺めている。
(できるか? できないか? やれるか? やれないか?)
二人は視線を交わすけど、今までのようにすぐに結論が出るようでもない。
雰囲気からすると、師匠が物理力を持っているのか、その辺りを気にしているんだろう。幻がいくら何を言っても、逃げられる、という発想について、お互いに考えているらしい。
(この老婆が若造二人を呪い殺せないとお思いか?)
やれやれ、師匠もえげつないな。理力には相手を呪い殺すような術はないはずだ。少なくとも僕は教わっていない。
ただし、何も知らない二人からすれば、とんでもない恐怖だっただろう。
実際、目の前に亡霊としか呼べない存在がいて、会話さえ成立しているのだ。他人からそんな話を聞かされても、酔っ払ったか寝ぼけていたかで済ませられそうだが、これは現実だ。
(考える時間をやろう、こっちへおいで、龍青)
二人から離れて幻が移動し始めるので僕はそれに続いた。声をひそめる。
「あの二人をここへ置くとは、どういうつもりですか?」
(管理人のようなものだ。お前は短剣を追うのだろう? あの二人には私の警護も任せる)
「ただの人間ですよ。理力は全く使えない」
師匠がニヤリと口元に笑みを見せ、空洞の瞳をこちらへ向ける。
(世の中の大半の人間は、呪術にも、理力にも、守られてはいない。生身で戦い、生き抜くしかないのだよ。お前以外に、湖を渡ることのできるものがいたか? 私のように死んだ肉体を蘇らせようとするものがいたか? いないだろう)
「そうですが……」
(これは私の考えだが)
小屋の崩壊した部分に辿り浮いていた。
(お前はきっと、龍灯の力になれるだろう)
父親の力になれる。
その一言で、今まで考えなかったことが頭に浮かんだ。
「僕が師匠に預けられたのは、そのためですか? 理力を身につけ、母親の仇を討て、と」
(そんなことを考える男ではないよ)
あっさりと師匠は首を振った。本音の気配しかない。
(お前に理力を教えたのは私の判断だ。龍灯はただお前が穏やかに生きることだけを願っていた。二度と会えないだろうと、眠っているお前の額を撫でたあの男の顔を、私は少しも忘れられないよ。お前は覚えちゃいないだろうけれどね)
意識の中で、見知らぬ男が、幼い、まだ赤ん坊の僕の額を撫でる。
(お前の素質に気づいたのは私だし、修行させたのも私だ。埋もれさせるには惜しい素質だった。そしてお前は見事にそれを開花させ、私を満足させつつある。私の満足のための行いだったが、今、それが別の側面を見せはじめた、ということだ。私が想定していた、お前が進むことができる道、その選択肢に、一つの道筋が加わったことになる)
「父親を探す、短剣を追う、という道ですか」
(それを成すための力が、図らずもお前には身についているのだよ、龍青)
ここだ、と師匠が足元を手で示した。
(物理に干渉するのは疲弊が激しい、床の下に空間がある)
言われるままに小屋の残骸を掻き分けていく。なかなか床が見えなかった。
「理力で定輪と伏陸の意識に干渉すれば、あんな脅しは必要なかったのでは?」
気になって訊いてみると、師匠は笑ったようだった。
(インチキは時に必要だが、インチキを使わない方が効果的な場面もある)
からかわれているのかもしれない。
床が見えてきた。埃を払うと、確かに床に切れ込みがある。位置的には、師匠の私室の床のようだ。
(開けて中にある箱を出しな)
床板を軽く叩くと、わずかに蓋が揺れる。もう一度、強く打つ。蓋が外れて、外すことができた。
師匠の言葉の通り、秘密の空間の中に箱がある、細長い箱だった。引っ張り出してみるけど、何も書いてないし、もちろん封がされているわけでもない。
と、土間の方で誰かが喚き始めた。定輪と伏陸の声だ。
何かあったのだろうか。箱を持ったまま、土間に行ってみた。
するとそこに、見知った顔があった。彼もこちらを振り向く。
「ああ、やっぱりいたな、龍青」
「火炎、もう来たのか」
大柄な青年が、ニヤッと笑う。
「夜に変な落雷の音を聞いて、落ち着かなくてな。夜通し歩いてきたよ。ちょっと迷ったから、遅くなった。こいつらが下手人か?」
違うよ、と応じたけど、しかしどう説明すればいいんだろう。
「亡霊がどうとか喚いたが、確かに亡霊がいるな」
僕の傍の師匠を見た火炎がそう言って、肩越しに背中の剣に手をかけたので、僕は慌ててそれを止めた。
「この人は僕の師匠だ。襤褸という名前で、この人が隠者その人だよ。今は、肉体がないけど」
ジロジロと視線を向けられても、師匠は平然としてる。
(力自慢の男のようだが、なかなかどうして、死の気配を多く引き連れているね)
「不愉快なばあさんだな。龍青、剣で切れるか試していいか?」
行動は唐突だった。
剣が振り抜かれ、火炎の大剣が見えない何かを切った。僕の隣で師匠が驚く気配。
(理力が見えるのかね、でかぶつ)
「直感的にそこに攻撃が来ると思っただけだ。見えちゃいないよ」
(大したもんだ)
どうやらこの場面だけで、師匠は火炎を認めたらしかった。
それから僕は師匠に火炎との出会いについて説明し、次に火炎に師匠と、ここでの生活と、昨晩に起こった複雑怪奇なことを全部、伝えた。
まったく理解できん、とつぶやいた火炎だが、すぐに「眠いからかもしれん」と言い出した。
(どこででも好きに眠るといい)
「そうさせてもらうよ。話は夕方だ」
時間はすでに真昼間だった。思ってみれば、朝食も食べていない。
僕は発掘した箱を傍らに置いて、土間とかまどの周りで無事らしい食品を確認し、定輪と伏陸の方を見た。
「何か食べますか?」
「その前にこの縄を解いてくれよ、便所にもいけないんだ」
それもそうか。
逃げないでくださいよ、と前置きすると、呪い殺されたくはない、という返事があった。
師匠も存外に、ひどいことをする。
結局、二人の拘束を解いて、三人で土間の一角で食事になった。
すぐそばで、火炎がいびきをかいて眠っていた。
なにやら、僕の生活の場ではないような気がしてならない。
でも、いつになく賑やかで、それはどこか僕を嬉しくもさせているようだった。
(続く)