3-3 力比べ
◆
真っ白い光の筋が、師匠に突き刺さる。
「師匠!」
叫んだ声さえも、光にかき消されるようだった。
「落ち着きな」
声が聞こえる。師匠の左手が光を手のひらで押し返すのが、影となって見えた。
カッと光が逸れ、残っていた小屋の壁の一部を消し飛ばし、遠くへ走った。地響きが起きる。
「し、師匠、逃げよう!」
思わず縋り付こうとするが、師匠は左手から湯気を上げつつ、それをぶらぶらと振っている。
「この短剣を逃がす方が問題さ。お前は離れていなさい」
「危ない! 逃げるべきだ!」
「それがお前の決断か?」
一瞬、冷静になった自分がいた。
ついさっき、湖で、短剣をどうにかすると決めたはずだった。
でもこんなもの、どうすることもできないじゃないか!
何の合図もなく、短剣の切っ先がこちらを向いた。
同時に、ぐっと師匠が何かをつかむような素振りをした。
刹那、青い粒子が龍のようなものを形作ると、短剣に絡みつく。
誰かが唸るような声を上げる。誰かじゃない、師匠と僕しかここにはいないんだ。
師匠の両手から青い火花が散る。かすかに肉が焦げるよう匂いが漂う。
短剣は龍を振りほどくように動いているようだが、実際にはほとんど動いていない。龍が締め上げ続け、短剣をかすかにしか自由にさせない。
ひときわ大きな火花が散って、師匠の手が揺れる。
何かが飛んだ、と思ったら、それは師匠の指の爪の一つだった。
「龍青、力を貸しな!」
師匠の声には切迫したものがあった。
訓練を思い出し、意識を研ぎ澄ませた。だけど、目の前の光景に、動揺が完全には静まらないのがわかった。
落ち着こう。落ち着くしかない。
できることをするしか、ないんだ。
両手を突き出した。手から理力の奔流が走り、短剣の周囲で粒子として具現化する。
師匠に比べれば頼りない粒子の帯が、短剣をさらに包む。
手が即座に痺れ始める。あっという間に指先の感覚が消えた。
しかしやめるわけにはいかない。
「この後、どうするんですか、師匠!」
「私が破壊してやるよ! お前は耐えていなさい!」
耐えろって……。
両手に集中するしかない。僕の体の中に宿る理力が、超高速で周囲に満ちる理力を、引用していく。
理力は意志力そのものだが、実際には世界中に存在する。動物や植物はもちろん、岩や土にもだ。
理力を使うものは自身の意志の拡張で、他人に力を作用させるように、周囲にある理力を自分の力にできる。
僕の水の上を歩く技も、湖の水という存在の理力が重要なのだ。
今、僕は周囲の全てから理力を絞り出した。すでに師匠が大部分を引用しているから、残りカスみたいなものだけど、まとめれば力にはなる。
手に伝わってくる理力の感触の中で、師匠の理力の龍がひときわ大きくなり、一瞬で締め付けを強くする。短剣が軋むのが、はっきりと手に伝わってきた。
師匠が呼吸を止めている。
全精神力を傾けているところは、僕も初めて見る。
その圧倒的な力が、ついに短剣を削り取り、歪ませた。
手応えが唐突に消え、短剣が砕け散った。
銀の破片が、青い光の龍の周囲に飛び散り、龍が咆哮したように見えた。
いけない、とつぶやいたのは師匠だったと、だいぶ遅れて気づいた。やっぱり僕と師匠しかいないわけで、僕は呆然としていたから、何も口走ってはいない。
青い光の龍の周囲で銀色の粒子の渦が出来た、と思った時、その銀の粒子がやはり龍となり、青い龍にまとわりついた。
「龍青!」
師匠が何かをこちらに放ってきたので驚いて僕はそれを避けた。たぶん、小屋の屋根の一部だろう。
ただ、それだけで僕の集中はあっさりと破綻し、両手から理力の気配が消えた。
師匠は何をしているのか、訊ねる間もない。
僕が見ている前で師匠が体を硬直させ、昏倒した。
ただまだ師匠の生み出した青い燐光でできた龍は存在し、今は銀色の龍と互いを喰らい合っていた。
だが、形勢は明らかに師匠の方が悪い。
青い龍が銀の龍の締め付けで二つに、ついで三つに分断され消えていく。
師匠が、負けた。
銀の龍が最後まで残っていた青い龍を噛みちぎって消すと、僕の眼前で、龍から元の短剣のそれへと戻った。
短剣が、復活していた。
ぐるぐると空中で回転している短剣を、僕はただ眺めていた。
切っ先が一度、僕を向いた時は、思わず呼吸を止めてしまった。だけど短剣はまた切っ先の向きを変え、最後には頭上、天に向かって切っ先を向け、高速で小屋から飛び出していった。
反射的に見送ると、東の方へ飛び去っていく。
すぐに見えなくなって、後にはほとんど倒壊寸前の小屋と、パチパチと小さな火が爆ぜる音だけが残った。
座り込みたいわけでもないのに、僕は座り込み、今、何が起こったのか確認するしかなかった。
まず呪術による攻撃を受けた。次に短剣の封印が破れた。師匠が短剣を抑え込もうとしたが、逆に短剣が師匠を倒してしまった。
そうだ、師匠だ。
這うようにして、倒れたまま動かない師匠の元に辿り着いた。
体からは力が抜けている。手なんて、すべての指の爪が消え去っているし、焼けただれていた。そして瞳、空洞のはずだったそこに埋め込まれた、水晶の義眼は、粉々に砕けている。
呼吸は、止まっている。脈は、やっぱり止まっている。
死んでいる。くそ、なんで、こんなことに……。
(勝手に殺すんじゃないよ)
急に耳元で声がして、顔を上げた。視界が滲んでいる。泣いていたらしい。
(理力使いを甘く見るんじゃないよ、まったく)
目元を拭って振り返ると、そこに寸前まであった龍を形作っていた粒子に似たものが漂い、すぐに一つの形を作った。
それは師匠の姿そのものだった。
何度も僕が見てきた、過去の理力使い達の幻影にそっくりだった。
「し、師匠、やっぱり死んで……」
(だから死んでいない。あんたがのろのろしていると、本当に死んじまうから、さっさと気を取り直しておくれ)
もう一度、目元を拭って、師匠の幻を見据えた。師匠が頷いた。
(まず私を湖に連れて行きなさい。急ぐんだよ。丁寧にね)
「は、はい」
(まったく、着物を着替えたいが、そうもいかないね)
冗談をいう余裕はあるらしい。
脱力しているので手間取りながら、どうにか師匠の身体を抱え上げて、小屋の外に出た。もう戸を開ける必要もなく、吹っ飛んでいる方の壁があった場所、広い空間から外へ出た。
そこで気づいたが、さっきの光による短剣の攻撃で、地面がだいぶ先まで抉れている。とても人間が無事では済まなかった威力だ。師匠はやっぱり凄い。抉れた溝の向こうで木がかすかに燃えていた。
(ほら、急ぎな)
僕はとにかく丁寧に、小走りで湖へと走った。
(続く)