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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第三部 旅の始まり
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3-2 攻撃

     ◆


 僕は一人で湖のほとりに立っていた。

 月が上がって、満月がはっきりと湖面を照らしている。波がかすかに寄せてくる。

 静かだった。それもそうだ、此処は街とは違う。

 どこか遠くで、水を打つ音が一つした。魚が跳ねたのかもしれなかった。

 集中できそうもなかったから湖を見ているわけだけど、それで変わるものでもないとよくわかった。

 母親が死んでいることは、今まで通りに受け入れられる。何度も考えていた可能性だから、受け入れてしまえる。悲しみや、切なさは、まだ僕の心にはやってきていないようだ。これから、来るのだろうか。

 父親の方が、問題だった。

 生きているのだ。つまり、まだ会える可能性がある。

 会ったら何を話せばいいのか、なんと声をかければいいか、わからない。

 そもそも会えるのだろうか。

 どこにいるかもわからないのに?

 顔もわからないし、声も知らないのに、話をすることを考える、思い描く方が無理があるというものだ。

 思考が乱れに乱れているので、僕は無理矢理に集中することにした。

 水際へ一歩、二歩と進んで、まず右足が水面の上に乗り、続けて左足も乗る。

 僕は水の上に立っていた。

 先へ進む。足が水面に触れると小さな波紋が広がり、どこまで続いていくようだった。

 どれくらいを歩いたか、僕は湖の上に一人で立ち尽くし、少し落ち着いているのを意識した。

 理力の訓練の中で身につけたこの技は、僕の中に冷静さを連れてきたようだ。

 まず父親が生きていることを、前向きに捉えよう。顔を知らなくても、声を知らなくても構わない。まずは父親に会うことだ。会えば、それから交流が生まれるはず。

 親子のようになるかはわからないけど、一人の人間同士としてお互いを意識できるだろう。

 次の問題は、例の箱の中にあるという短剣が父親を狙っている、ということだ。これが師匠の妄想とか、何かのいたずらなどということはない。

 父親の状況について、僕はあまりに知らなさすぎた。

 あの短剣だけが、父親を狙う攻撃とは思えない。なら、父親は今も、何らかの手段で攻撃を凌いでいるはずだ。

 では、短剣がもし封印を破ったとして、それが父親にとって致命的なら、僕は何とかあの箱を封印し直す方法を探すか、もしくは短剣とやらを破壊することになる。

 よし、だいぶ状況は整理されてきた。

 父親は今まで十五年間、息を潜めて逃げ続けているのだ、短剣の一本くらい、もしかしたら平然とやり過ごすかもしれない。

 それでも僕はまずあの箱に対して、善処する必要がある。

 父親と会う会わないは、その次だ。

 ふうっと息を吐いて、集中を継続させる。

 目の前にある白い光が眩しい。

 月が、湖に映っているのだ。

 と、そこに何かが横切ったような気がした。

 振り仰ぐと、何だ? 真っ黒い靄が、渦を巻いて、月の表面をなぞる。

 と、それがこちらに急降下してくるのが見えた。

 反射的に駆け出していた。湖の上を、まるで地面を走るように、僕は走った。

 背後で何かが水に落ちて、大きな波が起こる。

 危うく足を取られそうになりながら、走りきって、湖岸で振り返った。

 湖の表面で黒い影が形を作る。それがうねったかと思うと、真横に走った。

 そちらにあるのは、小屋だ! 師匠がいる小屋だ!

 僕が走り出しても、もう影は小屋にぶつかるような位置だった。

 だけど、影は小屋にぶつかる前に、真っ青な光の壁に遮られていた。

 青い光が連続して瞬き、影を押し返す。

 あれは、師匠の理力による障壁だ。

 まるで周囲が昼間のように明るくなり、黒い影はどんどん後退した。

 よし、危なくはないな。僕自身は影を避けつつ、青い壁に飛び込む。自然とすり抜けた。師匠はさすがに器用だった。

 小屋に入ろうとした時、重く響く音が聞こえたので、反射的に足を止めていた。

 地上じゃない、頭上からだ。

 振り仰ぐと同時に、強烈な光が視界を真っ白に染めた。

 聞いたことのない轟音がして、衝撃が僕を吹っ飛ばした。受け身を取る前に体が地面を二転三転し、それでも起き上がると、赤い光が見えた。

 小屋が燃えている。半壊している様が、その火の明かりで見えた。

 さっきのは、落雷だ。落雷が小屋を直撃したらしい。

 これも呪術だとしたら、とんでも無いことだ。

 影は小屋を取り巻いているが、障壁も健在で、ただ時折、光が明滅する。

 僕はもう一度、障壁をすり抜け、小屋に駆け込んだ。

「師匠!」

 遅いよ、と低い声が返ってきた。

 やはり落雷の直撃のせいだろう、小屋の三分の一ほどが消し飛んでいる。屋根が破れ、頭上がよく見えた。星空が広がる。雲なんてもう少しもない。

 師匠の姿が、燃える壁の炎の明るさの中に、浮かび上がる。

 瞑想するときの姿勢、胡座のような座り方で、両手を組んで祈るようにしている。

「あの影は?」

 訊ねても、師匠はすぐには答えない。絞り出すように、低い声が彼女の口から漏れた。

「呪術による攻撃だよ。雷もね。まったく厄介なことだ」

「僕にできることは?」

「力を貸しな」

 すっと師匠がこちらに解いた手の片方を差し出してくる。

 慌てて僕はその手を両手で握りしめた。

 師匠の理力が僕を包み込む。一瞬、僕という存在がはるかに拡張され、周囲の全てが手に取るようにわかる錯覚。

 それもすぐに消え去り、僕は師匠になり、理力の源に過ぎなくなる。

 黒い影が僕の心をチリチリと焦がし、爆ぜる。でも僕も師匠も、その程度では破られない。

 ぐっと師匠が息を詰める気配。

 まるで遠くから見ているように、その光景を理解できた。

 師匠と僕の理力による障壁が広がり、反転する。

 逆に黒い影を包み込み、締め付け、押さえ込んでいく。

 抵抗も虚しく、黒い影は真っ青な力の奔流にすり潰され、飲み込まれ、最後には綺麗に消え去った。

 よかった、これで、何事もなく、終わりだ。

 もういいよ、と師匠が僕の心に呼びかけてきた。

 両手をそっと離すと、僕という存在が僕だけのものに戻る。

 ハッとして、顔を上げると師匠がこちらに顔を向けていた。

「まったく」

 言いながら師匠の視線が周囲に向けられる。

「こんなにしてしまって、修理が面倒じゃないか」

 冗談を言っている口調ではなくて、本気でそう言っているようだけど、僕にはおかしかった。

 笑い出すと、冗談じゃないよ、と師匠が呟く。

 そして立ち上がろうとして。

 何かが裂ける音が、確かに聞こえた。

 爆発だった。小屋の片隅、戸棚が一瞬で跡形もなく吹き飛んだ。

 僕は反射的に片手を上げ、理力で障壁を作った。師匠とは比べものにならないので、爆風の全てを防ぐのは難しいけど、戸棚の破片が僕をズタズタにするような展開は回避できた。

 それでも風に押されて倒れ込み、起き上がったときには、すぐそこに、一本の短剣が宙に浮かんで、ひとりでにくるくる回っている光景があった。

 師匠はどうしたんだ?

 視線の先で、顔を隠す薄布が吹き飛んだ師匠が、それに構わずに床に片膝をついた姿勢で、両手をまさに短剣に向けたところだった。

 短剣を中心に、閃光が瞬いた。




(続く)


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