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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第三部 旅の始まり
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3-1 真実

     ◆


 前から歩いてきたのは、大江だった。

「またお会いしましたね、龍青殿」

 立ち止まった僕に、大江が歩み寄ってきて、頭を下げた。

「隠者殿とお会いして、お話ができました。非常に有意義な時間でした」

「そうですか」僕はちらっと空を見上げた。「これから里に降りるとなると、日が暮れてしまいますが」

「構いませんよ。慣れておりますから」

 そうですか、という以外に言葉がない。

「師匠の目をご覧になりましたか?」

 思わず話題を探してそう訊ねると、ええ、という返事があった。

「あの瞳は素晴らしい。しかし私のような、呪術を身に受けたものには、使えるものではありません。ましてや理力を身につけるなど、一朝一夕では、とても無理ですな」

「そうですか」

 不自然なことに、この大江という老人は目が見えないはずが、まるで見ているように振る舞う。それが僕には不思議だったが、あるいは、呪術が関係するのかもしれない。

 もちろん、詳細はわからないが。

 そうだ、と僕は腰に下げていた袋を手に取った。

「もし空腹に耐えきれなかったら、これを」

 袋を手渡すと、見えない瞳で大江がこちらを見る。

「何が入っているのですか?」

「木の実と木の蜜を練ったものです。粒にしてあって、一粒でもゆっくりと噛めばある程度の空腹には耐えられます」

「これはまた、ありがとうございます」

「帰り道、お気をつけて」

 ニコニコと大江が笑い、「では、失礼」と頭を下げた。

 杖をつくでも、手探りするでも、躊躇うでもなく、盲目の老人は確かな歩調でこちらから離れていった。

 ここまで普通の人間がたどり着けるわけがない。目印を見ても、迷うものは迷う。しかも大江は目が見えないのだ。

 そうとなれば、可能性は限定される。

 師匠が大江を招いたのかもしれない。

 僕は歩調を早めて、道を進んだ。一度、視界が開けて、湖が半分が赤く染まり、半分は日陰で灰色に変わっている風景が広がった。

 そのまま斜面を降りていき、開けた場所に出る。小屋が見えた。

「ただいま戻りました」

 中に入ると、師匠がじっと座って待ち構えていたのでぎょっとした。

「師匠?」

「龍青、話をしなくてはいけないことがある」

 いつになく深刻な声でそう言うと、すっと立ち上がった師匠が部屋の奥へ向かう。僕は素早く足を洗って拭うと、上がった。

 師匠が持ってきたのは、小さな箱だった。木製だが古びていて、ところどころが黒ずんでいる。

 何より、蓋を封じるように、奇妙な文字が複雑に合わさったような、変な模様の描かれた紙が貼り付いている。

「これは?」

 薄布に隠されている師匠の顔を見るが、もちろん、視線は意識できない。

「この中にとあるものが封印されている。お前の両親にまつわるものだ」

 両親?

 僕が自分の両親に関して、疑問に思ったことは再三ではない。

 記憶を辿れば、十歳になる前に師匠にそのことを訊ねたはずだ。答えは「死んだ」というものだった。

 死んだ、ということは、墓があるはずだ、などと思って、この小屋の近辺を隈なく探したり、近くの木立の中に分け入ったり、師匠が墓の管理に行くのではと見張ったりもした。

 しかし全てが空振りで、つまり墓はない、と考えるしかなかった。

 となれば、本当に死んでいるのか、死んでいるとして、墓を作れない理由は何か、などと考えることが止まることはなかった。

 さりげなく両親のことを訊ねたことも繰り返しあったし、その度に師匠は「死んだ」と応じるだけで、そのうちに「雑念を持つな」という返事になった。

 十歳になるのを機に、師匠は僕に理力のなんたるか、その使い方と発展のさせ方を伝授し始め、その中でも雑念を払うことを要求された。

 それでも僕は両親のことを忘れられず、まさに雑念となったわけだけど、いつの間にか、解決を先送りにすることができるようにもなった。

 両親が生きているのなら、いつか、出会えるだろう。

 自然とそう考え、僕は日々を過ごした。そのうちに師匠に訊ねる事もやめてしまい、いつか来るいつかを、待っていた。期待もせず、不安も抱かず、待っていた。

 その時がどうやら、来たらしい。

 緊張しない自分が不思議だった。ただじっと、師匠の見る事のできない瞳を注視した。

「お前の母親を殺した者がいるのを、まず教える」

 殺した? つまり、死んだということか。

 悲しみよりも、疑問の方が強かった。だって、悲しもうに、顔も声も知らず、温もりさえも知らないのだ。

 僕はじっと次の言葉を待った。

「お前の母親、花凛を殺した男は、翼王、と名乗っている」

「翼王?」

「呪術をその身に受けた、異質な男だ。大勢の配下を持ち、今もお前の父親を探している」

 思わず息を飲んでしまった。

 父親は、生きているのか?

「どこにいるのですか、その、父は?」

「身を潜ませても、もはや私でも探り出せないのだよ。そうするより他に、あの男が生き延びる術はない」

「何故です?」

 そう聞き返した瞬間、箱が揺れた。

 そう、箱だ。目の前の古びた木の小箱。

 誰も触れていないのに、揺れた。

 フゥっと師匠が息を吐いた。

「翼王はお前の父親を追っている。そうする理由があるのだ。それも配下に追わせているのではなく、呪術で追跡している。お前の父親は常に命の危機にさらされ、それでも逆にあの男も翼王を探している。今も、どこかで」

「その呪術と」直感を口にしていた。「この箱に関係があるのですね?」

 そうだよ、と師匠が頷いた。

「翼王が呪術を施した短剣が、この中に入っている。この短剣は一人でに、お前の父親の心臓めがけて、飛翔する。私の知り合いだった呪術士に、この箱に封じ込めさせ、もう十五年が経っているのだよ」

 呪術師? 大江のことだろうか。違う。十五年前と言ったじゃないか。

「大江とすれ違ったね? 龍青。あの方と私は、お互いに技を与え合えたら、と私が考え、ここへ招いたのさ。しかし、私の理力では彼の瞳を癒せず、また彼の呪術ではこの封印を完全なものには戻せなかった」

「なら、元の呪術師に依頼すれば……」

「すでに故人だよ。つまり、お前が選択するしかない。いや、私はお前に選択させるしかない」

 すっと、師匠がわずかにこちらに身を屈めた。

「この箱の封印は遠からず、破れる。そうなれば、お前の父親の心臓へ向かって、この短剣は飛ぶだろう。お前の父親は死ぬ。間違いなく。お前にはその結末を変えることができるかもしれない。この剣の行く先を追っていく、という選択肢が、お前にはある」

 どう答えればいいか、僕は即座に思案したが、さすがに混乱し、まとまらない。

「どれくらいの猶予があるのですか?」

「箱の封印かね? それほど残されていない。明日にも、決めなさい」

 明日……。それはまた、急なことだ。

「短剣が解き放たれてからの猶予は、お前の父親の力量によるが、私には把握できない。並の男ではない、すぐには終わらないだろう」

「理力を使うのですか?」

 いいや、と師匠は首を振った。

「あの男は、呪術をその身に受けている」

 呪術を?

「勘違いしてはいけない」

 師匠の言葉に含まれた気配は、刺すようなものがあった。

「あの男が呪術を身に受けたのは、お前を守るためだよ。そして、翼王と戦うためだ」

 もうどう答えることもできず、僕は目の前の箱に視線を落とした。

「父の、名前は?」

 師匠は少し間をおいて、静か告げた。

「あの男の名前は、龍灯」

 龍灯。

 僕が見ている前で、箱が小さく、カタリと動いた。



(続く)


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