2-6 誘い
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朝になって驚いたのは、農民や町人の姿をした十人が、次々と春和尚のもとへ集合したことだ。全員が武装していないのに、気配はものすごく鋭い。しかも表情が穏やかで、身構えてもいないのだ。
相当な訓練が見えた。
「この人たちはどこにいたわけ?」
さすがに鼻白みながら訊ねると、鼻を鳴らして春和尚が応じた。
「相羽の中で生活しているのよ。しかしこうして全員が集まるのは、久方ぶりだ」
それから春和尚、いや、すでに和尚ではないので、ただの春夏だが、彼が手短に十人に指示を出した。
俺たちがどうするかと思ったら、春夏の手下の一人が服を持ってきて、着替えろという。それは新品ではなく、どこかの誰かが使い込んだものだ。しかもたった今まで誰かが着ていたような生々しさがある。
春夏は気にした様子もなくそれを着て、禿頭を隠すためだろう、手ぬぐいを頭に巻いた。
俺だけが従わないわけにいかないので、着替えるが、剣はどうしようもない。
「剣は預かってやるから」
そう言われても、はいはい、と答えられるものでもない。
「街に戻るのだ、剣は目立ちすぎる」
それでもゴネにゴネて、俺の剣は街へ商人として入り込む時の荷物に紛れ込ませることになった。すぐに手に取れないだけでも、だいぶ不安だが、仕方ない。
そうして昼間には二人ずつで二台の荷車を引いて、相羽の街へ入っていた。
春夏の手下の一人が商人で、俺たちを先導する。俺たちは下働きのような風体だ。春夏はわざとらしく息を切らして、苦しそうに荷車を押しているが、演技だろう。真に迫っている。
そうして自然と商店の一つに、俺たちは入ることができた。
待ち構えていた男がいて、建物の奥で春夏と対面すると、深く頭を下げた。
「手はずは整っているかな?」
春夏は例のボロボロの服のまま、その男の前に腰を下ろす。俺はまだ剣がない不安にそわそわしつつ、目の前の男の力量、何かあった時に対処できるかを、部屋の隅に座って観察した。
男は春夏に話し始め、どうやら相羽の権力争いの実際の話題らしい。役人、商人、悪党、それがだいぶ込み入っているようだ。
どうも目の前の男は役人らしい。
半日ほども二人が話を続け、役人は去っていった。今度は入れ違いに春夏の手下がやってきて、入れ替わり立ち替わり、春夏に報告を上げる。
「乱空を摘発することができそうだ」
すでに日がとっぷりと暮れ、前日とは状況が激変しているのに、春夏は落ち着いて酒を口にしている。俺は早く眠りたかった。ここなら安全に眠り込めるはずだ。
「役人の一部も、牢に放り込まれるだろう」
「あんたの実力はよくわかったよ。俺は早く眠りたい」
「隣の部屋を使え。眠りながら、身の振り方を考えろ」
身の振り方だって?
思わず立ち上がりかけた姿勢で動きを止め、じっと春夏を見た。
「私たちの用心棒になるか? もちろん、強制はしない」
春夏の視線を、俺はまっすぐに受け止めた。
どうやらこの男は、俺を高く買っているらしい。
「用心棒はあまり性に合わないな、としばらく前に考えていた」
「それで密書を運ぶ仕事をして、命を落としかける、か?」
「あれは予定外だ。それに、密書を運ぶ仕事は、初めてだった」
「次からは気をつけたほうがいい。密書を運ぶ仕事は、機密の保持のために常に命が危険にさらされる。味方からの剣にだ」
身をもって知ったよ、と肩をすくめて、俺は座り直した。
「実は、興味のある奴がいる」
そういう俺に視線で先を促し、春夏が杯を傾ける。
「ちょっと会っただけで、名前くらいしか知らない。あとは変な力を使う」
俺が口を閉じると、春夏がじっと黙り込み、不意にギョロッとこちらに瞳を向けた。
「変な力が、理力なのか?」
まぁ、自然な連想ではある。
「実際に目にした俺でも、不思議な力、としか言えない。ただ、そのよくわからない手品みたいなものが気になっているわけじゃないんだ。気になるのは……」
気になるのは、なんだろう。
あいつは、龍青は、なぜか俺を惹きつける。
俺の一撃を受け止めたから、だろうか。
龍青は、間違いなく、相当な使い手だ。俺が勝てるかわからない、勝敗は運のようなものに賭けるしかない、と思える、数少ない一人だ。
でもそれ以外の何かが、あいつには感じ取れる。
知りたいとか、一緒にいたいとか、そういう感情がないわけではない。
ただそれ以上に、あいつの剣をもっと見たい、あの刃が閃く様を、もっと見たいと感じる。
「友情という奴か?」
いつの間にか黙り込んでいた俺に、ニヤニヤ笑いながら、春夏がそう言った。俺は顔を上げ、笑うしかない。
「友情はまだ成立していないな、俺からの一方通行だ」
「それはそれでいいではないか。その誰かの方が、私たちよりも大事なのだな?」
「あんたには申し訳ないが、一緒には行けない」
気にすることはない、と春夏が呟く。
「私も歳をとった。今までは部下の面倒を私が見ている、という感覚があったが、今では、私の面倒を部下が見ているようなものだ。雷士、好きに生きろ。行きたいところへ行け」
俺は今度こそ立ち上がった。
ゆっくり休め、という言葉を背中に受けて、隣の部屋にすでに敷かれていた布団に寝転がった。
びっくりするほど早く眠ってしまい、夜明け前に目が覚めた。すぐそばに人の寝息がして驚いた。春夏のようだ。隣の布団で寝ている。
そっと起き上がり、縁側へ出てみた。
小さいが手入れされた庭を眺め、遠くの山の稜線が明るくなっているのに視線を向ける。
しばらくそこに立ち尽くしていると、この家のものだろう若い女が廊下を静かに進んできた。割烹着を着ている。朝食を用意するのだろう。
俺に気づくと少し怯えた顔をしたが、気丈に微笑み、通り過ぎていこうとする。
「井戸はどこかな」
訊ねると、あちらに、と少女のような年頃の女性が小さい声で言って、身振りで方向を示す。礼を言うと、深く頭を下げ、今度こそ、去って行った。
顔を洗って、水を飲んでから、縁側に腰掛けていると、実に多くの人が通りかかる。しかし誰もが俺を見ると、不審そうな視線を向け、次には頭を下げ、静かにいなくなる。
やがて春夏が起き出してきて、その頃には朝食も準備された。
その日に一番初めにやってきた春夏の手下の報告に、春夏が俺に視線を向けた。
「この街での最後の仕事を、決めたが、聞きたいか?」
別に、という意図で肩をすくめてみせると、春夏が不敵に笑う。
「お前と一人の少年を狙っている盗賊だ。身に覚えがありすぎるだろうが、この街の滝屋という旅館を襲撃した男の仲間らしい」
滝屋? それは俺と龍青が、俺の影武者に襲われた宿だった。
「あいつは乱空の一味だったはずだ。あいつも捕縛されるとして、乱空はいつ捕縛される?」
「今日にもだ。しかしその前に、禍根を断つ。お前のためにだ」
「俺一人でできる」
「実行するのはお前だけでもいいが、私としても味方をしてくれる役人に成果を与えたい。一番は、役人に捕縛させることで、皆殺しではない。それはわかるだろう?」
ムッと黙り込むしかない俺に、春夏が笑う。
「世の中の仕組みに気づけ、雷士」
結局、俺はもう何も言わずに、さっさと朝食を済ませ、裏庭で剣を素振りして、時間を潰していた。
その日のうちに一部の悪党と役人が捕縛され、春夏がそれを俺に教えてくれた。彼は一歩も外に出ていないから、部下から聞いたのだろう。
さらに三日をそこで過ごし、春夏は、翌日の朝に相羽を出る、とさりげなく俺に伝えた。
(続く)




