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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十七部 終わりと始まり
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17-1 天の采配

     ◆


 西深開府の郊外の馬商人は、ちゃんと僕たちの馬を確保していた。

 謝礼として少し多めに銭を払って、そこを後にした。

 馬に乗って、僕と火炎は街道をさらに西へ向かった。

 すでに季節は春になろうとしている。火炎は意識を取り戻してから、すぐに体の動きを取り戻したけど、僕と一緒に医者の指導のもと、体を鍛え直す訓練をしていた。寝たきりだった病人やけが人がやるらしい。

 医者が、あとは個人の努力に任せる、と言った時でも、僕の左腕はなかなか上がらず、食事の時や服を着替える時、だいぶ苦労する後遺症が残った。

 花敏も繰り返し見舞いに来てくれた。永のかなり広い範囲で情報の共有をしていて、翼王の痕跡は確かにあの夜以降、どこでも感じ取れない、と聞いている。

 僕たちは本当に旅の目的を失ったのだった。

 医者に解放されてから、僕と火炎、紅樹は宿の一室で話し合った。

「僕は古龍峡に戻るよ。師匠が気になるから」

「肩も治してもらえるかもしれないしな」

 火炎がそんなことを言ったが、たぶん、無理だろう。そう思ったけど、言わないでおいた。

「二人はどうする?」

「私は自由にするけど、途中までついていく。不安だしね」

 紅樹が素早く答える。火炎も続いた。

「俺もくっついていくよ」

 なぜかバチバチと火炎と紅樹が視線をぶつけ合うが、どちらからともなく視線を逸らした。

「その後の予定はあるの?」

 そう訊ねると、二人ともが腕組みをして唸った。変に気が合うのだ、この二人は。

「私はまぁ、先生のところへ戻る。もう二年近いし、顔も見たい。なんの便りもないから、元気に、なんとかやっていると思うけど」

 紅樹がそういうと火炎は、そりゃいいな、と笑った。

「俺は待っている奴もいないしな。西にもあまり近づきたくない。そこでだ、思い切って東へ行って、海賊を頼ってみるつもりだよ」

「あんた、船酔いで死んでいたって聞いたけど?」

「最初はな。今はもうなんともない。海楼に礼を言いたいし、馬荘なんかも、何をしているのやら。秘密の交易路の発展もちゃんと見たいと思う。龍青こそ、義賊の連中はいいのか?」

 うん、と僕は頷いた。

「大度と遊林のところには絶対に行くよ。一度、古龍峡に行って、師匠の様子を確認したらね。義賊の二人には、返せない恩義があるし、それは火炎と同じような感じだね」

 紅樹が小さくため息を吐いた。

「結局、三人はてんでんばらばらになるのか。それって、どこか寂しくない?」

 僕と火炎は視線を交わして、ちょっと笑った。同じことを考えたな、と気付いたからだ。

「何よ? 二人して」

「俺も寂しいと感じるし、龍青も悲しいと感じている、ってことが今、わかったのさ」

 変なの、と紅樹がそっぽを向く。

「お互い、連絡を取れるようにしよう。それで、年に一度でも、会えばいいさ」

 僕がそういうと、それぞれに火炎と紅樹が頷いた。

 その夜は三人だけで明け方まで旅の思い出を話して、静かに時間を過ごした。

 翌朝、紅樹は「今日の昼間はここで過ごすわ」と宿に残り、僕と火炎は、ついに西深開府を出て、馬を回収し、西へ向かっているわけだ。

「なんか、夢みたいな時間だったよ」

 急に、馬を並べながら、火炎が言った。

「知らなかったこと、知ることのなかったはずのものが、一度に俺の前に開けたような、そんな気がする」

「僕も、多くを知ったよ。いろいろな人がいることも知ったし、人の営み、みたいなものにも気づけた」

 前方に茶屋が見え、二人で馬を降りてお茶をすすり、饅頭を買った。

 また馬に戻り、先へ進む。このままいけば夜には宿場に着くだろう。

「お前に会えたことを、俺は天に感謝するよ」

 大真面目にそんなことを言うので、僕はちょっと可笑しかった。

「笑うなよ」火炎はニヤニヤしている。「でもそう思わないか?」

「天、というものを信じることができた、とは僕も思うよ」

 脳裏にはまず第一に、父の顔が浮かんだ。

 父の最期の瞬間、瀬戸際に僕がすぐそばにいたのは、まさに天の采配だった。

 出来過ぎなほど、全てが噛み合ったのだ。

 天というものを、信じないわけにはいかない。

 他にも多く人が僕たちを導いた。

 天は確かに、存在するのかもしれない。

 日が暮れてきて、薄暗くなる頃に宿場についた。宿に部屋を取り、馬を預ける。食事の用意を頼んで、少し休むと、膳が運ばれてきた。

 食事をしながら、火炎が急におかしなことを言い出した。

「俺とお前、どちらが強いのかな」

「どちらが強いも何も、僕は片腕が使えない」

「でも理力はあるだろ。俺たちが初めて会った時、俺たちは剣を向けあってお互いを理解した気がしないか?」

「まぁ、そういうこともあるかもしれない」

 何を言い出すんだろう? と思っていると、火炎は決定的なことを口にした。

「最後に俺と剣術を比べようぜ。それくらいは許されるはずだ」

「それは真剣で?」

「もちろん。それも全力でだ」

 あまり気乗りしないなぁ、と言おうとしたら、ビシッと火炎がこちらに箸の先を向けた。

「俺はお前を殺す気で向かっていく、手加減するなよ」

 どうやら火炎は本気らしい。

 でもその話はそこで終わった。この夜は紅樹はやってこなかった。

 翌日も、そのさらに翌日も、僕たちはひたすら西に向かう。街道は徐々に細くなり、宿場と宿場の距離も開く。作物の世話をしている人が大勢いる田畑を横目に、先へ進んだ。

 いよいよ冬の気配は消え、暖かさが周囲を覆っている。

 新しい季節だ、と思ったけど、直感的、観念的な感想で、恥ずかしいの火炎には黙っていた。

 前方に山が見えてきて、そこの向こう側に古龍峡がある、というところまでやってきた。

 小さな集落で宿を求めると、小作人の家族が僕たちを泊めてくれた。老婆が一人、それに息子夫婦と、十歳にもならない子供が二人いる。

 子供はどちらも男の子で、僕たちの剣に興味を示したけど、両親がそれを叱っていた。

 食事は粥で、銭を払う、と言うと夫婦が遠慮したものの、僕たちはきっちりと銭を渡した。

 翌朝になり、僕は一人で先に外へ出た。

 朝はまだ少し冷え込む。空気が澄んでいる気がした。

「やる気になったようだな、龍青」

 背後からの声に振り向くと、火炎が背中に二本の剣を背負って、出てくるところだ。

 僕の手には師匠から手渡された剣がある。使えない左手でも、剣を下げることくらいはできる。

「こうなっても、あまり気乗りしないよ」

「つれないことを言うな」

 ゆっくりと、火炎が何かを確かめるように剣を抜いて、両手で構えを取る。様になっているが、純粋な実戦的な剣術だ。きっと型のない、自在な剣になる。

 僕は左手で鞘を強く握り、右手を柄に触れさせた。

 ひんやりとした温度に、意識が急に澄み渡った。

 鯉口が切られ、右手がゆっくりと剣を抜いた。鞘を持っていても邪魔だし、左腕の力では持っていられない。そっと、鞘を投げて捨てた。

 僕も剣を構える。

「行くぜ、龍青。遠慮はいらん。俺も遠慮はしない」

「分かったよ」

 お互いが構えたまま、ゆっくりと足を進め、円を描くように立ち位置を変える。

 まだ朝日は上がっていない。薄暗い、静かな明かりの中で、わずかに火炎の二本の剣が、光った気がした。

 音もなく、火炎が踏み出す。




(続く)


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