16-7 決着の後に
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目を覚ました時、すぐに病室だとわかった。
「おお、死体が目を覚ましたな」
こちらの顔を覗き込んでくるのは、守備隊本部にいた医者だった。なら、僕は守備隊に保護されたのか。
「よく生き延びたなぁ。私も半信半疑だった」
「か、火炎、は?」
どうにか声が出た。医者は顎をしゃくって横を示す。僕は首をひねってそちらを見た。
隣の寝台に火炎が寝ている。
「生きているよ。致命傷のように見えたが、それほどでもなかった。お前の仕業だな?」
力が入らないながら、笑みを浮かべてみせる。
「医者なんていらないじゃないか、まったく。しかし、医者が必要な場面もある」
いつですか? という意図を込めて視線を向けると、「左肩だ」と言われた。
「お前の左肩の傷は、重すぎる。一応の治療は施したが、普通に動かすことはもう無理だろうな。訓練や治療を続ければ、日常生活に支障はないかもしれないが、剣は振れんだろう」
そうか。
でもあの瞬間、自分の傷より火炎の傷を優先したことを、悔いる気持ちは少しもなかった。
医者は僕に何かどろどろした液体を飲ませたけど、ものすごく不味かった。「吐くなよ」と言われたので、我慢して飲み干した。次に粉薬を飲まされ、その効能だろう、抗いがたい眠りがやってきて、僕は意識を失った。
どこかで青白い光が渦巻き、その中に僕は含まれている。そんな幻を見た。
声も輪郭もなく、無数の光が周囲で瞬き、僕に近づき、離れ、遠巻きにし、寄り添う。
急に光が強くなった、と思うと、僕は瞼を持ち上げていて、そこは現実だった。
「具合はどうかな」
医者がまた顔を覗き込んでくる。眠る前よりは意識がはっきりしている。
「それほど悪くはありません」
「まだ寝ていろ。まだ死体のままだからな」
目を閉じていると、自然と眠ったけどもう青い光は見なかった。
次に目が覚めると、医者ではなくその助手らしい若い男が顔を見せ、先生を呼んでくる、と部屋を出て行った。
僕は少し深呼吸を繰り返し、理力を意識した。
まだ体が万全じゃないからか、大きな流れは作れない。でも、傷の治癒を加速させる程度の効果はある。目を閉じて、じっと理力を把握して、流す。
医者がやってきて、「具合は?」などと訊ねてくるけど、理力のおかげでだいぶ楽になっていた。医者にそのことを話すと、「インチキめ」と言われてしまった。
結局、三日をそこで過ごし、僕は動けるようになった。
左肩はまだ激しく痛む。持ち上げるのも億劫だ。
「左肩は訓練を続けるしかないぞ」医者が僕の左肩をそっと支えて動かしつつ言う。「時間とともにマシにはなっていくが、あまり期待しないことだ」
ええ、と答えると医者は、頑張れよ、と笑っていた。
火炎はまだ眠っている。しかし容体は安定していると聞いている。
僕が回復したことで、花敏がやってきて、事情を教えてくれた。
僕が粉砕した翼王の肉体の部品は、全てが回収され、焼却されたという。破壊されたいくつかの建物は、補償が行われているとも教えてくれた。
花敏には、僕に父が告げたことをそのまま教えた。
あの時、父の肉体には翼王の全てが集中し、分裂が解消された一個の翼王が復活した、と伝えると、花敏は難しそうな顔になった。
僕がそれを倒したと言っても、花敏はまだ慎重なようだった。
「では、龍灯殿は、もういないのですね?」
「僕が、殺したのです」
心が重くなる。僕は、事情があったとはいえ、容赦なく、実の父親を切った。
どう言い訳もできない現実が、そこにはある。
沈痛な面持ちで花敏が顔を俯ける。
それから再開された話で、西深開府は僕と火炎を無罪とし、傷が癒え次第、自由にすると決まったという。
どこへ行ってもいい、とも言われた。
「何か、支援できることがありますか?」
「あまり、思いつきません」
何かありましたら、遠慮なくお伝えください、と言葉を残して、花敏は去って行った。
医務室に戻り、僕は火炎の横に椅子を引っ張ってきて座った。
傷は完全に癒えていて、あとは意識を回復するのを待つだけだ。致命傷だったはずだ、と医者は言っていたけど、そこは僕の理力が功を奏したということだろう。
じっと火炎を眺めつつ、これからについて考えた。
もう旅を続ける理由もなくなった。どこへでも行ける。
いくつかの場面が脳裏に浮かぶ。また顔を合わせたい人、話したい人が、ここまでの旅で何人もできた。
会いに行くこともできるのだ。
もう誰も何も、阻まない。
日が暮れて、窓を閉める時間になった。医者が僕を気遣って料理を運んできた。二人でそれを食べる。
と、いきなり戸が叩かれた。医者がぼやきながら戸を開ける。誰もいない。
その時には天井の一角が無音で開き、小柄な影が室内に現れていた。
僕がクスクス笑う前で、医者がとんでもない大声を上げて驚いた。
「病人が起きるわよ」
紅樹がそう言いながら、自分のために空いている椅子を引っ張った。
医者が目を白黒させながら、それでも自分の席に戻った。
「お前の知り合いか? 龍青」
「ええ、まあ、ちょっと変わった人なんです」
ガツッと紅樹の拳が僕の肩を叩く。左肩なので、すごい痛みが走って思わず息を止めてしまった。
「ああ、ごめん」紅樹が真面目な顔になる。「戦いにも加われなくて、ごめん」
「気にしないでいいよ、あれはちょっと、異常だった」
「あんたの動きが一番、異常よ」
え? と思わず声を出していた。
「どう見えた? 僕には全てが遅く見えたけど……」
「私には、あんたが異常な速さで動いた、としか言えないんだけど、でも、動いたっていう感じでもない」
「どういうこと?」
「ほんの一瞬で、相手が解体されたの。あんただけ時間が加速したみたいだった」
ふぅん、としか言えなかった。
あの瞬間に体を動かした理科は、雨の構えとはまた違った。
何か、新しいものに手が届いているらしかった。
しばらく医者も含めて三人で話していると、急に火炎が唸った。
三人が寝台に飛びつく。
見ている前で、火炎が荒い呼吸をし、何かに驚いたように目を見開いた。
体を動かさず、僕たちを順繰りに見つめ、呟く。
「俺は死んだはずだが、お前たちも死んでいるのか?」
「馬鹿め」医者が即座に言い返す。「お前も私たちも生きている。どこか痛くないか?」
いやぁ、などと言いつつ、火炎はわずかに身じろぎした。
「どこも悪くないが、ただ疲れている。腹が減った」
待ってろ、と言って医者が部屋を出て行った。もしかしたら、あの不味い液体を用意しに行ったのかもしれない。
部屋に三人だけになり、お互いに視線を交わしたけど、黙っていた。
「とにかく」
僕が口を開くと、二人がこちらを見る。
「旅は終わったみたいだね。ありがとう、二人とも」
火炎が鼻を鳴らし、紅樹はかすかに笑みを見せた。
静かな夜の空気が、僕たちを包んでいた。
(第十六部 了)




