16-5 再会と別れ
◆
僕はしばらく、宿から出なかった。食事も宿に用意してもらっていた。
火炎は一人で外に出て、何をしているのかは知らないけど、たまにちょっとした食べ物を持って帰ってくる。
「お前、すごい顔をしているぞ?」
「どういう顔?」
「生き返った死体みたいな顔だ」
そんな顔をしているのか。鏡を見ることもないので、わからなかった。
お腹が空く時間が多いのは事実だ。宿は二食しか提供しないのに、昼間にも料理を出してもらい、朝昼晩と三食食べても、どこか飢えている。
それくらいの疲労だったんだろう。眠る時間も長い。
夜、寝る前に少しだけ火炎と話を頻繁にした。
でも本当に話したいこと、これからどうするかは、切り出せないままだった。
紅樹もたまにやってくる。僕を心配し、西深開府の守備隊の動向を教えてくれるけど、僕にはあまり興味もなかった。彼女も火炎と同じく、これからについては、話さない。
もしかしたら二人も僕と同じかもしれない。
さすがに、先の見えない旅をこれ以上は、続けられないのかもしれない。
守備隊本部の地下での一件から、一週間が過ぎた夜、その来訪者があった。
火炎はすでに布団に入って、しかし寝てはいない。僕は火鉢のそばで、考え事をしていた。これからどうするか、という終わりのない問いだ。
戸が叩かれ、もう顔馴染みになっている宿のものが「お客様でございます」と声をかけてくる。火炎が身を起こし、それとない位置に剣を動かす。僕の手も一度、剣に触れた。
「どうぞ」
声をかけると戸が開いて、一人の男が入ってきた。宿のものは戸を閉めて下がっていった。
入ってきた男性を見て、どこかで会ったことがある、と直感的にわかった。
「龍青? 大きくなったな」
そう言って不敵に笑った男性は、ずかずかと部屋に入り、火鉢を挟んだ僕の向かいに腰を下ろした。
「十六歳、いや、十七歳か。それでもどこか、昔の面影に通じるものがある」
「あ、あの……」
言葉にするまでもなく、僕の心は確信を持って一つの答えを導き出していた。
「と、父さん、ですか?」
ニヤッと笑うと、男性が頷いた。
「俺が龍灯だ。あの地下牢にいた偽物とは違う」
愕然とした。それくらいの、強烈な驚きが僕を打ち据えた。
実際に、初めて見る父は精悍で、全身から強烈な気配を発散している。武人と言っても通りそうだったが、武装はしていない。ただ、瞳の鋭さは隠せない。
顔の作りは端正で、かなりの美男だ。ただ、そこはかとなく憂いが漂う。
その龍灯が、僕をまっすぐに見た。
「お前と話をすることをずっと楽しみにしていた、青」
「いえ、それは、僕も同じです」
そう答えるのが精一杯で、助けを求めるように火炎を見てしまった。火炎は布団の上に座って、こちらを見ている。
父も火炎の方を見た。
「火炎殿だな? 息子が世話になった」
「いや、それほどでもないが、この親にしてこの子あり、とはよく言ったものだ」
「それはどこの言葉だ?」
気にせずに、と火炎は笑った。
「すまないが、青、あまり時間は残されていない」
またその言葉か、と正直、思った。
「どこかへ逃げるのですか? 次はどこですか?」
ガラリと、父は真剣な顔になった。
「翼王は俺をすでに捕捉しているし、俺はそれから逃れる術がない。ここで決着をつけるしかないのだ。そのためにお前と、火炎殿の力を借りなければならない」
わからない話だった。
「三人で戦うのですか? それで勝てるのですか?」
「三人ではない、二人だ」
「二人?」
「青、お前と、火炎殿の二人だ」
じゃあ、父は何をするのだ?
疑問が顔に出たらしい僕に、父は困ったような顔になり、「見せたほうが早いな」と呟くと、やおら、立ち上がった。
僕と火炎が見ているまで、父は着物をめくり、胸を見せた。
その左胸から何かが突き出している。
短剣の柄だ。刃は完全に胸に沈んでいる。
「翼王の呪術が込められた短剣は、俺をすでに仕留めつつある。だが逆に、ここが好機でもある」
父が坐り直し、話を続けた。
「翼王の全てを俺が呪術をもってこの身に集め、再び一つにする。それをお前と火炎で倒す。そうすれば翼王は滅び、すべてに終止符が打てる」
「この身に集めるとは、どういうことですか?」
「俺が翼王になる、ということだ。この体は翼王の器となり、そしてお前たちが破壊する」
そこまで聞けば、事情は誰にもでわかる。僕も思わず食ってかかっていた。
「そうしたら、父上は死んでしまうではありませんか。父上の肉体を破壊するなど、そんなことは、できません」
「やるしかないのだ、青。お前だけがそれを遂行できる」
「やれません!」
思わず怒鳴った僕の方に、父が手を伸ばしてきた。
強い力が、ぐっと肩を握る。
「お前を信じる。酷なことを要求しているのもよくよくわかっている。しかし俺はお前を信じているんだ、青。お前には先へ進む力がある。意志もある。それを見せてくれ」
先へ進む意志。
それは今、僕の中で最も揺らいでいるものじゃないか。
これからの旅を思い描けない僕に、先へ進む意志などあるだろうか。
「やってくれ、青。お前を信じている」
目元が熱くなり、思わず手で押さえた。声を押し殺して、僕は涙をこぼし、ゆっくりと呼吸した。
頭に父の手が乗る。
「すまないな、青。もっと別の形で会えればよかったが、これが限界だった」
「いえ、そんなことは……」
しゃくりあげそうになるのを抑えるのに必死で、そんな言葉した言えない。
父は僕の頭を撫で、もう一度、肩を掴んだ。
「青、お前は俺の誇りだよ。よくここまで技を練り上げた。立派だ。これから先のお前を見れないのは残念だが、そこには無限の未来があることを忘れるな。そして、常に自分を見守る者がいることも」
堪えきれずに、僕は声を漏らした。
呼吸が整ってから、よし、と父は立ち上がり、僕と火炎に離れるように言った。
「俺の肉体に翼王を封じ込める。そこをお前たちで倒してくれ。それだけだ」
僕と火炎は、ただ頷いた。
もっと話をしたい。父も同じことを考えているのは、はっきりとわかる。だけど無情にも、そんな猶予は与えられなかった。
最後の戦いに勝っても、父はもうそこにはいないだろう。
でもこれが、僕たち親子の運命かもしれない。
「青、達者で暮らせよ」
父が笑う。清々しい笑みだ。
「会えて良かったよ」
その言葉を残して、父は目を閉じた。
光が瞬き始めたかと思うと無数の紫電になり、父の全身をそれが走り抜ける。デタラメに体が震えるが、倒れはしない。
部屋中が明滅し、その中心でついに父は動きを止め、立ち尽くしたまま、うな垂れた。
ぐるりと顔がこちらを見る。
禍々しい表情だ。
覚悟を決める、などという生温いものではない。
自分の心を殺す決意が、僕の剣を走らせた。
一撃で、父の首が宙に飛んだ。
(続く)




