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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第二部 雷士
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2-4 人を切ること

     ◆


 余裕たっぷりなことに、寺に駆け込んだその夜、春和尚が酒を持ってやってきた。

 俺としては毒を警戒するし、酔っ払って深く眠り込むのも避けたいので、それとなく遠慮すると、春和尚は一人でちびちびと飲み始めた。

「なぜ人を切っているのだ? 雷士」

「今は火炎と名乗っている、そう呼んでくれ」

「なぜ人を切る、火炎」

 俺は質素な料理をゆっくりと食べつつ、いい加減に返事をした。

「誰かが人を切ったからな。だからそいつを逆に切りたい奴が生まれる。で、そいつが人を切れば、また人を切る必要が生じる」

「そんな道理はない。人間はどこかで自制できるはずだ」

「僧侶なだけあって、高潔な精神を持ってるな」

 皮肉というより挑発だったが、春和尚は乗ってこなかった。

「お前がむやみに人を切るとは思えない。おそらく、縁故のあるものを切られたのだろう。その怒り、不条理への反発は、おそらく正しいのだろう」

「俺を肯定してくれるのか? ありがたいね」

 実はちっともありがたくもないが。

 春和尚は器を少し傾ける。

「しかしお前は今や、お前から何かを奪ったものと同じ立場にいることを忘れるな。私とて、部下を殺されたのだ。お前を殺す道理がある」

「俺を切れるかい?」

「やってみなくてはわからない。だが、それに挑戦する気にはならないな。私も歳をとった。丸くなったわけではなく、世というものを悟ったのだろうな」

 世?

「今、この永という巨大な国は、良くも悪くも、正常に機能している。一部の役人の汚職や、一部の軍人の暴走はあっても、陛下と廷臣たちはうまくやっている。大半の国民は平穏に、何事もない生活をしている。そんな彼らに私たちのようなもの、裏で何かに異を唱え、反抗する存在は異質に見え、また許容されない。だから、息を潜めて、静かに暮らす。何も知りません、という顔でな」

「僧侶として、ということだな?」

「そうだ。だが、心の奥底では、何十年も前の、盗賊の血が疼いているのだろう」

 会話が途絶える。俺は茶を啜った。こうなっては酒をもらっても良かったし、春和尚は器を二つ持ってきていた。しかし俺は酒は我慢した。慣れないことをするわけにはいかない。

「役人の不正といったが」俺はふと思いついたことを口にした。「乱空と相羽の街の役人は繋がっているのか? 賄賂のようなもので」

「この街の闇商売は、乱空が仕切っている。役人もそれを認めているよ。むしろ甘い汁をすするくらいだな。私もそこに密かに噛んではいたよ。寺を家捜しするような奴は珍しい。そこは赤眼も同じだろう」

「噛んでいた、といったが、なぜ過去形だ?」

 ピクピクと瞼を震わせつつ、春和尚がこちらを見る。

「お前をかくまってしまったから、私たちは乱空には顔向けできないし、役人も私たちを果たして、放っておくかどうか。お前はそれくらい、大きな存在なのだよ。自分がどういう立場か、わかっていないのか?」

「正直、わかっていない」

「雁県が莫大な額の賞金をかけているし、いくつかの闇組織がやはり懸賞金をかけている。その体格と、大きすぎる剣。目立ちすぎるのに、なぜ変えない?」

 体を小さくすることはできないよ、と笑いつつ、俺は傍に置いてある剣を見た。

 この剣とは、長い時間を過ごした。そしてその出自は、俺にとっては一つの希望であり、灯火のようなものだ。手放すわけにはいかない。

「いろいろと事情があってな。ちなみに俺にかけられている賞金は?」

 春和尚が静かな口調で言った金額は、途方もない金額だった。十年間は豪遊して過ごせるだろう。

「あんたが俺を縛り上げないのが不思議だよ」

 そういう俺に、春和尚が乱暴に器を床に叩きつけるように置いた。

「できるならしたいさ。だが、もう仲間を殺されるのは、嫌なんだ。五人や六人は切られるだろう。その代わりにいくら莫大な銭を手にしても、その失われた仲間は、もう戻ってこない。わかるか、雷士、この重要性が。人を失うことの本当の意味を、お前はわかるか?」

「わかるさ……」

 春和尚が言葉にせずに伝えたいことはわかる。

 人を切ることなどやめろ、と言いたいだろうし、人を切るべきではない、とも言いたいのだろう。

 何より伝えたいのは、きっと、人を失うということ、その悲しみと、喪失感の大きさか。

 俺だって人間だ。人を失って、涙も出ないほどの悲しみに打たれたことがある。そして彼らは二度と戻ってこなかった。

 だから代わりに、俺から彼らを奪った連中を、この世から消した。

 当然のことだと思っていた。今も思っている。

 でも実は違うのではないか、と思い始めた自分も、ちらちらと何かの陰から俺自身を見ている。

 初めて人を切って、大勢を虐殺して、短くない時間が過ぎた。

 俺も世というもの理解し始めたようだが、しかし、この手で奪った命は、二度と蘇らないのだ。それは呪術を使っても無理だし、おそらく理力でも無理だろう。

 つまり俺は償えない罪、贖えない罪を、やっと感じている。

 春和尚が何か言おうとした時、外から悲鳴のようなものが聞こえた。春和尚が素早く立ち上がる。とても酔っているようには見えなかった。

 すぐに廊下を誰かが走ってきて、戸が開いた。僧侶の顔が血の気を失っているのが、燭台の明かりの中でもよく見えた。

「乱空の一味です、全部で十人はいます」

 ゆらりと俺は立ち上がり、剣を背中に背負った。

「雷士、ここは寺だぞ」

 押し留めるように春和尚がいうが、俺は笑ってみせてやった。

「それは連中に言えよ」

 廊下に出て、表へ向かう。人の怒鳴り声が聞こえる。確かに十人ほどはいるようだ。

 廊下を渡りきらないうちに、前から複数の足音がして、奴らが現れた。

 手に手に短剣を持った男たちは、明らかに殺気立っている。僧侶が巻き込まれなければいいが、既に手遅れかもしれない。

 先頭の男が何か叫んで、突っ込んでくる。

 俺の手が背中の大剣の柄にかかり、一息に振り抜いた。

 湿った音と同時に、赤い斑点が周囲に散った。




(続く)


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