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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十六部 再会と決着
109/118

16-2 対面

      ◆


 三日後、円凌がやってきた。

 その時になっても、僕は踏ん切りがついていなかった。

 ついていなかったけど、答えを出さないわけにはいかない。

「案内していただけますか?」

 それが僕の答えだった。

 聞いた円凌は一度、頷いてから綻ぶように笑った。

「龍灯殿も喜ばれると思います。今からでもよろしいですか?」

「ええ、はい」

「お一人で、としたいのですが、お連れ様は……」

 火炎の方を見ると、力強い頷きが返ってくる。行って来い、と言いたいようだ。

 身支度を整えて、僕は円凌とともに外へ出た。

「何でも理力を使われるとか」

 大通りを歩いて街の中心へ向かう中で、円凌が話し出した。

「龍灯殿がそのようなことを言っていました。お母上の血筋でしょう?」

「よくわからないのです、申し訳ないですが」

 道標の系譜、などということは、つい最近、知ったことだ。何も知らないに等しい知識しかない。

「父は知っているのですか、その、様々なことを」

「よくご存知です」

 どこか円凌は誇らしげだ。

 自分たちが正しいことをしている、ということ、その自信の現れだろうか。父を守ることに、そういう自信を与える要素があるのか。

 そうか、翼王から守り続けているのだ、それは自負を伴ってもおかしくない。

 円凌は僕に剣術について訊ねてきた。理力使いのことを知っているのだ、師匠のことも話してよかっただろう。でもどこか、秘密にしたい、父にだけ話したい、という思いが働いたようで、円凌には曖昧なことしか答えなかった。

 そのうちに守備隊の本部だという建物に入った。受付で、円凌が身振りでそこにいた係員を制して、僕を奥へと誘う。

 通路の行き止まりのようなところにあるドアを開けると、地下へ続く階段がある。踊り場を一つ二つ三つと降り、扉を開けると、じっとりとした空気が漂った。

 小さな灯が灯っている。蝋燭ではなく、何かの液体、油のようだ。

 その通路の両側には牢が並んでいるが、誰もいない、全くの無人だ。

 ずんずんと円凌が歩いていく、僕も慌てて後を追った。

 突き当たりの牢の中に、誰かいる。

「龍灯殿」円凌が声をかける。「龍灯殿、龍青殿をお連れしました。龍灯殿」

 屈みこんでいた男が起き上がった。

 離れています、と頭を下げ、円凌が通路を戻っていった。

 それを見送ってから、牢に向き直る。

 鉄製の格子に歩み寄ってきたのは中年男性だった。もちろん、初めて見る顔である。

 やや痩せているし、体の線も細い。

 ものすごく弱っているように見えるその男性が目を細め、僕を見た。

「龍青か? お前が、龍青?」

 感動は、全くなかった。あったのは混乱と、戸惑いだった。

 この人が僕の父親?

 違う、この人ではない、という思いがある。でもそれは、僕の中の想像とかけ離れていることからくる、独善的な発想だろうか。

 何か、僕と通じるものを探すように僕はじっと男性を見た。

「あなたが、父ですか?」

 そんなことを言っていた。まるで、信じていない、疑っているような言葉じゃないか。

 瞬間的に恥じる気持ちが湧いてきたが、自分の言葉を弁明する前に、男性が言った。

「お前が信じられないのも無理はない。お前は、私が最後に見たときはほんの一歳にもなっていなかったのだから」

 懐かしがっているような声だった。

 そうか、この人も、僕の顔を知らないのだ。

「いえ、父上……、父上、お会いしたかったです」

 何かが頬を伝った。

 手で触れると、濡れている。僕は、泣いているのか?

 目の前で父が笑った。彼の頬も濡れている。泣いているのだ。

 しばらく二人でお互いに笑みを見せた。

 目元をぐいと拭って、僕は鉄格子に近づいた。

「翼王に狙われているのでしょう? ここは本当に安全ですか?」

「ああ」父が微笑む。どこか力のない笑みだった。「しかし、お前をここへ招くのは、危険と隣り合わせだ」

 表情を改め、先を促す。

「どういうことでしょうか」

「翼王の手の者がどこにいるのか、それは誰にもわからない。翼王はどこにでもいるのだ。奴には体がない、空間というものさえも超越する。その上、私が精神に過ぎない奴を引き裂き、無数の精神に変えてしまった」

「それが翼王の一貫性を奪った、と聞いています」

 お前も何もしなかたわけではないのだな、と父が頷く。

「翼王は矛盾を抱えている。それを利用すれば、ある程度は行動を制限できる。だが奴は不死で、時も空間を無視する存在であることを忘れるな」

 心します、と頷いた。

「何をすればいいのでしょうか? 僕にできることとは?」

「理力を身につけただろう? 花凛にはその素質を持つ血が流れている。道標の系譜、という理力の流れに非常に近しい血筋だ」

「理力の修行をしました。父上が僕を預けた襤褸様が、僕を導いたのです」

「お前の理力は翼王の最も恐れることではある。だが同時に、翼王はお前の血を欲している。お前の血に流れる、道標の系譜の因子を求めているのだ。それさえあれば、翼王は自身をただの漠然とした、拡散した意識ではなく、理力による確固たる個体として再構成することができる。それが奴が唯一、望むことだ」

 正令の言ったことはおおよそ正しいようだ。

「僕も身を隠すべきですか?」

「それがいいだろう。私ももう少しお前と話をしたいが、それほどの時間はないな。すぐに身を隠せ。襤褸殿のところでもいい。今は一人か?」

「いえ、友人が二人います」

 思わずそう答えると、父は頷いて、格子の隙間から手を伸ばし、僕の肩を叩いた。あまり力のこもっていない、弱々しい重さだった。

「友人は大事にしろ。お前を助けてくれるだろう」

「ええ、それは」思わず笑ってしまった。「よくわかっています」

 ここに来るまで、火炎にも、紅樹にも助けられた。

 二人のことは、もう僕の一部のように感じていた。

 父の手が、僕の腕を掴んだ。

「お前とこうして対面できたことを嬉しく思う。しかしここまでだ。最後に一つだけ頼みがある。聞いてもらえるか? 重要なことだ」

「はい、なんでしょうか?」

 わずかに父が声をひそめる。

「私にも理力の守りが欲しい。お前の血を一滴、私にくれないか」

「血を、ですか?」

「道標の系譜の守護があれば、翼王を遠ざけられるはずだ」

 反射的に頷いて、背中にある二本の剣のうちの片方をわずかに抜いて、指を切った。

 父が差し出す手のひらに、僕は自分の手をかざす。

 指先に血の滴ができ、ゆっくりと父の手のひらに向かって落ちた。

 赤い点が、父の手のひらにできた。

 それを父がじっと見てから、ぐっと手のひらを握って、僕を見た。

「ありがとう、龍青」

 父は笑っていた。

 笑っていたが、それがどこか歪み、何かがおかしい、と僕が思ったときには、父の体は明らかに膨張していた。

 反射的に一歩、二歩と下がったときにはまるで風船のように父の体が膨らんで、あっと言う間もなく、弾け飛んだ。

 血が押し寄せてくる。

 いや、収縮していく。

 真っ赤な飛沫が僕にも、壁にも床にも天井にも飛び散ることはなく、牢の中で球体になった。

 その球体が、不気味に、蠢めいた。




(続く)


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