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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十五部 雪に囲まれた世界
103/118

15-3 過去

     ◆


 外では雪が吹雪いているようで、戸が揺れると同時に、何かがサラサラと音を立てる。

 団子を食べ終わり、お茶になった。

「牛を飼っていてな、あまり知識もないが、牛の乳はなかなかうまい。温めて、砂糖を入れるのだよ」

 暖炉の上の鍋から注がれた白い液体が、器に入れらて全員の手に回った。

「龍灯は、そういえば、かなり痩せていた。それが旅の厳しさを示しているのだろうな。眠っていた時間も短かったが、後になると、あれは呪術の影響だったかもしれない。あまり日常生活に支障はなさそうだったが、何かはあったはずだ」

 ズズッと牛乳をすする。確かに甘く美味しかった。眠くなりそうな味だ。

「襲撃者を切った後だったが、龍灯もさすがに堪えたのだろう、私と囲炉裏を囲んで話をしたことがあった。曖昧な内容だったが、あれは彼の過去に関する話だった」

「ぜひ、聞かせてください」

 器を下げて、意気込んで訊いていた。うん、と東計が頷く。

「何も知らないまま、運命的に出会った女と結ばれたが、それが正しかったか、今になってはわからない、と言っていた。後悔しているのか、と問う私に、後悔したくないが、どうしても後悔が忍び寄ってくる、と言っていたよ」

 ゆっくりと、牛乳を東計が舐めるように飲んでいる。

「自分がもっと強ければ妻を守れた、こんなことになるなら初めから戦う術を身につけるべきだった、そうも言っていた。私はどう答えるか迷って、後悔は後からやってくるから後悔なのだ、としか言えなかったよ。それを聞いて龍灯は、微かに笑って頷いた」

 僕の頭の中で、この囲炉裏を挟んだ向かい側に、父親が座っているような気がした。

 そしてどこか悲しげに佇んでいる。

「彼は自分の力は、自分の願望の醜悪な側面だと、言ったな」

 顔を上げると、東計は目を閉じている。しかし口は動いた。

「妻を殺されたという悲劇、そこから来る憎悪が、自分から正気を奪い去ったと言っていたよ。それと、自分の息子だけは、絶対に守ると決めた、とも。そういう彼の様子は、確かに怒りに駆られていたし、憎悪に支配されていた。しかし、醜かったかは、私にはわからない」

「東計殿には、どう、見えましたか?」

「必死なのだろう、としか思わなかった。なりふり構わぬ、というかね。それは確かに、綺麗なものではない。がむしゃらで、ジタバタと暴れているようなものだ。ただ、そうやって彼が必死に周りから守っているものは、美しいものに思えた。亡くなった奥方を、守っているのだ。なりふり構わぬとも、がむしゃらであろうとも、それは人としては、褒められることだろう。違うか?」

 ええ、それは、と答えるしかない。

 父は、僕のためにも戦っていたのだ。

「龍灯と話している中で、争いを終わらせる方法を話したことがあったな」

「争いを終わらせる?」

 見ると、東計は何度か頷いている。

「正義と悪の戦い、などというものはこの世にはないのだ、と龍灯は暗に言っていた。誰にも悲劇があり、取り返したいものがある。誰かから奪ってでも手に入れたいものがある。奪えば、今度は奪われたものは、奪われた報復を始める。どこかで誰かが手を引かなければ、争いは終わらない。そういうことだった」

 そんな話をしたのか……。

「人は争いを捨てられるのか、議論になり、私は蛮族の話をしたよ。傷つけ、奪い続ける奴らのことを。それは救いがないですね、と龍灯は笑ったな」

 そう言っている東計も笑っている。

 おかわりはいるかな? と、先に器を空にしていた火炎に声をかけ、火炎が器を手渡すと、僕ももう一杯飲むか、訊かれた。ありがたく器を手渡した。

「龍青、お前の争いも終わらないものなのかな?」

「ええ、それは……、終わりは……」

 僕はどこでこの旅を終わらせればいいんだろう?

 父親にたどり着けば、そこで終わりか。翼王は放っておくだろうか。

 最初の目的は翼王から父親を守るはずが、ただの追いかけっこに終始している。

 目的は変わるものだけど、譲れないものはあるはずだ。

 きっとこの旅で譲れないのは、父と会う、ということだろう。何が起こるかはわからない。会ってみなくては、何もわからない。

 翼王からの魔手を凌ぐために協力できるのか、それとも父はやはり一人で逃亡を続けるのか。

 とにかく、会うことだ。

「私に家族はいるのか、と聞いたこともあったな」

 湯気の上がる牛乳を手に、東計が戻ってきた。

「家族?」火炎が器を受け取りながら訊く。「東計殿に家族がいるのか?」

「もう三十年は前にいたよ。殺されたがね。妻と、娘が二人いた」

 場の空気が重苦しくなるけれど、東計はそれほど気にもしないようだ。

「妻と一緒に牧の仕事をしていた。ある時、蛮族がやってきた。剣で脅し、娘を連れ去ろうとした。妻は蛮族を止めようとして、怒りに駆られた蛮族の一撃で胸を切り裂かれた。妻は倒れ、娘二人はそのまま連れ去られた。それ以降、会うこともないな。私は一人になり、そのままだ」

「蛮族に」僕はじっと東計を見た。「怒りはないのですか?」

「龍灯と私は、おそらく似た心境だろう。争いを終わらせるために、誰かがどこかで全てを受け止める、ということだ」

「蛮族への復讐心を、東計殿は自分の中に押し殺し、それで争いを避けている、争いを否定している、ということですか?」

 そうなるな、と自分の器に口をつけ、東計はこちらを穏やかに見やる。

「今でも蛮族は好きになれないが、しかし争いで全てが解決するのではない。争いの本質は、奪うことだ。奪った方はそれでいいかもしれないが、奪われた方は、その空白や痛みをそう簡単には受け入れられない」

「でも東計殿は受け入れた?」

「時間だよ、龍青。時間は何よりも密かに、しかし確実に、人間の心を癒す。何気ない日々の連続が、心のささくれを少しずつ、消していくのだ。わかるかな?」

 わかります、と答えたけど、自分がそんな境地に立てるかは、自信がなかった。

 僕は母を失い、父は妻を失った。僕は幼すぎて、母のことを覚えていない。でも父の中には彼女の顔があり、何もなければ今もそばで笑っていた、ということを想像してしまうだろう。

 その世界を破壊した相手を、父は許せるのか。

 僕がその立場だったら許せるのか。

「東計殿は何もしなかったのか?」

 急に火炎が言った。そちらに視線を向けて、東計がうっすらと、悲しげに笑った。

「私には武術の心得はなかった。だから、蛮族に馬を贈ったり、銭や金の粒を送ったりして、どうにかして娘を取り戻そうとした。妻のことは水に流す、とまで言ったよ。しかし蛮族は馬を受け取り、金の粒を受け取り、それきりだ。娘が帰ってくることはなかった」

 もう顔も忘れたよ、と東計はつぶやき、牛乳を少しだけ飲んだ。

 いつの間にか牛乳が冷めてきて、僕は一息に飲み干した。

 その時、戸が軽く叩かれた。全員がそちらを見て、東計が「客の多い夜だな」と言って、そちらへ歩いて行った。



(続く)


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