15-2 思い出
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ガタガタと建物が揺れるほど、風が強くなった。
何か食べるかね、と東計が一人で部屋の隅にあった戸棚から干物を持ってきた。魚のようだ。内臓が出されているのが見えた。
「龍灯はこれが好きだったよ。特別に味が付けてある」
串も用意され、囲炉裏に魚の干物が立てられる。
「他の馬はどこにいるんです?」
火炎が訊ねると、身振りで東計が周囲を示す。
「この建物を中心に、四棟、厩舎がある。それは全部が馬のためにある。今、二十頭くらいいるかな」
「二十頭? それは少ないですね」
「ちょうど売り払った後なのだよ。蛮族は冬でも活動する」
「ここより北にいる連中ですね? どこで何に馬を使うんです」
何気なく、東計は干物の向きを変えながら答えた。
「さらに西の方へ攻め込んでいるそうだ」
「西ね」
何かを感じさせる調子で、短く火炎が言う。気になったけど、黙っていることにする。
「蛮族も商売相手にはなるが、まぁ、連中は金銭の感覚が我々とは違う。根っからの盗賊、力で奪うことを是としているのだな。より人間らしい、というか、原始的というか、まぁ、そういう奴らだ」
ぼやくように言いながら、東計はまた席を立ち、器を持ってくるとそこに粉を入れて、水も入れた。練り始める。団子、もしくは、饅頭の皮のようなものが出来上がっていく。
「龍灯の話だった。あの男がやってきたのも、冬だった。やってきたというか、行き倒れていた。死んでいるかと思ったが、息があった。運び込んで、ありったけの服を着せてな、白湯を飲ませて、汗をかいたら服を変え、全く大変だった」
生地が出来上がり、東計が串にそれを玉にしてくっつけ、囲炉裏の干物の横に立てた。
もう干物がいい匂いを発していた。
まだ食べちゃいけないのかな……。
「目が覚めて、ここはどこかと聞いてきた。私は地図を見せて、おおよその場所を示した。それで龍灯は納得したようで、自己紹介して、しばらくやっかいになりたいと言い出した。金の粒を渡す、と言われたが、私はそれを断った」
「なぜだい?」
じっと干物を見ながら、火炎が訊ねる。干物からは脂が滴っていた。
「不思議な奴だったよ、龍灯というのは。金の粒などいらないから、しばらく話し相手になれ、とこちらから提案していた。彼は恐縮していたが、最後には受け入れた。雪が深い年で、やることはほとんどない。馬の世話を二人でやった。二人でやるほどじゃないから、すぐ終わる。あとはずっと話していた」
「どんな話です?」
「そうだな……、そろそろいいぞ」
干物が僕と火炎に手渡された。火炎はハフハフ言いながら早速、かじりついて、嬉しそうな顔になる。
「こいつはうまい。どういう調味料だ?」
「野に咲いている花の種に、香辛料のようなものがある。あまり数はないが、春から夏にかけて、牧のそこらじゅうに生えるのでね、一人分はゆうにある」
「初めての味だな。なぁ、龍青?」
「うん、前に香辛料をもらったけど、あれとは違う」
話が脱線し、しらばく三人で香辛料について議論していた。
「龍灯の話だったな」やっと東計が話を元へ戻した。「永をひたすら旅をしている、と話していた。どうしても逃げることのできない相手から逃げるので、苦労しかない、と話していたよ。私は、そんな相手なら逆に倒してしまえ、と話した。彼は、やってますよ、と笑っていたな」
「やっている? そう言ったんですか?」
僕の質問に、こくりと東計が頷く。
「やってはいるが、無理ですよ、とも言ったな。それくらい強力な相手なんだろう、と私は考えた。結局、あの男は誰に追われているか、私には最後まで話すことはなかった」
「そうですか……」
「ただ、三回、いや、四回だったか、何者かが夜の間に忍び寄ったことがあった。人間だったが、あれは正気ではないな、操られているようだった。あんな服装では雪の中を突破できないから、すぐわかった」
それは、翼王に操られた人間、ということか。
「その人を、どうしたんですか?」
「私には建物の中にいるように言って、龍灯が一人で外へ出た。剣を持ってな。少しして何かが倒れる音がした。さすがに不安になって、私も外へ出た。男たちは全員が倒れていたよ。龍灯は困ったような顔で、怖いでしょう? と言ったが、私は慣れていた」
慣れていた?
視線を向けると、まさに今の東計が困ったような顔になった。
「こんな北のはずれで生活していて、血を見たことがないものなどいないよ。蛮族は容赦なく、人を殺す。血飛沫も、死体も、内臓さえも、見慣れているものだ」
馬が少し静かになった。火炎が団子の向きを変える、焦げ目がこちらを向いた。
「二人で死体を埋めた。雪を掘って、それから凍った土を掘るのは骨だったな。しかし、どの死体も見事な一撃で倒されていて、凄まじい腕前だとわかった。そのことを龍灯にからかい半分で指摘してやると、呪術の一つです、と彼は答えた。一つ、という言葉が引っ掛かり、少し問いを重ねると、全部で三つの呪術を身に受けた、と教えてくれた」
「三つ?」
全く知らない話だった。
そもそも呪術をいくつも身に受けるのは、ほとんど命を捨てるのに等しい。代償に多くの要素を奪われ、生活できなくなるはずだ。
「私は、そんな冗談は笑えない、と答えた。すると龍灯は、冗談なら良かったんですが、とわずかに顔を俯かせた。それで、この男は本当のことを言ったな、と私は考えた。しかしそれ以上は聞かなかった。呪術を身に受けての苦痛は、私にはどうすることもできない。それは龍灯自身が背負うものだしな」
そんなことがあるとは、にわかには信じられない。
なんで父親がそこまでしたのか、僕にはすぐには理解できない。
でも、少しずつ想像が進んだ。
僕を守るためだったんじゃないか。もしくは。母さんの仇を討つためだったかもしれない。
とにかく、戦う必要があった。翼王を倒しきれず、事態を悪化させたと考えただろうことは、想像に難くない。その責任を、全てを終息させる手段として、呪術を選んだ。
父には、理力という選択肢はなかった。
「他には何か、言っていましたか?」
「襲撃者に関しては、私にも気をつけるように念を押した。おそらく見境なく襲ってくるだろう、と言っていたな。だから二度目からも、私は戦いが終わるまで、家の中にいた。龍灯がどんな技を使ったかは、知らんよ。ほら、団子が焼けた」
今度は団子の刺さった串が僕と火炎の手元に来た。
「このタレをつけて食べろ。甘辛くて美味い」
小さな容器が手渡され、その中の粘り気のあるタレを団子に垂らす。また火炎の顔が嬉しそうな色に染まった。
「話し合いができないのか、と私が言ったこともあったな」
囲炉裏を見ながら、東計が言う。
「話が通じる相手ではない、と一蹴された。でも強い口調ではなかった。龍灯はいつでも、どんな場面でも、人を切った後でも、何かを悔いているような男だった。私を前にすると、明るい様子を見せる。その奥にある影が、わずかに、私には気になったよ」
影、か。
僕はゆっくりと団子を噛みつつ、東計に倣うように囲炉裏を見ていた。
(続く)




