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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十五部 雪に囲まれた世界
101/118

15-1 雪の中で

     ◆


 僕たちが北天峻険府を出て、一週間が過ぎている。

 周囲は雪で真っ白だった。そこに点々と僕と火炎の足跡と、馬の足跡が残っている。

 北天峻険府は山の中にあるようなものだったのに、その北部こそ真の平野で、目印になるようなものがない。

 出発する前に北部に詳しい人から話を聞いたけど、目安は川が一番で、次が丘だ、と教えられた。教えられたけど、丘は全くわからない。

 川にも辿り着いていない。

 どこかで間違った方向に運んだ可能性があった。しかも時折やってくる猛吹雪で視界は閉ざされ、進むどころか野営も楽ではない。

 これはちょっと覚悟を決めて、歩き続けるべきか、それとも諦めて引き返すべきか、考える必要があった。どちらにせよ、楽ではない。

「まずいんじゃないか? なぁ、龍青」

 ちょうど吹雪に見舞われていて、口元まで防寒具で覆っているため、背後からの火炎の声はくぐもっている。僕も同じ有様なので、くぐもった声で言い返す。

「僕もそう思っているよ」

「このまま歩き続けて、どこに行ける?」

「牧があるはずなんだよ」

 それが唯一の手掛かりだった。

 北天峻険府で集めた情報で、さらに北の一帯では蛮族が横行している一方で、名馬の産出地として、牧を営んでいるものが複数いるらしい。

 父親がどこへ行ったにせよ、北へ行って落ち着く場所は牧以外にない。

 冬の牧がどうなっているかは知らないけど、まさか春までは待てなかった。

 で、雪を押しての行軍をしたものの、立ち往生住寸前である。

 火炎に謝りたかったけど、謝ったところでどうなるものでもない。

 しばらく進んで、いよいよ吹雪はひどくなり、視界もどんどん見通しが利かなくなる。これでは夜通し歩くのも危険だろう。

 参ったな。どうしたら……。

 と、前方に何かが見えた。思わず足を止める。すぐ横に火炎が進み出てきた。

「どうした?」

「今、何か……」

 そう言いかけたところで、いきなりそれが現れた。

 馬、いや、人も乗っている。

 帽子をかぶり、襟巻きをしているので、顔は見えないが、小柄だ。

「何をしている?」

 しわがれた声が吹雪の中でも綺麗に聞こえた。

「牧を探していて迷いました」

 正直に答えると、僕の隣で「迷っていたんじゃないか」と火炎が呟く。

 老人らしい騎乗の男が手綱を引いて、馬首を巡らせる。

「ついて来い、二人とも。はぐれるなよ」

 慌てて僕たちはさっさと馬を歩かせ始めた男を追った。

 どれくらい進んだのか、周囲の景色が見えないので何もわからなかった。

 やがて何かがすぐそばに並んでいると思うと、柵だった。牧なのか?

 進むうちに前方に建物が現れる。かなり大きい。厩舎だろうか。屋根が傾斜していて、雪が自然と落ちるようになっているようだった。

 目の前で老人が地面に降り、大きな扉を引きあけた。そこへ馬も入れている。僕たちも自分の馬を連れて中に入った。

 屋内だから、だいぶ寒さがなくなった。

 案内してくれた男は建物の奥で暖炉のようなものに薪を次々と放り込んでいる。すぐに火が大きくなり、その明かりで室内が照らされた。

 小柄な老人が帽子を外すと、かなりの高齢だとわかった。正令と同年輩だ。しかしこちらの男性の方が生気に満ちているし、迫力もある。

 僕も火炎も素早く防寒着を外し、頭を下げた。

「龍青です。助けていただき、ありがとうございます」

「火炎です。ありがとうございました」

 老人はしげしげと僕たちを見てから頷くと、身振りですぐそばの段差を示した。

 実に奇妙な家だった。

 屋内を仕切る壁というものがなく、馬のいる場所と人間のいる場所の違いが、まさに段差のようなものだけだ。つまり屋内にかなり広い土間が作られている。

 僕と火炎は段差に腰掛け、馬が水を飲み始めているのを横目に、老人の様子も観察した。

 暖炉の上にだいぶ黒ずんでいるが金属板があり、上に鍋が置かれている。老人はそれを匙でかき回し、何かの粉を入れている。

「南から来たのだな? 龍青、火炎」

「はい、人を探しています」

「こんな北のはずれにか?」

「ええ、はい、その、事情があって逃げている人です」

 逃げている? と、老人が振り返った。

「自分たちがどこにいるのか、知らんのか?」

 変な質問だったけど、ええ、としか答えられない。老人は呆れた顔になった。

「この牧は永の中で一番北にあるだろう。お前たち、私と会ってからどの方角に歩いたか、覚えているか?」

「方角も分からない有様でして」

「お前たちと会ってから、私はおおよそ東に進んだのだ。そしてお前たちが向かっていたのは北、つまりお前たちは、何もない場所、蛮族の領地に一直線だったのだよ」

 そうだったのか。それなら老人に会えたのは、かなりの幸運だ。

「その、ご老人は、あそこで何を?」

「記録を取りに行った帰りだった」

「記録?」

「積雪量だよ。それが老人の趣味ということだ」

 そう言いながら、老人が壁に近づいて、それで僕は気づいた。

 壁には大きな地図が貼られ、何か印が書かれている。その印が積雪量なんだろう。見れば部屋の隅には丸められて筒になった紙が大量に入った箱がある。

 変な趣味だが、他にやることもなさそうだ、こんな人里離れた場所では。

「私の名前は、東計という。それで、お前たちの目的地は?」

「追っている人が牧に身を寄せているだろう、と推測していますが、どの牧なのか、そこがどこなのかの正確な位置も分からない有様なんです。恥ずかしいことですが」

「残念だが、私はあまり人と接することを好まない。他の牧のものとも、それほど交流はない。探しているのは、なんという名前だ?」

「龍灯、と言います」

 ピタリ、と東計が動きを止めて、まじまじと僕を見た。

「ご存知なんですか?」

「ご存知も何も、一時、共に暮らした」

 僕は思わず火炎を見てしまった。火炎は器用に片方の眉だけを持ち上げている。

「今は、どこへ?」

「だいぶ前に北へ向かった。蛮族の中に逃げるつもりだったようだが、あの男は犯罪者には見えなかったし、そのことを訊ねると、罪は犯していない、という返事だった」

 暖炉の方へ戻り、鍋の中身を陶器の器に注ぐと、それが僕と火炎に手渡された。中には濁ったお湯が入っている。

「生姜と香辛料を溶かした茶だ。温まるから飲むといい」

 そう言われて、自分がついさっきまで雪の中にいたことを思い出した。ぶるりと無意識に体が震え、熱い液体を少しずつ飲んだ。

「龍青、お前は龍灯の息子か?」

「ええ。父から何か、聞いていますか」

 ふむ、と東計は段差に腰掛け、じっと頭上を見上げた。もちろん、天井以外には何もない。強度を出すためだろう、梁が複雑に巡っている。

「あの男とは色々な話をした。お前のことも、名前は聞かなかったが、話していたよ。懐かしいな。不思議な男だった。芯に強いものを持ちながら、どこか身軽だった。しかしその一方で、どうやっても下ろすことのできない重荷を背負っているような雰囲気もあった」

 僕はこの旅で二人目の、父親と親密に接した人と会っている。

 僕が知らないことを、この老人は知っているのだ。

 僕は父のことが知りたかった。

「まあ、時間はある。ゆっくりと話すとしよう。旅は急ぎなのかな?」

「あまり予定はないのですがそれほどゆっくりはできません」

「よかろう。雪がやむまで、ここにいればいい。この時期だ、それほど積もらずに止むだろう」

 まず東計が段差の上に上がり、僕、火炎と続いた。

 そこには囲炉裏が切ってあり、炭が小さく燃えて、暖かな光を放っていた。




(続く)


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