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作者: 壱原リンコ



  その日の夕飯時、丁度予定の合った川西純太と村上初音は少し混雑した駅前通りを歩いていた。

 

食事に行こうと適当な店を探してぶらぶらと歩いていたら、目の前の横断歩道を首輪をつけた犬が歩いていくのが見える。

 犬は心もとなげにしながらも器用に人ごみを縫って歩道を渡る。途中で信号の色が変わり、おそらく走ってきた車におびえたのだろう、犬はあっという間に走り去ってしまった。

 

 二人で段々と小さくなっていく犬の姿をしばらく目で追っていたが、途中で純太がはっと気付いたようにきょろきょろと周りを気にしだした。

 「大丈夫かなぁ、あれ迷い犬?飼い主どこにいんだろな」

 辺りを見回してみてもそれらしき人影はない。一度気にしだしたら気になって仕方がないのだろう、そわそわと落ち着きのなくなった純太とは対照的に初音はのんびりと落ち着いたものだ。

 「ちゃんと帰れるのかな。事故に遭ったりしねーかな」

 「そんなことよりさ、もう行こうよ。信号また変わっちゃうよ」

 あの犬へ対する興味をとっくに失っている初音は純太をひっぱって歩こうとするが、それでも純太はまだ気になっているらしく、何があるわけでもないのに犬が消えていった方角をじっと見つめている。だがしかし初音には何が純太をそうさせるのかが理解出来なかった。    

 そもそも犬には帰巣本能というものがあるし、先ほど見たとおり器用に人ごみの中を泳いでいたんだから事故に対する心配もあまり必要なさそうだ。

 お腹が空いたら何食わぬ顔で家に帰って、きっと甘えた声で餌をねだるんだろうに。それにたとえまたあの犬を見つけたって、犬の名前も、飼い主のことすらも知らない二人ではどうすることも出来ないし、第一あの犬がどこへ行こうが関係ない。

 どうだっていいはずだ。


 

 「別に気にしなくたって大丈夫でしょう」



 つんとした初音の態度が気に障ったのか、純太は珍しく眉を寄せて非難するかのようにじっと彼女を見つめた。

 「初音ってさぁ、そゆとこ冷たいよね」

 「そうかな」

 「そうだよ」

 彼がどうしてこの話にそこまでこだわるのか、初音にはどうしても分からなかった。だが純太は自分で話を振っておいてからもどんどん不機嫌になってきている。とりあえず彼の気分を害してしまったことを謝ればいいのかもしれないと思ったが、そもそも彼女にはその原因すらも分からないのだから、それも何だか違うような気がした。

 「純太は優しいね」

 「……初音は優しくない」

 歩きながらあれこれ考えてはみたが、結局どうしたらいいのか分からなくて初音はとにかく頭に浮かんだことを喋る。しばらくして純太はふい、と顔をそらしたままぽつぽつと話し始めた。

 「犬。ああやってあっさり言われるとさ、俺のことじゃないってのは分かってるけど」

 そこまで話し終わって、純太はじっとじっと初音の目を見る。彼女もまたそれを避けることはせずに見つめ返す。一呼吸おいて、純太はまた話し始めた。

 「もしも、俺がいなくなったら、お前はさっきみたいにすぐ切り替えて忘れるんだろうな」

 「……そんなこと」

 ない、とは言い切れなかった。言えなかった。何故か?自信がなかったからだ。何となく気まずい。だがそれと同時に、自分が浮き足立っていることにも気付いた。


 「お前、怖いよ」

 

 消えてしまいそうな声で彼にそう言われて、少々不謹慎かもしれないが初音は今度こそ身体の奥が熱くなるのを感じた。言いようのない幸福感が彼女を支配する。彼の目の中が自分の姿でいっぱいになっていることにどうしようもない悦びを覚えた。

 「そう?」

 だがもちろんそんなことはおくびにも出さずに初音は小首を傾げる。

 純太の心が自分で占められているということが嬉しいのだ。彼の目が自分を非難していることも若干軽蔑の色を帯びていることも今はどうでもよかった。


 ただ、いつもと違うということに初音はどうしようもない優越感を持っていた。自分に向けられた感情がプラスかマイナスかなどはどうでもよかったのである。背中から全身がぞくりとした。

 

 「初音にだけは、そんな風に言ってほしくなかった」


 ばかなこと言ってるって分かってるけど。

 そう続けて、彼は今度こそ黙りこくってしまった。自分より高い位置にある頭が項垂れている。その動きで彼の髪がさらりと揺れたのを見て、初音は嬉しいような苦しいような気持ちになった。心から慈しみたいような、思い切り甘やかしてしまいたいような、いっそ高いところから突き落としてやりたいような。そんな気持ちをすべてない交ぜにしたまま初音は純太の髪に手を伸ばした。

 「うん、ごめんね」

 見た目よりも意外とやわらかい髪を撫でながら初音は彼に笑いかける。自分で確かめることなどできる訳もないが、きっと驚くほど自然な笑顔なんだろうと思った。

 「優しくするよ」

 初音は彼の髪からぱっと手を離し、彼の前を歩く。

 走りたいような叫びだしたいような。

 とにかくとてもとても気分が良かった。彼女とは対照的に相変わらず項垂れたままの純太には、ほんの少しだけすまないとも思う。


 「純太にだけは優しいよ」


 後ろを振り向いたりはせずにそうとだけ言って、初音はまたこっそり笑った。


読んでくださりありがとうございます。

関係ないですが犬の名前で一番ポピュラーなのはやっぱり「ポチ」でしょうか(どうでもいい)。

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― 新着の感想 ―
[一言] いい感じですね。こんな感覚の女性って・・・”あると思います”ちなみにウチの犬はジョンです(爆)
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