ムユージュ‐不法、そして、解脱。「神」から逃れた唯一の国家‐
ムユージュは、蓮国の南西に位置する巨大な国家である。その領土は蓮国に次いでおり、その人口は河川の恵みと高温の気候、多くの降雨による農耕によって支えられている。ムユージュは西方、東方の丁度中央に位置し、インスコインスなどの西方交易国家からは「ムユージュ」、蓮国などの東方国家からは「無憂樹」と呼ばれている。
信仰:不法太子‐師説不法手空法 漢仁女孝一切不法‐
彼らの信仰は元々、他国の神々を全て輸入して形作られていた。しかし、その世界観が全く異なっているように、彼らの信仰は長い間的を得ず、実質的には万の神は彼らを手助けする事をしなかった。その時、ある男が「不法」を説き、神の世界観に疑問を投げかけるようになる。終始一貫性のなかった信仰に疲弊してきた人々は彼に賛同し、彼の思想こそを「神」のように崇め奉るようになる。
彼らは本質的に現世での救済を目的としないし、来世での救済さえも目的としない。彼らは「不法」、即ち「神の法はここに在らず」という思想を基に、一切の信仰と雑念を否定する。あらゆる思想を理性によって証明しようとする彼らの思想の根幹はあらゆる偏見の解消にあり、あらゆる拘りの否定にある。即ち、ムユージュの民は皆、肉体の不存在を求めて日々を過ごしているのである。
文化的叡智
・「不法」
ムユージュの崇める不法の思想は、非常に単純であると同時に非常に複雑である。あらゆる固有名詞を「概念」と定義した不法太子は、この概念こそが神を作り、そして実在するものを作ると解釈した。ここで言う「作る」とは、創世等のような高尚な意味では断じてない。我々が、「固有名詞」とするといった意味である。即ち、彼にとっては家とは家ではなく、そして家であり、そして家であると同時に家でないのである。それは単なる人々の定義であり、この定義を全て取り除く事による純粋な世界こそが、彼の言う「不法」である。そして、ここに至って初めて、あらゆるものは存在すると同時に存在しない、あらゆる所有は存在すると同時に存在しない事を悟るのである。これによって人々は自らの魂からさえもこだわりを捨てる事に成功する。あらゆる雑念を放棄した彼らは、皆一様に幸福であるという。
・ムユージュ式数字
ムユージュの様々な概念を確認しようとする国民性はケテルビアのそれに非常に近いが、彼らはこの「概念の解体」と「概念付け」を数学にも応用した。それが、「ムユージュ式数字」である。
元々、数字の記載方法は数々あったが、いずれも、複数の数字を乗算する事によって、より大きな位を表記していた。その為、より大きな位になると数字の長さが膨大となり、記録の間違いや計算の間違いのもととなっていた。
しかし、ムユージュは、これを「不」という概念の追加によって解決した。「不」とは、存在しない事、即ち、「その位には数字がない事」を示す概念である。これによって、ムユージュは数字の連続がその桁数に存在する数であるという概念を発見し、非常にコンパクトに数量を記載する事を可能にした。この、ムユージュ式数字は、後に神を作るケテルビアが西方に広めた事で一気に世界に拡散し、ムユージュは一躍先進文明と見なされることとなったのである。
国家の問題
・失われた生への執着
不法の思想は、社会全体で見れば譲り合いを促進し、多くの幸福をもたらしたが、ある方面では自死や搾取を助長する事にもつながった。彼らはあらゆる執着を失ったことで、生と言う概念の不存在による救済を求めて自らの命を絶ち、あるいは物へ対する執着の不存在によって、犯罪へ対する無頓着が横行するようになる。
結果的に、ムユージュは世界で最も幸福な人が多く、同時に世界で最も社会問題の多い国となった。
・「不法」の衰退による施しの為の搾取
仮に彼らが神から逃れたとしても、それは人々に何も与えない事を意味しない。彼らは神が与えてくれないものを他者から与えられなければならないのである。即ち、真の意味で「不法」を会得しなかった者達が、生への執着の為に「不法」を曲解し始める。ムユージュが巨大な領土を持つようになった原因は、施しの為に何者かのこだわりを捨てさせることを要求せざるを得なかったためである。
即ち、彼らは何者かに何かを与え合う事は当然と考えており、それを外部の者達が行うのも又当然と考えている。その結果、彼らにとって与える事と与えられる事は当然の結果となり、そうしない者達は未だに「不法」の境地を見ない者であると考えるのである。そして、不法の境地を知るためには、不存在と存在に対する諦めを覚える必要があると「曲解する者」が現れる。
そこで、彼らは余所者からすれば「奪う」のと同義の行動を勝手に行うことになり、抵抗された結果として領土が拡大したのである。この、相互搾取の構造へ対する不満は時折反乱などとして湧き上がり、そして、不完全な「不法」の前に屈する。
然しそれは当然の事なのかもしれない。何故なら、あらゆるものは「不法」なのだから。