サニタキア‐白い砂の彼方に鎮座する、偉大なる砂漠の盟主‐
サニタキア教主国は、インスコインスの東方一帯を支配する大帝国である。彼らは砂漠のほとんどすべてを掌中に置き、インスコインスの領域を避けるようにして、即ち争いを避けるようにして国家を拡大した、中央世界最大の国家と言える。
サニタキアはインスコインスと異なり、信仰によってその支柱を得た国である。険しい砂漠地帯を生き抜くための信仰とは、「奪う事」にはなく、「守る事」にある。
信仰:イクナートン・アテン・アケトアテン‐主は最期の支配を汝らに託した。‐
サニタキアは砂漠の中にある小さな集落に始まった。とはいえ、彼らは川の恵みにより、灌漑農法を発達させ、さらに浮州を利用した川上農場を発達させ、インスコインスよりも遥かに恵まれた生活を続けていた。
とはいえ、古来よりの伝統から、水害による甚大な被害と砂漠による乾きの苦しみは続き、彼らは川沿いに移住をしながら新たな農場を作り、巨大な砂漠地帯に領土を広げていった。
かくして、彼らの神、即ち、川が作りし大地と太陽の主は彼らに恵みを齎す事になる。川を中心とし、太陽による農耕の恵みを利用した彼らは、これら双方の恵みを与えてくれる万能神を信仰し、生前の苦痛の代償として、同胞たちには最期の支配を約束した。
それゆえ、彼らは高慢であると同時に余裕に満ちている。イクナートン・アテン・アケトアテンは彼らに最期に地上に残る事を確約したのであるから、何者からの攻撃も、何者への侵略も一切が無為なのである。
その代わり、彼らは神の支配たる正当な支配の為に、幾多の使徒を世界に派遣し、神の恵みを世に広めて最期の支配者を増やそうと試みた。彼らの姿は他国に良く現れ、同時に忽然と姿を消す。さながら洪水に流されるか、太陽が雲に阻まれるように。
文化的叡智
・教主制
神の代行者が必ずしも世俗支配者であるとは言い得ない。しかし、サニタキアでは、神の代行者である教主が、聖俗共に支配者である点で、他国との政治的な特異性が存在する。
神権政治と言う言葉には、他国は懐疑的であることも多い。何故なら、彼らにとって神は支柱であって、実際の大地の支配はこれに基づいて運命づけられた支配者が行うのであって、神自身、或いは神の代行者自身が行うのではないからである。
しかし、教主制をとるサニタキアは、法典・倫理・生活様式その全てが聖典の言葉に従って行われる。その執拗な厳格さは、他国のように慣習による世俗支配を一切否定する。神たる者、世界の全てを支配できなければならないのである。
教主の言葉は神の言葉に等しい影響力を持つ。しかし、教主はサニタキアにおいて必ずしも絶対君主ではない。教主も神に縛られているのである。法典である聖典の解釈を行う者達は、教主と共に神の教えに則った統治を完遂する。その為に、彼らは神と顔を向い合せるための探究の旅に出た。
・マドラサ
彼らは戦いを好まないのではなく、戦いにメリットを見出さない余裕がある。そもそも彼らほどの練度がなければ、彼らの領域に足を踏み入れ、彼らの国を踏み荒らすことも叶わない程過酷な地域の中核に居を構えているのであるし、彼らはインスコインスと異なり、水資源の問題や、食糧の問題を持っていない。
そのため、彼らは侵略とは全く別の方向に、知性のリソースを割く事になる。それが、信仰の真実を解き明かす哲学的叡智、大学院である。
彼らの哲学は広範に及ぶ。何故なら、神の光は遍く世界の真理を照らし出すものであって、見えない神と顔を向い合せる事に正義が存在するためである。
彼らは数学、哲学、音楽、神学、法学、物理学、倫理学、農学、天文学のあらゆる学問をマドラサで追求し、世界の科学的・文化的盟主となったのである。
そして彼らは、これらの探究の末に、ケテルビアにも劣らない圧倒的な技術力を獲得したのである。
・アケトアテンの火
アケトアテンの火とは、火薬兵器の一種であり、海上にも陸上にも炎を巻きあげるサニタキア最強の兵器である。「その火は太陽の如く激しく燃え、大海と大地の支配を完全にするように燃え広がり、やがて裁きの如く全ての人に燃え移る」という言葉がアケトアテンの火に対する、シージア兵士の記録にある。その製法は全くのなぞに包まれているが、アケトアテンの火は固形・液状を問わず、サニタキア最強の兵器として、他国から恐れられている。
国家の問題
・人頭税と地祖
彼らは基本的に、最期の支配者としての余裕を持っており、他宗教に対しても寛容であるが、その信仰が正しくないことに対しても絶対の自信を持っている。
それゆえ、彼らを死ぬ前に何とか改宗させようと、陰湿な間接的圧力を数多く加えている。その一つが、追加租税である。
他宗教者が土地の所有者であるとき、通常の不動産に対する課税とは別に、「神に顔を背ける者が地上に存在する事への、神の寛容な契約に従って」地祖を要求する。
また、他宗教者が改宗を拒む場合には、「神に顔を背ける者と神を誹謗する者が存在する事実に対する懲罰として」人頭税を要求する。
これらの税は宗教圧力に屈しない者、異教の者を救うために、血を見ずに改宗させるための教主による慈悲なのだが、相応の負担となって彼らにのしかかっている。