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鬼の発生と消滅のメカニズム  作者: ノエルアリ
第1章「日常編」
5/72

メニュー5:「ニューフェイス!」


 ――木曜日。

 真夏の昼下がり、カフェの入り口には定休日の看板が置かれている。その前に立つ、一人の若い女性。ブラウンのゆるふわボブの髪型にスーツ姿で、手には履歴書が握り締められている。街木路の下、工事音が鳴り響く中、ゴクリと唾を飲み込んだ。腹を括り、店の裏手にある頬月家へと向かう――。


 インターフォンが鳴り、「けーい、おきゃくさーん!」とリビングのソファで涼む雅が叫んだ。

「慶りんなら買い物に出かけたぞ?」

「えー? じゃあ、ゆーきー!」

「ゆきんこなら学校に面談に行ってるぞ?」

「もう! じゃあ、はちゅう、……お願い?」

「ふざけんな! オメーのそれは逆効果だ、ばかやろー! オレは今、会計士に出す書類の整理で忙しいんだよ! オメーが一番暇人だろーが! さっさと出やがれ!」

 パソコンの前で計算機片手に苛立つ溌に、「ぶう」と渋々雅は玄関のドアを開けた。

「はい?」そこには、胸に手を寄せ、恥ずかしそうに俯く、一人のスーツ姿の女性が立っていた。

「あの、どちら様でしょ?」

「あ、あの……! わたしっ……」

 女性は急いで鞄からB5サイズの封筒を取り出すと、それを雅に差し出した。

「え……? 保険の勧誘なら間に合ってますけど?」

「ほ、ほけんレディーじゃなくてっ」

 上手く状況が掴めない雅に、「こ、これを書いてきましたっ」と女性が緊張から俯き、ぐっと口を噤む。

「はい?」と雅が思いっきり首を傾げた。そこに買い物帰りの慶と、途中で出くわした倖が、スーパーの袋を下げて帰って来た。

「兄さん? どうしたんだ、一体」

「雅兄? ……って、女っ! とうとう家にまで押しかけて来たのかよっ」

「ああ、いや、彼女は……何だろう?」

「おーい何騒いでんだ。客はもう帰ったのか?」

 溌も玄関に出てきて、兄弟が一ヶ所に揃った。もう後には引けない状況で、

「あの、わ、わたしを……私をお店で雇って下さいっ!」

 バッと頭を下げて懇願する女性に、「ええっ?」と四人は驚愕した。


「――それじゃあ、名前から窺おうか?」と改めて慶が言う。

 俄かに自宅で面接が始まり、ひええっ……! と女性は緊張で顔中が真っ赤になった。未だに兄弟の顔すらまともに見られてはいない。面接官は眼鏡をかけたスーツ姿の慶と溌で、テーブルでの対面式面接となった。 

「なんでテメーらまでスーツ着てんだよ」

 呆れた様子の倖が女性を直視出来ずに、リビングの柱の陰に隠れてツッコむ。この状況に鼻息を吐いた雅が、一人台所へと向かった。

「あ、あの、名前は、四宮(しのみや)みのりと申します!」

 テーブルに置かれた麦茶に向かって、みのりが頭を下げた。

「ふむ、そうですか。四宮さん、ねえ……」

 テーブル上で手を組み、溌が至極真面目な態度で面接官を演じる。 

「四宮さん、お年はいくつですか?」

「履歴書に書いてんだろ! わざわざそんなこと訊くな! し、しつれーだろ……」

 柱の陰で倖が紅潮する。

「に、二十一歳です……!」

「答えんのかよ!」

「では次に、最終学歴を窺おうか」と慶が訊ねれば、「テメーはなんでそんなにエラソーなんだよ!」と倖が声を張る。

「さ、桜ケ丘女子短期大学、商業学部、情報ビジネス専攻ですっ……」

「ほう。商業学部ですか。では当然パソコンのエクセル及びワードはお使い出来ますね?」と溌の眼鏡の奥が光った。

「は、はい! 他にも、商業簿記や情報処理、FP2級の資格も持っていますっ……」

「即採用! おめでとうございます。本日よりボクの下で経理として働いて下さい」

「ほえ? け、経理?」

「ちょ、ちょっと待て! そういう仕事じゃ、ねーんじゃねえのか……?」

「ああ。どう見ても、彼女はカフェで働きたくて面接に来たのだろう? 四宮君、君は私の下で働きたい、そう思っているのだろう?」

「あ、えっと、私……」

 言葉に詰まるみのりに、慶が真面目な表情で眼鏡の淵を持ち上げた。

「四宮君に訊ねる。君は、PON厨かね?」

「おいもうやめろ! 相手がドン引くような質問すんじゃねえ!」

「PON厨です!」

「PON厨かよ!」

「採用!」親指を立て、慶の眼鏡の奥が熱くみのりを歓迎した。

「おめでとう、四宮さん。見事難関の圧迫面接を掻い潜り、我が『ほおづキッチン!』に採用となりました」

「どこら辺が圧迫面接だったんだ?」 

「ほえ? 合格、ですか……?」

 その時、ようやくみのりが顔を上げた。その瞬間、三人とも意表を突かれた。色白で朗らかな表情。小さな唇には、桜色のリップが塗られている。驚きと困惑の表情を隠せない倖が、「姫サマ……?」と思わず呟いた。

「ほえ?」

 倖の声に反応したみのりが首を傾げた。

「ウウン……! それでは四宮君、明日からカフェで働いてくれたまえ」

 咳払いをした慶に顔を向け、「あ、はい! ありがとうございます!」とみのりは立ち上がり、頭を下げた。

「お、おい、雅兄の断りもなく、勝手に採用してもいいのかよ?」

「うるせーな。ミーボーが断るはずねーだろ」

 ギロリと溌が倖を睨んで、その意を分からせた。

「まあ、そう、だろうけど……」

 倖にも、その言葉の意味は胸が張り裂けそうな程分かっている。

「なーに? 勝手に彼女を採用しちゃったの?」

「うわっ!」

 突然自分の後ろから姿を現した雅に、倖の肩が飛び跳ねた。

「あ、あの……! 四宮みのりと申します! 今日は突然押しかけてしまい、本当にすみませんでした!」

 みのりが雅に向かって頭を下げた。三人とも、固唾を飲んで雅の動向を窺っている。

「みのりちゃん、って言うんだ。弟達が勝手に採用しちゃったみたいだけど、今はどうにか四人でやっていけてるし、人手はいらないと思ってたんだけどな」

「あ……そう、ですよね……。すみません、でした……」

 ぎゅっと、みのりがスカートを掴んだ。沈黙を破ったのは、女性が苦手で人見知りの末弟。

「お、おれはもうすぐ二学期が始まるし、そしたら週一で学校行かねえといけねえから、……も、もう一人いてくれたら助かるし、休みだって、まわせると思う……」

「私も出来れば新しいメニューの開発もしたいしな。後一日休みが出来たら、色々と試作も出来ると思う。いや別に彼女がPON厨だから後ろ盾している訳ではないぞ? 断じてPON厨デーに彼女と一緒に踊りたい訳ではない」

「そっちが本音だろーが。……まあ、パソコンも使えるみてーだしな。たまに経理業務なんかも手伝ってくれたら、オレも助かる……」

 頬を染める三人の意見に、「はあー」と雅が溜息を吐いた。胸に手を寄せ、不安そうに見つめるみのりをじっと見て、俯いた。目を細める雅に、みのりが徐に口を開いた。

「あの、私……短大を卒業した後、証券会社で働き始めたんですが、仕事や人付き合いに疲れてしまって、ひと月程休職していたんです。そんな時にふらっと入ったカフェが『ほおづキッチン!』で、そこで食べた雅さんのパンケーキがすごく美味しかったんです。それから楽しそうにお仕事されている皆さんの姿を見ていたら、なんだか疲れていた心も癒されて、私もここで働けたらどれだけ楽しいだろうって想像してしまったんです。そうしたら居ても立ってもいられなくなって、断られるのを覚悟で今日押しかけてしまいました。ここで働けるまで、諦めずに頑張ろうって、会社も辞めて、コーヒーや紅茶の勉強も始めたんです。……でも、ああ私、本当に考えなしでっ……こんなことを話しても、皆さんのご迷惑にしかならないのにっ……」

 俯いたみのりの目から涙がこぼれ落ちてきた。心にぐっと響く想いに、三人は兄の決断を待った。その兄から、決断の吐息が漏れた。

「……分かったよ。君がそこまでの気持ちでいるのなら、採用するよ」

「本当ですか!」ぱああ、とみのりの表情が明るくなった。

「けど、こう見えて僕達兄弟はクセモノだからねぇ。お店で見せている顔と本来の顔はまったくの別物だよ? 後からイヤになったって、辞めさせてあげないからね。覚悟しておいて?」

「はいっ! よろしくお願いします!」

 兄の決断に弟達も安堵した。みのりと一緒に働けることに嬉しさを隠せない慶が笑った。

「何だか乙ゲーみたいな展開だが、良かったな、みのり!」

「おい! 何ドサクサに紛れてオメーが呼び捨てしてんだよ!」と溌の厳しい目が向けられる。

「嗚呼! 私が兄弟の中で最初に呼び捨てで呼んだぞ? 今日が二人の初めて記念日だな、みのり」

「キモイこと言ってんじゃねえよ……! つーか、大事なコト忘れてねえか?」と指摘する倖に、「大事なコト? んだよ?」と溌が眉を顰めた。

「いや、制服……! 女物の制服なんて用意してねえだろ?」

「ああ!」と盲点を突かれた溌に、「あ、あの私、実は皆さんの制服を真似てもう……」

 そう恥ずかしそうに言うと、みのりは鞄の中から制服を取り出した。溌と倖が着る接客用と同じ柄のシャツとスカート、腰エプロンが几帳面に畳まれている。

「おお! これを自分で作ったのか?」と感心する慶に、「は、はい! お裁縫は得意でして」とみのりが再び頬を赤く染めた。

「器用なものだな。これは相当家事も出来るな、みのり」

「あっ……! はい。お料理やお掃除も大好きです」

 にっこりとみのりが笑った。その直後、真剣な表情で慶がみのりの手を握った。

「この際だ、店員じゃなく私の嫁に――」

Va(ヴァ・) cagare(カガーレ)(失せろ、クソ野郎)!」

「いたたたた! じょ、ジョーダンだっ!」

 猛烈な握力で雅が慶の頭を握る。爽やかな表情で、パロラッチャ(薄汚いイタリア語)が飛び出た。

「あ、あのうっ!」

「これもウチのスキンシップの一つだから慣れてくれ。つーか、二十一かぁ。オレとタメだな」そう言って、溌が立ち上がった。

「ほえ? 溌さん、私と同い年だったんですね? てっきり……」

 みのりの声が消えていった。164センチのみのりと目線が全く同じだった。しんとその場が静まった。

「ああ、溌兄は兄弟で一番チ――」

「おいコラぼっち! オメーなぁ、オレはチビじゃねーって何度言えば分かるんだ、ああ!」

「いや、まだチしか言ってねえし! 溌兄が自分でチビって言ったんだろ!」

「じゃあ何つうつもりだったんだよ!」

「それはっ……」

「やっぱオメー、チビっつうつもりだったんじゃねーか!」

「チョコが好き、って言おうとしたんだよね、倖」

「ああ? んなワケ――」

 いきり立った溌の目に、チョコレートソースとホイップクリームが盛られたパンケーキが飛び込んできた。溌が倖の胸ぐらから手を離した。

「ミーボー、いつの間にパンケーキなんか作ったんだ?」

「んー? 君達が彼女を面接している間にね。ちょちょっと」

「珍しいな。兄さんが休みの日にドルチェを作るだなんて」

 雅がみのりの前に出来立てのパンケーキを置いた。ストンと席に着いたみのりが、優しく微笑む雅を見上げた。

「前もこれを食べに来てくれたよね?」

「何だ、最初から彼女のことを知っていたのか? 兄さん」

「んー? まあ、分かるよね。同じ匂いだから……」

「匂い?」みのりが首を傾げた。

「ん? ああ、こっちの話。気にしないで。ほら、食べて?」

「あ……はい。いただきます!」

 一口食べてとろけた顔となったみのりに、雅の表情も晴れやかになっていく。

「それじゃあ、明日からよろしくね、みのりちゃん――」


 翌日からみのりはホールに立った。学生時代、飲食店でバイトをしていたみのりの接客に、倖は見習い、溌も感心した。

「ねえ、もしかしてあの子、兄弟の誰かのカノジョとか……?」

 ざわめく店内に、「いえ。彼女は従妹でして。ボクらの親戚なんです」と無用な混乱や嫉妬を招かないよう、溌が虚偽の説明をする。

「男ばかりのカフェよりも、女性の店員がいる方が、何かとお客様目線に立つことが出来ますから。更なるサービス向上の為にも、ウチのニューフェイスをよろしくお願いしますネ」

 嫉妬深い中年層からの人気が高い溌の、お決まり(百パーセント作り物)の笑顔が奥様方の心をわし掴んだその頃、キッチン内では雅と慶が忙しく働いていた。

 雅は焼き上がったフォンデンショコラをオーブンから取り出し、慶はフルーツサラダを作っている。フォンデンショコラに粉砂糖をまぶす雅を、手を止めた慶が正面から見た。

 物言わぬまま動きを止めた慶に、「手が止まっているよ、慶」と作業しながら雅が注意する。

「あ、ああ……」

 再び手を動かし始めた慶が、サラダボウルにフルーツサラダを盛り付けていく。どこか浮かない表情の慶に、「どうしたの?」と雅が訊ねた。

「……兄さんが、本当にみのりを採用するとは思わなかったんだ」

「なーに? 君達が彼女を採用してくれって訴えたんだろう?」

「それはそうだが……。彼女は……姫の生まれ変わり、なんじゃないのか? 顔だけなら他人の空似だったかもしれないが、匂いまでとなると……」

 ピクリと雅の手が止まった。

「……まあ、同じ顔で、同じ匂いだったら、そう思うよね」

「だったら猶更ここにはいない方が良かったんじゃないのか? 溌は兄さんが彼女を採用しないはずがないと言ったが、私は兄さんは彼女を突き放すのではないかと思った。……我々は人間ではない。あの時、私達は彼女を、姫を守ることが出来なかった。そのせいで兄さんは――」

「また手が止まっているよ、慶。……ふぅ。確かに彼女はここにいるべきではないかもしれない。千年前、彼らに姫を奪われたあの時から、僕達はいくつもの時代に兄弟として生まれ落ちてきた。その度に、異なる『宝物』を見つけては、彼らと戦い、そして奪われて……。今代の『宝物』は、紛れもなくこの店さ。彼女じゃない。だから彼らが乗り込んできたとしても、彼女が彼らに奪い去られるなんてことはないよ」

「兄さん……」

「大丈夫だよ、慶。今代こそ決着の時だと思っているし、正体だって、どの時代でも誰にも気づかれずにやってこれただろう?」

「それはそうだが……」

 慶が目を伏せる。雅がカレンダーに目を向けた。そのカレンダーの八月二十六日にも、赤く丸印がされている。

「後五日。後五日で、今代の『邂逅』の日を迎えるんだ。彼らに打ち勝つことさえ出来れば、僕達はようやくこの呪縛から解放される」

「……ああ。そうだな、兄上……」

 重く圧し掛かるような慶の言葉を、キッチンとホールを隔てるドアの向こうで、瞳を真紅色に染めた溌が、ぐっと奥歯を噛み締めながら聞いていた。


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