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4溺れる夜

バレンタインですね



 雨の日は必ず、兄は私を求める。その法則が何となく分かってきた。

 理由などは分からないけれど。


 兄は毎日学校に行って日常を過ごしている。


 本当に少しずつだけれど、兄は元気になっていっているような気がする。


 雨が降らない日に関係を持つことが少なくなった。


 それはきっと、兄の心が恢復しつつある、ということなのだと思う。


 けれど、まだ、兄は雨の日に私に触れるのだ。あまやかに、勘違いさせるように、優しく。

 その度に私は蝕まれているような気がする。抵抗できないように、真綿で拘束されているように、甘美な毒が体を巡るように、私はどこまでも冒されて行くような気がする。


 怖くて、不安で堪らない。


 両親に相談するべきかと思うこともあったけれど、私たちの関係を客観的に見て発せられる感想を思えば、躊躇してしまった。


 ―――きもちわるい


 血の繋がっている私たちが、どうしてそんな関係になることを許容されるだろうか。今まで生きてきて、私はそれを知っている。


 そういわれるのが怖くて、私は兄との関係を秘密にした。


 私と、兄だけの秘密なのだ。


 ぽつり、ぽつりと窓ガラスに雨粒が打ちつけ始めた。雨が、降りだした。


 私は兄が帰ってくるのを待つ。




 雨音が響いている。暗く陰った部屋の隅で、灯りを灯す気など一寸も湧かない。薄闇は心地よく、私の汚れを隠してくれる。


「濡れて、いないといいけれど」


 こんなときでさえ、考えるのは兄のこと。


 そういえば数日、携帯を触っていないことを思い出した。不安定な兄のそばで友人と連絡を取れば、酷く嫌がられて、兄に携帯を渡して……それでどこにやったのだろう。


 要らないよね。兄はそう言って笑った。平生と全く変わらない笑みで。澱んだ瞳に狂気を宿して。

 ため息をついた。これでは兄に傘を差しに行くこともできない。勝手なことばかり言う人だ。


 とりあえず携帯は兄の部屋にあるはずだ。探して兄に連絡しよう。兄は携帯を持って出掛けただろうか。流石に携帯していると思いたい。


「はいるよー」


 無人の主に許可をとって、私は兄の部屋に入った。

 整頓された部屋は、数ヵ月前の私には縁遠いものだけれど、今は慣れてしまった。兄妹よりも恋人の方が距離が近いということを、今更ながらに思い知った。

 私たちの関係が、そう呼べるのかは分からないけど。


 ベッドの枕の下。これもああなってから知ったこと。とりあえず兄は、ここにものを隠す。


 ベッドの上に膝をたてて乗ると、ぎしりとスプリングが音をたてた。聞きなれた音。ベッドカバーのタオル地を感じながら、枕を持ち上げれば


「ビンゴ!」


 どうやら電源が落とされているそれを起動させる。ベッドの壁側に寄って膝をたてて座りながら、どんな文面を送ろうかと考える。


 雨音が、激しくなっている。

 メールを送ってから、カーテンを揺らす窓を閉めようと考えていると、ドアが開いた。


「………」


 あまりに存在感がないものだから、初め私は風のせいだと思ったものだった。

 でも、ふと、顔をあげて。


「……………―――」


 すがるような表情に、慌てて駆け寄った。


 嗚呼、だから言ったのだ。雨に、濡れていないか、と。

 思ったのに、果たせなかった。傘を差してやろうと、思ったのに。


「………にい、さん…」


 かける言葉は、見つからなくて。




 ただ、キスをした。兄のか細く、冷たい体を暖めてあげようと。濡れた髪から滴る雫をぬぐいとってあげようと。嫌な記憶は、いっそ上から塗り替えてしまえばいいのだ、と。


「ね、シよ?」


 精一杯の誘惑に、兄は答えない。ただ、雨に濡れたせいで冷えてしまった、最近痩せて薄くなった体で、私のことを強く強く掻き抱いた。


 震えるからだに抱き締められながら、私は溺れた人間がつかむ藁だ、と思った。

 最後の、希望の欠片もないほどの、弱々しい助け。いや、そう名乗るのも烏滸がましいほど。


 ただ、地獄まで連れ添うだけの、なんの役にもたたない。




 事後。

 倦怠感が身体中を支配する、微睡みの淵。少し落ち着いたらしい兄と、睦言を交わしていた。


「なんで携帯触ってたの?」

「兄さんにね、連絡しようと思ってたんだ。傘は持ってる?って。まあ、兄さんの方が先に帰ってきちゃったけど」

「ふぅん。他に誰かに連絡した?」


 兄の瞳は澱んでいる。いつからこんな色を湛えるようになったのだろうか。卑屈、不信、反感。以前の兄には影もなかった感情ばかりが、兄を支配している。


 私は兄の鎖骨に触れながら囁いた。


「ううん、してないよ」


 この言葉で、兄を安心させることができるのだろうか。私には、分からない。

 兄が私を好きだというのは、きっと紛い物の気持ちだ。現実と責任からの逃避。多分兄は、この行為の言い訳にそれを選んだ。口当たりのいい、甘いカクテルのような、酔いしれる言葉。


「そっか。する必要もないもんね」

「もん、とかぶりっこしてない?」

「してないしてない」


 巫山戯合いながら、どこかで糸が、ぴんと張りつめているのを感じる。


 本当に、いつからこんな瞳をするようになってしまったのだろう。


 苦しそう、でもそれを素直に表現できていない。泣きそうなのに、泣き方を忘れてしまったような。今にも死んでしまいそうな。


 こういう顔の兄と話すとき、私は幻覚が見えるような気がする。兄の手に鋭い刃があって、それは兄の首に突きつけられている。兄のようで、私の知らない兄が嗤っている。お前の言葉ひとつで、自分は死んでしまうのだ、と。



 なんと答えればいいのだろう。

 始まりのあの日、どう伝えればよかったのだろう。




 死なないで、と。生きて、と。




 兄の手が私の腰に触れて体が跳ねる。けれどその手は私を素通りして、後ろの携帯を触れた。


「やっぱり携帯、要らないね」


 微笑む瞳はどこまでも暗く、私は仕方がなく頷いた。


「兄さんにしか連絡しないからね」

「じゃあ、ずっと一緒にいれば、それでいいね」


 私の携帯をいじろいとして、8字のパスワードに躓いた兄は、情けなく眉尻を垂らして私に携帯を返す。

 パスワードを打ち込んで渡せば、兄は私の携帯の液晶画面を覗き込む。

 見ているのはきっと、私の通信記録なんか。私のプライバシーなんかない扱いだけれど、私はそれでいいと思っている。


「ねえ、パスワードなんなの?」


 訊ねられて、私は笑う。絶対に教えるものかと思う。


「ひみつ」


 携帯の通信をいくら見られても構わない。けど、それだけはダメ。




 打ち込んだのは、兄の生年月日。




 墓まで持っていくひみつ。


ストックが切れました。ちまちま書いていきます。ブックマーク有難うございます。励みになっています

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