3時が止まってしまえばいい
3時が止まってしまえばいい
兄妹の時間と、恋人の時間がある。
スイッチが切り替わるのは、何がきっかけなのだろう。私はいまだ、分からない。
いままでと何ら変わりなく兄妹のように過ごすときもあれば、人が変わったように恋人ごっこを強要してくることもある。
それは、酷く虚しい。
砂を噛むように、口数も少なくなって、私は諦めたように身を委ねるのだ。いや、私はもうきっと既に諦めてしまっているに違いない。
この関係に、落とし所を見つけてしまったのか。
夕食を終えるまでは、私たちは兄妹だった。食器を片付け終えて手を拭いていた私の肩に顎をのせ、お腹に腕を回してきゅっと抱き締められた。
「ねえ、欲しい…………」
心臓が大きく跳ねる。
求められて、首筋に触れた唇に、ぞわっと全身の感覚が過敏になる。この時間は何よりもよくて、禁忌を忘れ、快楽に浸る自分が汚れていくような気がする。
それでも誘ってきた兄を恨む気持ちなど一寸たりとも沸きはしないし、行為を断ることもしない。
振り向いて、兄の首に手を回す。
キスをしながら私たちは禁断の果実の甘さに笑った。甘い甘い、腐りかけの前。毒のような甘さだ。
「今日はどこ?」
甘ったるく鼻にかかった声で私は聞いた。
「ここは?」
キッチン?それは嫌だなと眉をひそめれば、笑いながら私をリビングのソファに誘導してくれる。
「ここならいいよ」
優しく押し倒されながら、またひとつ、深いキスをした。
私の膝枕で兄がうとうとと微睡んでいる。兄の腕を見た私は声をあげる。
「兄さん、腕時計止まってる」
「ああ、ほんとだ…」
眠たそうに確認してはいるが、それは見えているのか。
ふと思い付いて、兄の返事を伺う。
「兄さん、これ、私が時計屋に持って行っておくよ」
するりと兄の手から抜き去る。寝ぼけ眼で兄は微笑んで、よろしく、と言った。
兄はイケメンだ。男前で、美形だ。
慣れているはずなのに、私は全然兄の顔に慣れなくて、頬に血が昇った。
私はナルシストなのかしら、と無意味な問いを投げ掛ける。
時を止めてしまおう。
私は真夜中に自分の部屋で立ち尽くしていた。雨が屋根を叩く音と、ドアが叩かれる音がする。ガチャガチャと、ドアノブを回す音がする。
私の名を呼ぶ声がする。
私は、私の名前が嫌いだ。
兄は、私の名を呼んで目が醒めないのだろうか。
私と兄の名には共通点がある。兄妹の繋がりを感じさせるような、互いの名前だ。そんな名を呼びながら、よく禁忌を冒す気になれるものだと思う。どこか、感覚が可笑しくなっているのか。
拒否をしようと、思ったのだ。
部屋に鍵をかけて、寝たふりをしていれば、兄との関係は終わるのかもしれないと思ったから。
兄の時計を胸に抱いて毛布を頭から被って、ベッドの隅、ドアから一番離れたところで様子を伺った。
ノックの音。
「―――入るよ」
ノブを回す音。
ノックの音。
「おーい、開けて」
ノックの音。
「寝てるの?」
ノックの音。ノックの音。ノックの音。ノックの音。
「起きてるんでしょ?ねえ」
ノブを回す音。ノブを回す音。
コンコンガチャガチャコンコンガチャガチャコンコンガチャガチャドンドンガチャガチャ。ガンガン。
暴力的な音になって、体が恐怖で跳び跳ねた。こんなの、どうしろって言うの。
どうにかしなくてはいけないと思って、部屋の真ん中まで歩いたけれど、どうしたら良いのか解らなくなって立ち尽くした。
胸に、兄の時計を抱いていることに気がついた。
いつだったか、私がプレゼントした時計。言うなれば、私と兄の、ひたすらに兄妹愛の象徴。だってあの頃の私たちは、そんな関係になるなどこれっぽっちも思ってなかった。
時計の針。
蛍光塗料を塗られたそれは、この暗い部屋でも時を示す。だがそれは、余りに見当違いな時間を指し示していて。
「時間が、止まったんだね」
ぽつりと呟いた言葉は、私の中にしっとりと染み込んだ。
「兄さんの時間は、止まってしまったんだ」
ガチャガチャとドアノブを弄る音、ドンドンとドアを殴る音。時折ドアを蹴る音。
―――執拗に、私の名を呼ぶ猫なで声。
さっきまでは怖かったそれも、怖くなくなった。だって、時間は止まっているのだから。
引き出しから、お菓子の缶を出した。ありきたりだが、私の宝箱だ。
中にはフェルトの端切れやビーズのストラップ、勿体なくて使えない髪を留めるためのリボンや、もう忘れてしまったような石ころ。
動かなくなった時計を宝箱の中に仕舞った。
今だけは、時間を止めて。兄の心が健康になるまでは。
時間が止まっているなら、いま起きていることも、所詮は白昼夢のようなものだから。夢の中なら、何をしていても、きっと、赦されるから。
だから、今だけは。
時間を止めてしまうことを、どうか許して欲しい。
そう呟いて、缶を引き出しの奥深くに仕舞い込んだ。
兄の呼び掛けは相変わらず。
狂気を感じずにはいられないけれど、もう怖くない。だってこれは、夢だから。私が見る、ただの夢だ。そこに怖れるものなどあるはずがないのだ。
私はドアノブに手をかけた。
鍵を開けて、兄が雪崩れ込むようにドアを開ける。それをどうにか受け止めて、私は自分から兄に抱きついた。
「兄さん、ごめんなさい。寝てたの」
「…………いいよ。おまえが、このドアだって開けてくれたからね。でも俺はおまえが鍵なんか閉めてて悲しかったよ」
柔和な顔を悲しげにして言う。なんだか私がすごく悪いことをした人みたいだと思う。
「…ごめん。次からはしないから」
「本当?約束だよ」
「うん。約束」
そういいながら、私は覚えていなければならないと思った。
今、私は本当に選んだのだ。兄を受け入れる道を。
覚えていよう。覚えていなければいけない。
私は薄情だから、覚えていなければ兄のせいにしてしまいそうだ。すべてのことを。
わたしが、えらんだのだ。
それがたとえ、どんなに傷だらけになる道であったとしても。
有難うございました。これは…タグにヤンデレを追加しに行ってきます('◇')ゞ




