1雨音響く
勉強がいやすぎて現実逃避な投稿です。見切り発車で次話が何時投稿されるか分かりませんが、よろしければお付き合いください。話に詰まっているのでご意見ご感想などいただけると嬉しいです
朝、ぼんやりと起きてパジャマのまま洗面所で歯を磨く。
ぶくぶくと口の中を泡立てている自分を凝視した。
きりりとした眉と切れ長の瞳。肌はきれいだし、それなりに白い。唇は薄くて、酷薄そうだ。一応、自分はきれいな人の部類に入るんだろうなとは思うけれど、自信を持てない。
「おはよう」
それはこいつのせいだ。私の兄。
きりりとした眉と切れ長の瞳。肌はもしかしたら私よりきれいかもしれないし、薄い唇はいつも柔らかな弧を描いている。
兄は私に優しげに微笑んで、自分の歯ブラシを手に取った。
凝視する。
紛うことなきイケメンだ。美人だ。ああ、そして私にそっくりだ。っていうか兄の劣化版コピー……。
そっくりなのは、私が男前な見た目をしているからなのは知っている。髪を伸ばしているのは男に間違われないためとかではない。きっと。たぶん。
「ぶくぶくぶく(おはよ、兄さん。今日は学校?)」
「ああうん。昼過ぎに帰ってくるよ」
何故兄はこれが聞き取れるのか。不思議でならないが、私も兄のそれを聞き取れるのだから、兄妹とはそういうものなんだろう。
口を濯いで顔を洗う。今日は私はお休みだ。兄は私立の進学校なので学校があるのか。ご苦労なこった。
「じゃあお昼はなんか買ってきてよ」
「何が良い?」
「兄さんの学校のそばのパン屋のエッグタルト」
「あー分かった」
高くて普段は買わない物を言う。兄は私に甘いから、わがままをよく聞いてくれる。
身に付けている制服はベージュ系統のお洒落なブレザーで、兄に似合っている。学校で男装をしたことのある私も、よく似合うと評判になった。……泣いても良いかな。
腰まで付きそうな髪を払いのけて、洗面台を出れば、兄の腕時計がテーブルに置いてあった。
「兄さん、これ、電池切れそうだよ」
リビングから声を張り上げるが、聞こえなかったのかちょっと待ってという返答。シックなデザインの黒い腕時計を弄びながらしばらく立っていると、すっかり外出の仕度を整えた兄がリビングのドアを開けた。
「ドア、隙間あいてた」
「あーごめん」
軽い謝罪にその気はない。多少冷房が漏れてしまっているが、それだけだから。
兄と妹。私達の関係はそれで、でも、兄の方が主婦みたいだ。女子力が負けている。
「それより、兄さんこの時計電池切れそう」
腕時計を受け取った兄は、そうか、と名残惜しげにそれを眺めた。電池を変えなきゃ、と呟きながら装着する。
「それ着けてくの?」
「これの方が好きだから」
「そっか」
じゃあ頑張ってね、といいながら私は朝風呂に入ることにする。
唇が弧を描いた。
午後になって兄が帰ってきた。
手にはパン屋の袋をぶら下げている。いつもより時間が遅いのは、私のわがままを聞いてくれたからだろう。
「兄さん買ってきた?やった!」
玄関で靴を脱ぐ兄から袋をひったくって中を見る。他にも私好みのパンがいくつも入っていて小躍りしたら、兄は大仰にため息をついた。
「いつもは出迎えなんかしない妹が来たと思ったら、……とんだ冷たい妹だ」
「失礼な!私ほど兄を想ってる妹はいないよ。スケジュール把握も完璧」
「パシらせるために?」
「以心伝心!ほら!」
私たちは笑ってリビングに向かう。兄も楽しそうに笑っていてくれて、少しほっとする。最近の兄は、元気がなくて少しおかしい。
ため息をつく兄を見るのは嫌だった。
果たして兄の買ってきたパンはどれも絶品だった。後で体重計に乗るのが怖い。そもそも上背がある方なので、体重も思いのだ。これ以上にはなりたくないな。
「まんぷくだ。もう食べられない…」
「ほんとよく食べたな。こんなに食べるんならいつもももう少し食べてくれ」
「やだ。太るもん」
仕事が忙しい両親は殆ど帰ってこない。海外を忙しく飛び回っているらしい。
食事の準備などできないので、兄弟二人で回している。兄は見た目の割りによく食べるので、見ていて気持ちが良い。
私は常に一応ダイエット中なので、あまり食べない。どうもそれが兄には不安らしい。
「太るって言っても、どこが」
おもむろに手を伸ばして掴まれたのは右手。兄の手に隙間ができている。
「腹と太もも。今日は食べすぎたから、晩御飯は要らない」
「お前なあ、あんまり食べないと死ぬぞ」
「ひゃっ…」
そう言いながら兄は私の腰を掴んだ。やけにはっきりと感触を感じてしまい、変な声をあげて赤面する。
「に、兄さん!セクハラ!くすぐったい!」
慌てて兄から距離をとれば、何故だか兄も赤面していた。こほん、と誰となく咳払いをして、少し冷静になる。
「……ごめん」
「だ、大丈夫」
少し気まずい空気になって、私たちは片付けをする。兄が皿を洗って私が拭いて片付ける。私の家事スキルが上がらないのは、兄の手伝いで簡単なことばかりやっているからだろう。
「兄さんを恨むわ」
ぽつりと呟いた言葉に、兄は洗っていたフォークを取り落とした。フォークなので割れたものはないらしい。
「いま、なんて?」
「それより兄さん、どうしたの?大丈夫?」
顔を真っ青にしている兄の様子がおかしい。どこか調子が悪いのだろうか。
「俺を恨むって…俺、なんかした?」
「あえて言うなら存在していること?」
「え…?」
この世の終わりみたいになった兄に苦笑を禁じ得ない。本当に、優しくて可愛らしい人だ。
「冗談だよ、冗談。真に受けないで。
兄さんみたいなのがそばにいるから、私に彼氏ができないんだって話」
一気に表情が明るくなる。
「俺って良い男?」
「性格以外は。兄さんはぽわぽわしてるからね」
でも、たぶん兄はいい人だ。優しげな性格だってチャームポイント。だから私のハードルが高くなって、彼氏なんか一人もできない。
あーあ。兄は罪作りな男だ。
そう嘯いて一人で笑った。
雷の鳴っている夕方。雨が強く降っていた。雹も混じりそうなほどの大粒は、私の体を酷く打ち付けた。
季節外れにとても寒くて、濡れてしまった私はリビングでびしょ濡れの制服を脱いでいた。
取り合えず熱いシャワーを浴びよう。
そう考えながら脱ぎ捨てたスカートを摘まんでいると、いつの間にかリビングのドアが開いていた。
ぎぃと、ゆっくりとドアがしまる音がする。
「…わ、兄さん、今日は………」
いつもより早いね。そう続けようとした言葉は、只事ではない兄の様子に飲み込んだ。
「兄さん、どうしたの?」
「――――」
真っ青な唇を動かしたけれど、声は私に届かなかった。
「泣いてるの?」
自分の格好など気にかける余裕はなかった。兄はぐっしょりと全身から水を滴らせて、酷く顔色が悪くて、唇の端が殴られたように切れていた。
「―――寒い」
とぼとぼと兄は私の方に近づいた。そうしてやっと兄の声が聞こえて、たまらず私は兄に抱きついていた。
「兄さん、冷たい」
服はずぶ濡れで体の芯まで冷えきっていた。文句を言いながらも兄から離れようとしない私に、兄は戸惑ったように呟いた。
「俺は、温かい」
「うん、そうだろうね」
兄は、仄昏い瞳で私を見下ろして、私は見上げた。至近距離で、互いの吐息もかかりそうだった。それなのに、私は兄が傷ついていることしか分からない。どうやったら救えるのかも。
何があったのか。兄は気弱なところを見せないから、ずっと心配していた。最近ずっと思い詰めていたことも知っていた。
だから、これからどんなことがあっても、兄が救われるならそれで良いと思った。
「こうすれば、もっと温かい」
兄の、今まで聞いたことがないような、妖艶で深淵のような暗い声を聞いた。
兄さん?そう呼び掛けようとした唇に、冷たい唇が触れた。
兄は、私に助けを求めているようで、私を傷つけて一緒に墜ちていこうと誘っているみたいだった。
どうにかなってしまいそうだ。侵食する兄の内側は、熱くて。
兄の手が腰に回されて、私は瞬間的に理解した。ああ、私は求められているのか、と。
叫んでいるかのような兄の体の冷たさに、傷ついた心のように熱い涙に、私は考えることを放棄した。
死んでも良いわ。どこかの有名な言葉を胸に抱いて。
私たちは禁忌の林檎を齧ったのだ。
有難うございました。現在4までかけているので順に投稿していきます