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脱出 ~失われた記憶~  作者: 一津野
3/3

03 交渉

「情報屋?」

「そう名乗らせてもらっているよ」

 その言葉に現実味はない。古今東西そんな仕事がこの世に存在しただろうか。僕はたしかに記憶をなくしてはいるが、そのような常識を忘れてしまったわけではない。情報屋などという馬鹿げた妄言を語る人間に碌な人間はいない。

 キツネと呼べと言っていた疑わしい男は、それこそキツネのように目を細めて僕をにたにたと眺めている。

 彼ほどふざけた人間はいないのではないかと思うその一方で、彼がなぜ自分の名前を知っているのかという純粋な疑問を僕は抑えることができなかった。

「どうして僕の名を?」

「情報屋だから」

 ――やっぱり話にならない。

「少しだけ種明かしをしよう。僕はあの施設の情報をハッキングして覗いていたんだ。だから君の名前も知っているし、君が逃げ出したことも知っている」

 なるほど。彼の言っていることが真実ならば筋は通る。しかし、それが真実だという証拠はない。

「信じてもらえそうにないね」

「信じられる要素がない」

「仕方ない。取引をしよう」

「取引?」

 この状況で取引をすると言われても僕には出すものなど何もないし、このキツネ目に望むものもない。

「さっきの女、少し心配だろう?」

 僕は黙った。しかしとあることに気が付いて尋ねる。

「なぜ女のことを知ってるんだ?」

「そこは企業秘密だよ。ボクの情報屋としての売りだからね」

「それは僕に怪しめと言っているようなものだ」

「話の中心はそこじゃないんだ。君は少なからずその女のことを心配している。違うかな?」

 僕は黙った。

 心配していないわけがない。少なくとも彼女は僕とともにいなければ被害に遭わなかったはずだ。彼女が彼らの手から逃れる可能性はあれど、絶対ではない。その点が僕の心にまとわりついていることは間違いない。

「沈黙は肯定と捉えさせてもらうよ」

 僕は男の目を見た。やはりキツネの目によく似ている。

「そこで、だ。その女を無事に家まで送り届けるということがこちらの提示するモノだ」

 僕は少し悩んだが、可能なのであればそれは願ってもいないことだった。一つの枷が外れることは少なからず身を軽くする。

「ここは島だと聞いた。彼女を船に乗せてここから離れさせる。そういうことか?」

「理解が早いね。記憶喪失だと聞いていたからどうなることかと思っていたけど」

 施設をハッキングしていたのだからやはり記憶喪失のことくらいは知っているだろう。僕は少しだけ驚いたがすぐに納得した。

「だけど俺に出せるモノは何もない」

「それがあるんだよ」

「何だ?」

「それは教えられない。だけど強いて言うのならば、しばらくボクのそばで行動してもらいたいということだね」

「どういうことだ?」

「しばらくボクのそばで行動してほしいんだ。言葉通りの意味だよ。別に取って食おうだなんて考えていないからその点については安心してほしい」

 男の言っている意味がわからない。

「明らかに怪しすぎる。それではそっちに得なことなど一つもない」

「あるんだ。だから提示している」

 何がこの男をこうまで動かしているのか。僕には見当がつかなかった。

「それに、君が頼れる人間はもういない。その中でボクにすがるのは悪い選択とは思えないよ」

 僕は悩んだ。男の言うことも一理ある。現状で頼れるものがない状態が続けばかなり厳しい。それに施設の人間が追ってきているという事実も手に入ってしまった。少なくともここが島である以上、逃げ出すための算段を立てなければいけない。

「彼女の乗る船に僕が一緒に乗って外に出るというのはダメなのか」

「それはダメだね。ボクの近くにいてもらわないと困るんだ」

「君も一緒に船で外に出ればいい」

「それはダメだ。ボクはこの島にまだ用事がある」

 男の譲れないラインはそこなのだろう。

 この取引、ここで頷いても頷かなくても、どちらにしろ僕は別の方法でこの島を出なければいけないというわけだ。ともすれば彼女を助けるというのは僕の心の枷を取るという意味で利がある。

「本当に彼女は助かるんだな?」

「もちろん。証拠として彼女が船に乗って出港するところまでを写真で見せると約束しよう」

「わかった」

 仮にこいつが俺をどこかに閉じ込めようとしても鍵ならすぐに開けられる。いざとなれば逃げればいいだけで僕に不利益はないはずだ。

「交渉は成立ということでいいかな?」

「ああ」

 男が右手を差し出した。

「契約成立の握手だ」

 僕は仕方なくその男と握手した。疑わしい相手とする握手というのが、これほどまでに意味のないものなのだということを僕は知った。

 男は僕を家へと案内した。そこは小さな家で見た目は普通だったが、案内されたのはその家の地下だった。家の廊下に工夫が施されており、男の持つリモコンのようなものに反応して廊下が階段に変わり、僕はそこに入ることとなった。しかし僕を閉じ込めようだとか監禁しようだとか、そういうことではないように感じられた。そこには何台ものパソコンが並べられ、それらの前には大きなモニターも置かれている。とても個人で使うような代物ではない。その仰々しい大きな部屋につながる小さな一室に、僕は入れられた。キツネ目が言うには、「鍵をかけても無駄だから鍵はかけないよ。ただ、部屋にある機械には絶対に触れないで欲しい。触れたら契約違反とみなすからね」とのことだった。僕は少なくとも彼女が無事にこの島を離れるまでは触るまいと心に誓った。

 僕は食料と寝床を与えられて、退屈ではあったが十分に体力を回復することができたように思う。そんな日が続いた。

 キツネ目の部屋で得られる情報は多くなかった。それでも飲食物の賞味期限や加工日からおそらく八月の下旬であることが確定した。壁にかけられていたカレンダーも八月だったからほぼ間違いないだろう。


 そして二日ほど経った日のことだ。僕は目を覚ますとすでに昼間近くだった。具体的には時計は十一時を指している。

 部屋から出て、自由に使っていいと言われている冷蔵庫からペットボトルの飲み物を出し、喉を潤す。

 この部屋に来てからしばらくの時間が経ったが、彼女をきちんと返したのかどうかについての連絡はまだもらっていない。早いとこそれを確認して、自由の身になりたいものだ。

 ドアのようなものを開ける音がして、キツネ目が入ってくる。

「おはよう。早速だけど報告するよ」

 キツネ目は何枚かの写真を僕に見せた。船上での写真だった。

 写真には原千波が写っている。この島を離れる船に乗っているという証拠であり、約束の写真だ。船はおそらく定期船か何かで、他の乗客も何人か乗っている。

「本当に彼女はこの島を離れたんだな?」

「信じるか信じないかは君次第だね。ただ、信じないメリットはあまりないように思えるよ」

 キツネ目の言うことをそのまま受け入れるのは癪だが、それは確かなことだった。

「さて、ボクは少し用事があってまたすぐに出かけなければならないんだ。君はどうする?」

「どうする、というのは?」

「この島からはきっと今の状況では出られない。もちろんあの施設の人間も船着き場で君が逃げないように見張っているだろうしね。おそらく君は逃げ出すための算段を整える必要があるんじゃないのかな?」

 とことん癪なやつだ。こちらの考えていることをすべてお見通しってわけか。そのくせに船で一緒に逃げ出させてくれはしなかった。目的がどうであれ、気にくわないやつに間違いない。

「それは僕の自由を認めるということなのか?」

「それにはお答えできない」

 さっぱりわからない。やはりまともに話すだけ無駄だ。

「ただ、ボクのそばにいるという契約はもう十分だと言ってもいい。好きにするといいよ。この島にいる限り、君はその小さな部屋を住む場所としても構わない。さすがに連中はここまで追って来れないだろうから、その点は安心するといい。ボクが君を捕まえようとしていないこともこの数日で十分に理解してもらえたと思う」

 その意味ではたしかに信頼はできる。が、こんなわけのわからないやつを心の底から信頼できる日なんて永遠に来ないだろうとも思う。

「それなら外を歩かせてもらう」

「どうぞ」

 キツネ目はその目をさらに細めて言った。

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