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脱出 ~失われた記憶~  作者: 一津野
2/3

02 出会い

 その家は木でできた家だった。

 僕は玄関と思われる扉の前に立ち、考えた。

 この状況をどれだけ説明すればいいのだろう。あの建物を出てきたことをここで話してもいいものだろうか。あるいは記憶喪失の説明は、あるいは超能力の話は、あるいはこの服の説明は。

 僕は自分の持つ情報のうち相手に与えていいものがほとんどないことに気づいた。服のことですらなぜそんな服を着ているのかと問われれば、その答えは簡単に出せるものではない。

 しかし、それでも状況を変えなければならない。少なくともこの状況はまずい。それに食料すらなければ逃げることもままならない。

 僕は意を決して尋ねた。あまり大きな声を出さないように、小さな声で。

「すみません」

 しかし反応はなかった。部屋の中が灯りでぼんやり明るいが、それでも薄暗いものだから起きているとは限らない。常夜灯という可能性もある。

 僕は少し強めに扉を叩いた。そして内側の反応を窺う。

 ――誰もいないのか?

 やはり返事はない。僕は開けることを決意し、恐る恐る扉に手を伸ばす。

 鍵が開くことを期待して念じてみるが反応はない。ゆっくりとノブを捻り、扉を開けようとする。どうやら鍵はかかってないようだ。

 ゆっくり家の中を見渡してみるが、中には誰もいなかった。

 僕は安堵のため息を一つ吐いた。中に人がいるというのはやはりまずい。勝手に開けるというのはとてもじゃないが言い訳のできることではない。それに比べて人がいなければ面倒なことにならずに済む。

 部屋に入るとまず扉に鍵をかけた。オーソドックスなタイプでつまみを捻るとすぐに鍵はかかった。

 部屋は小さい。床は木の板でできているがおよそ六畳といったところだ。丘とは反対側に窓が一つある。外への光はここから漏れていたようだ。僕はカーテンでその光を遮った。部屋の中にはクローゼットが一つとベッド、ご丁寧に冷蔵庫までありその隣に洗面台がある。

 やはり誰かが住んでいるのだろう。ここは早々に立ち去るべきかもしれない。

 僕は自分の理性と葛藤しながらも――しかしながら勝てなかった。

 まず冷蔵庫を開けて中身を確認した。ジュースにサンドイッチ、果物や酒まである。しかしこの状況で酒はダメだ。命取りになりかねない。

 僕は喉の渇きを癒すためにペットボトルのジュースを飲んだ。仕方のないことだ。今は無事に逃げることが最優先で、下手をすれば警察に捕まったほうがいいまである。僕は自分に言い訳しながらも急いでサンドイッチも腹に収めた。

 クローゼットの中には何着かの服があり、見つかりにくい黒っぽい服とジーンズに着替え、近くに置いてあった靴も頂戴することにした。足は傷だらけだったが靴下を履けばまだ幾分ましだった。

 必要のあるものを一通りそろえると、僕はその小さな家を出た。追手が来ることを考えればどちらにしろ長居はできない。

 僕は海岸沿いにそのまま歩いた。


 途中で何回かの休憩を挟んで夜通し歩くと、港のようなところが見えた。その頃には夜もほとんど明けていた。

 海のほうに伸びるコンクリートを考えるとおそらく港で間違いないだろう。完全に言い切れないのは船がないことくらいが原因で、まず間違いないと思われた。ただし同時にこの場ですぐに海へと逃げることができなさそうだということも理解した。

 しかしながら、それらのことはすでにほとんどどうでもよかった。なぜなら僕は一向に追ってこない追手に対して、そもそも追ってきてなんかいないんではないかという疑問を抱き始めていたからだ。たしかに僕が勝手に追ってくるはずだと決めつけているだけで、未だに誰にも追われているわけではなかった。

 その真偽を確かめる必要はあると思った。僕は港に通じている道から、むしろ家がたくさん見えるほうへと歩き出した。

 つまるところ、ここで誰にも追われなければすべては僕の妄想ということになる。追手が追いかけてくるというのは妄想で、逃げ出したものを追うなどということをあの施設ではしないということだ。もしそうであればこれ以上恐怖する必要もない。そしてそれが一番望ましいことだと僕は思ったのだ。

 僕は十分ほど整備された道を歩くと、いわゆる町と呼んでもよいほど建物の密集した場所に出くわした。足元もコンクリートで整備され、左右に伸びる道の両脇には建物がいくつも並んでいる。さすがに隙間なくというわけにはいかないが、建物が並ぶ景色からは想像していたよりもずっと安心感をもらえた。

 その道を歩いていると僕は誰かが名前のようなものを呼んでいることに気づいて辺りを見渡した。すると一人の女性がこちらに駆け寄ってくる。僕は少し身構えた。

「ユウイチだよね? どうしたの? 顔色悪いよ?」

 彼女は僕をユウイチと呼んでいた。それはあの施設の中で見た名前『優一』と同じだった。

 彼女は僕と同じくらいの年齢で、しかしながら当然見覚えはなかった。僕は彼女が追手なのかどうかを判断しかねていた。

「君は?」

「ちょっとー。新手の冗談か何か?」

 彼女は怒って見せているようだがそこに悪意はないように思える。彼女はすぐに笑った。

 彼女は追手ではないのかもしれない。

 そもそも追手が一人で僕を見つけて声をかけるだろうかという疑問はある。その意味で彼女は限りなく白に近い。そして僕よりも僕のことを知っているであろう人間を見つけたことは現状ではむしろ幸いだろう。

「ちょっと体調が悪くて。急だけど、どこかいい場所はない?」

「本当に体調悪そうね。私が泊まってる旅館に来る?」

 場所としては悪くない。少しでも安心できる場所に行きたいし、そこで睡眠も取れればなおいい。

「ありがとう」

「こっちよ」

 その旅館は遠くはなかった。

 そして部屋に連れてかれると安心感のせいか急速に眠気が襲ってきた。

 僕は部屋に入るとすぐに倒れ込むように眠った。


 何時間寝ていただろうか。目を開けると木の天井があった。プラスチックとは違う暖かさを感じる色合いだ。

 僕は布団の上にいた。

 頭には氷嚢が乗せられ、体には掛け布団がしっかりとかけられている。

 すぐそばには出会ったばかりの見ず知らずの女がいた。

 僕は半身を起こした。それに気づいたのか彼女は言う。

「もう大丈夫なの?」

 心配そうに僕に声をかける彼女を、僕は知らない。

 ただただこういう場合に言うべきである決まったセリフを答える。

「ありがとう」

 僕の記憶喪失もここまでくると大したものだ。おそらく彼女は僕を知っていて、それで僕の世話をしてくれている。それなのに僕は彼女のことを何も知らない。申し訳なさもあるが悲しさもある。

 それでも唯一わかることがある。彼女は僕の敵ではない。もちろん記憶から判断するものではなく状況から判断したものだ。寝ている間に僕が捕まっていないということは、すなわち彼女は敵ではないことを意味している。

「まだ寝てなくても大丈夫?」

「もう大丈夫」

「それなら良かった」

 彼女は僕に笑顔を向ける。しかし彼女が向けているのは昔の桂木優一に対してであって今の桂木優一にではない。それはいずれ教えなければならないことだ。そしてそれは早いほうがいい。彼女を騙し続けたとなっては僕にとっては損害のはずだ。

「唐突で信じられないことかもしれない」

 彼女は何かおかしなものでも見るように僕を見る。

「急にどうしたの?」

「僕はどうやら記憶を失っているようなんだ」

 彼女はどう答えていいのかわからないでいるようだった。しかしそんなのは当たり前だ。誰がそんな突拍子もない話を受け入れられるというのだ。ましてや信じることすら危うい。

「本当……なの?」

「ああ」

 今は少しでも身近な人間の信頼を得ておきたい。僕がこの先記憶喪失とともに生きていくためには。

「私の名前も?」

「……済まない」

「……うん。そうだよね。大丈夫。私は優一の味方だよ。今の優一も前の優一と同じくらい優しいと私は思う。だって今の優一からしてみれば会って間もない私に、それを教えてくれたわけだからね。ちょっとまだ整理がつかないけど……ううん、大丈夫」

 彼女は僕の行動を都合よく解釈して味方になってくれているように思える。おそらく僕が早めに真実を告げたことが好影響を与えているのだろう。

「名前は?」

「私はハラチナミ。原っぱのハラに千の波って書いてチナミ。優一、自分の名前は憶えてたの?」

「それもそばにあった紙から判断したんだ。たぶんそういう名前だろうって。ところで、ここはどこなんだ?」

「ここは旅館だけど?」

「いや、地域というか……この場所のこと」

「ああ、ここは鬼灯ほおずき島よ。私も初めて来たんだけど――そうそう。優一が送ってきてくれた手紙でここに来たの。変な手紙だから持ってきたわよ?」

「僕が、手紙を?」

「はい。ここに置いておくわね。私ちょっとお花摘んでくる」

 そう言って彼女は部屋を出て行った。

 手紙は封筒に入っていた。そしてその手紙はひどく仰々しい。新聞か雑誌の切り抜きで作られたかのような文字列。何かしらの事件の犯人が自分の筆跡を見られないようにするためにするそれと同じだ。しかしそれにしてはおかしい点もある。なぜか最後に名前だけボールペンで書かれているのだ。もちろん桂木優一の名前が。

 内容は『一週間以内に連絡がなければ鬼灯島に迎えに来てほしい』というシンプルなものだ。僕はなぜ彼女を呼んだのだろうか。

 考えれば謎は深まる一方だが、そんなことは今はどうでもいい。

 部屋は静寂に包まれている。外でわずかに鳴く虫の声が耳に届くだけだ。外を見て判断するに、もう夕方のようだ。どうやら僕はかなりの間眠っていたらしい。

 ――落ち着く。まるで昨日の出来事が嘘のようだ。

 安心のせいか尿意を催した。僕もトイレに行こうと思い、ドアに近づく。するとドアの外から何か音が聞こえた。僕は異様な雰囲気を察知してドアののぞき穴から外を見た。僕の勘は冴えていた。そこには男が数人と千波がいた。彼女は男たちに抑えられているようで、男の手元には鍵があった。そして男の服の一部に、僕は見覚えのあるマークを見た。僕は不意に現実・・に戻された。男の服に付いているマークは、あの施設で見たものと同じものだった。

 やはり追われているのは僕の妄想ではなかったのだ。やつらは確実に僕を追ってきている。

 僕は静かに、しかし急いで靴をベランダのほうへと持って行き、そこから外へ出た。

 彼女には申し訳ないが、僕のほうが状況は悪い。彼女はすぐに解放される可能性もあるが、僕にはおそらくない。そして、残念ながら彼女のことを僕はあまり知らない。それが僕を無情にさせた一番の理由かもしれない。ただ、可能な限り彼女には助かって欲しいと思った。だから僕に関係があるであろう手紙は持ち出すことにした。靴もきちんと履いて逃げれば、この部屋には僕がいたという痕跡は何一つない。あとは彼女がうまく誤魔化せば何も問題ないはずだ。

 僕は走った。できるだけ早く彼らから逃げた。二メートルを超える越えられそうにない塀ですら、近くの木に登って何とか乗り越えた。彼らから逃げること。それが今の時点での最優先事項だ。

 十分ほど逃げて、僕は息を切らして立ち止まった。そこは通りから少し距離を取った木々の中で、簡単には見つからない場所だと言える。

 そこで息を整えていると、突然何者かに声をかけられる。

「逃げきれそうかい?」

 僕は咄嗟に距離を取る。いつでも逃げられるようにして相手を睨む。すらりとした男がそこにいた。

 『逃げる』という言葉を発している時点でこいつは僕の状況を知っている。

「誰だ」

「そう構えないでくれよ。別に君を捕まえようってわけじゃないんだ」

「その証拠は?」

「ないね。だけどそもそも体格が違うだろう? 君が暴れればボクは負けるだろう。捕まえることは物理的に不可能ということになるね。それは証拠というには弱いものかもしれないが、君を安心させる根拠としては十分なものであるはずだ」

 男は自分の言葉に自信を持っているようだった。確かに好意的に見れば捕まえる気が全くなさそうに見えなくもない。しかし何かを隠し持っている可能性はある。油断はできない。

「だとすれば、なぜ僕の前に現れた」

「実は少しばかり面白い話があってね。できればボクはそれを君に伝えたいと思っている」

 楽しそうに飄々と語る男に、僕は猜疑心しか抱けない。

「そうだ、紹介がまだだったね。ボクは、そうだな――キツネと呼んでくれればいい」

「キツネ? 馬鹿にしてるのか?」

「そこはご想像にお任せしよう」

 ――ふざけたやつだ。

 さすがにこの状況でこんな素っ頓狂を相手にしてはいられない。

 僕は無視してその場を去ろうとした。

「ちょっと待ってくれよ、『桂木優一』くん」

 男が僕の名前を呼んだ。それは僕にとって十分な衝撃だった。

「驚いたかい? でもね、それくらいを調べるのはたやすいんだよ。なぜなら僕は――」

 男の瞳が光ったような気がした

「――情報屋、だからね」

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