セールスマンの近藤拓也
近藤拓也は重たいビジネスバッグを抱えて、汗をふきながら歩いていた。何もかもイライラする。こんなに暑い中を何時間も歩き続けて、行く先々でまるで汚らしい浮浪者が現れたかのように、
「いりません。結構です。」
と蔑む目で睨まれながら玄関のドアを締められる。ごくたまに、
「あんたこの暑いのに外回りなんてたいへんだね。」
と言われると、まるで天使と出会ったように嬉しく感じるようになったのは、この仕事をはじめて得られたことの一つかもしれない。けれども、そういう家にかぎって
「せっかく来てくれて悪いんだけど、うちは学習教材は買えないよ。だってうちには80歳を過ぎたおじいさんとおばあさんしかいないんだからさ。はっ、はっ、はっ。」
と笑われて、つられて笑うものの、外に出たとたん疲れがどっと出る。オートロックのマンションはセールスの仕事をしていると、分厚い氷の扉に取り囲まれたようで、世界中でたったひとり、ここに立っているような孤独感に襲われる。そもそもオートロックはセールスを簡単に追い返せるためについているようなものなのだから、断られるのは当然のことなのだが。それにしても、オートロックの扉の向こう側にだけ人間の生活があって、扉のこちら側でインターホンを押す者は別の星からやってきた悪魔だと言われているような気がする。セールスとは悪魔なのだろうか?
新人研修の時にこの会社の教材の話を聞いて、これは素晴らしい!こんな良い教材に自分も子供の頃に出会っていたら良かったのに!と感じて、絶対にこれは売れると思った日々ははるか遠い昔のように思われる。説明をするもなにも、とにかく玄関が開かない。自分の仕事は役に立つと思っていたのに、入社3年目の今となっては自分は社会からはみ出した悪魔で、すべての人間にとって邪悪な者となってしまったような気がする。仕事に誇りを持て?こんな毎日の中でどうやって仕事に誇りを持つんだ?トップセールスの人が書いた啓発書を何冊も読んだ。暑い日も寒い日も雨の日も、歩いて歩いてインターホンを押した。仕事をせずに遊んでいて非難を受けるなら仕方がないものの、一生懸命仕事をしていて非難されるってなんだ?
今日も契約に結びつくような話は何もなかった。大きな太陽がビルの影に半分隠れる時刻になっても、暑さはやわらがない。会社に戻ろうかな。エアコンの利いたオフィスの冷たい空気を思い浮かべたとたん、頭の中に営業課長の四角い顔が沈む太陽と同じくらいの大きさで現れた。
「お前はまたゼロの男か!お前がいくら疲れた顔して帰って来ても、数字のない人間に誰も同情なんかしないよ。ゼロなら遊んでいたのと変わりないな。どこで遊んで来たんだ?パチンコか?ネットカフェか?あ~あ、漫画喫茶だな。いかにも頑張って来ましたみたいな顔して、涼しい漫画喫茶でエロいアニメ見てニヤニヤしてたんだろ。あれ?違うって顔してるけど、数字ゼロだもんねえ。仕事した証拠は何もないよねえ。担当地域をただお散歩して暑かったなんて仕事じゃないよ。仕事っていうのは数字。数字のない人間はゴミと一緒。つまりお前は会社のゴミってわけだ。給料もらって胸が痛まない?営業の価値は数字だけだよ。いい人なんて褒められないから。どんなに嫌われても、力づくででも数字を挙げる。誰かの役に立ちたいなんて考えてる人間はここでは生ゴミと一緒に埋められて死んだほうがマシっていう評価だからな。よく覚えておけよ!」
ねっとりした喋り方で人の心にナイフを突き刺してくる営業課長を思い出すと身震いがする。どうやって育つとあんな人間が出来上がるのだろう。あれこそ悪魔としか思えない。悪魔に指導されているから自分まで悪魔にとりつかれたのだろうか。なぜ会社はあんな人を管理職にしたのだろう。なぜ社会はこんな会社に生きる道を作っているのだろう。そしてなぜ僕はそこから逃げ出せずに悪魔のエキスを飲まされ続けているのだろう。
自慢じゃないけど、小学校では野球もうまくて、勉強もそこそこできて、友達にも人気があった。中学は勉強と部活で必死に毎日をこなして時間が過ぎて行った。高校の時は本気で甲子園を目指したけれども、梅雨が完全に開ける前に僕らの夏は終わった。それから命懸けで勉強した。睡眠時間も惜しんで勉強した。第一志望の大学には入れなかったものの、大学には誇りを持って通った。そして、そんな子供時代、とにかく両親に支えられた。決して裕福ではなかったけれども、両親はいつも応援してくれていた。美味しいご飯のある家庭で愛情を感じながら育った。人生のどこで人の価値は数字だと学ぶ機会があったのだろうか?野球で負けても、仲間と同じ目標に向かった日々はいまだに胸が熱くなる。結果ではない価値が存在していた。第一志望の大学に落ちた時も、先生も両親も友達も非難することはなかった。一生懸命やってできない人をバカにしてはいけないと学校でも教えられた。日本人は人を思いやる心と礼儀正しさを持った民族だという評価の本も読んだ。こんな日本の教育と日本の社会の中で、なぜ悪魔が堂々と生きていられるのだろうか。どこで悪魔を体内に入れてしまうのだろうか。自分は悪魔になるために、勉強やスポーツを頑張ったんだろうか?両親もこんな人間にしたくて応援してくれていたんだろうか?そんなはずはない。どこで何を間違えてしまったのだろう。
就職活動の年は恐ろしく不況の時だった。前年に内定取り消しのニュースが流れて、次に就活を控えた僕らは不安だった。そして、予感は当たった。厳しい就活が待っていた。大学の掲示板の就職情報は例年の半分以下だった。あの時も今とおなじように、歩いても歩いてもトンネルから抜け出せないような恐怖心で毎日を過ごしていた。一流企業と呼ばれる会社ですら、面接の結果の通知が来ない。採用でも不採用でも返事くらいくれるものと信じていたのに、それが社会人のマナーだと思っていたのに、何の連絡のないまま、ホームページの採用サイトで今年度の採用は終了しましたという文字を見て、自分の不採用を知る。学生に対する大人たちの仕打ちはひどかった。そんな中、今の会社の説明会に参加した。説明会の翌日から毎日会社から電話が来た。食事にも何度も誘われた。どういうわけか商品券やら電化製品まで郵送されてきた。あなたの能力を是非我社に。待遇面では他社に負けません。やりがいのある仕事です。世の中の役に立つ仕事です。ノルマは目標であってそんなに難しいものではありません。等々選挙演説のような電話が連日かかってきた。そして、それをまんまと信じた結果が今だ
会社に戻るのも気が重く、拓也はすぐ横に市民の森と案内板の出ている森の中の公園を見つけ、少し涼んで行こうとベンチに座った。意識的に下を見たわけではないのに、何かが目に止まった。足元に国語辞典くらいの大きさの箱が落ちている。普通なら気にしないはずのただの箱が、妙に気になる。箱の上にカラフルな文字が書いてあるように見える。拓也は箱を拾ってみた。
「この箱は落し物です。拾った方は届けてください。」
と書いて、地図がついている。落し物です?おかしいだろう。落し物って、気づかづに落としてしまったものが落し物なのではないか?はじめから落とすつもりでメモを書いているってどういうことだ?まあ子供のいたずらだろうな。
箱は軽かった。振っても何かが入っている様子でもない。それにしても、ついている地図がまた変わっている。確かに森の入口からベンチの位置は正しいが、森の中を進んだところに扉とあってドアの絵が書いてある。おとぎ話の世界を想像したんだな。ドアを開けるとそこは魔法の国だった・・みたいな。そして落し物の届け先は「くまばあちゃんのレストラン」と書いてある。これまた童話の中によくありがちなことだなあ・・。でも、こんな憂鬱な気分の時はおとぎ話も悪くないなあ。拓也は苦笑いをして箱を持って森の中に入ってみた。地図の通りに進むと唐突にドアがあった。拓也は首を振った。ヤバイ、相当疲れているんだな。まさかあまりのストレスで精神がおかしいのかなあ。この扉を開けるのは、美味しい話に乗せられて今の会社に入ったのと似てるよな。そんな話を信じたお前がバカだってみんな思うよな。だけど、扉は見える。見えるだけか?触ったとたんに消えるっていうパターンだな。拓也はドアに触れてみた。開く。いやいやこれは入ってはいけないやつでしょう。いくらなんでも無事にでてきてこんな話したら、間違いなく病院に連れて行かれるよ。無理無理。会社に帰ろう。と思った瞬間、頭の中に再び営業課長が現れた。これはストレスだ。ストレスでファンタジーの世界に行ってしまった気の毒な営業マンになろうとしているんだ。頭がおかしくなるのと会社に帰って営業課長に嫌味を言われるのと究極の選択をしろってことか。
拓也はドアを開けた。ドアの向こうはまた同じような森が続いている。地図の通りに進むと、これまたヘンデルとグレーテルの絵本に出てきたお菓子の家のようなメルヘンチックな家が現れた。あまりにも単純というか、よくありがちな光景というか(メルヘンの世界ではだけど)。これは夢だな、疲れると脳が子供に帰るんだろうかと考えながら、くまばあちゃんのレストランらしき建物にたどり着いた。中からレストランというほどではないが、食べ物らしき匂いもしている。また扉を開けるかどうかの選択か・・。一回目の扉を開ける選択よりは今度のほうがハードルが低い気がした。そっとドアを開けてみた。やっぱり。またまたメルヘンチックなものが現れた。大きなくまがリボンをつけてボップなエプロンをして、キッチンで鍋をかき混ぜている。こんな光景だと想像したとおりだったような気もするが、とてもおそろしい気もする。どこまでも少女っぽいメルヘンの世界に入ってしまった。僕の脳の潜在意識はこんなに女子だったんだろうか?
拓也が入口でくまを見つめたまま立ち止まっていると、
「いらっしゃい。よく来たね。どこでも好きなところに好きな格好でお座りなさい。自由にね。落し物を届けてくれたお礼にスープをごちそうするからね。」
と、くまに言われた。やはりくまがしゃべるか。ここまで来るとメルヘンもリアルになってくる。
大きな木のテーブルの周りに木の椅子がいくつか置かれているので、拓也は言われたとおり、そのうちの一つに座った。普通の格好で。でも、不思議とリラックスして自由な感じがしてきた。しばらくすると、テーブルの上に湯気の出ているスープが置かれた。こんな暑い日にスープね。くまばあちゃん(くまなので年齢はわかりずらいが)は拓也の向いの椅子に腰掛けた。拓也は食べるかどうか迷ったけれども、夢なら食べてもいいだろうとスープをひと口飲んでみた。
「まずいっ!」
大変失礼だとは思いながら思わず言ってしまった。硬い木の実のような具がゴロゴロはいっていて、なんだか苦いし、変な臭いもする。どうせ夢ならもう少し美味しいものが食べられるといいのに。
「やっぱりねえ。あんたにはまずいだろうねえ。ハッハッハ。」
くまばあちゃんは大きな身体を揺すって笑った。
「そのうちね、このスープでも美味しいと感じる時が来るから大丈夫だよ。」
大丈夫って何が?拓也はひと口でスープを飲むのをやめた。
「あんたの頭の中は会社と数字のことでパンクしそうだねえ。」
くまばあちゃんがのんきそうにぼそりと言った。
「あんた僕の何をしっているんだい?僕だってねえ、会社のこととか数字のこととかを考えなくてすむならどんなにいいだろうと思うよ。僕はそんな人間じゃなかったのに、会社のせいでそればっかり考える人間にさせられたんだよ。僕だってそんなこと忘れたいんだよ。くまに人間の社会の苦しみがわかるわけないだろう。」
拓也はなんだか無性に腹がたった。さっきまでのイライラが蘇ってきた。けれどもくまばあちゃんは拓也の反論などまるで聞いていなかったかのように、のんびりとした口調で話しを続けた。
「これからはね、時々図書館に行くといいよ。」
と、いきなりとんちんかんなことを言い出した。
「写真集なんか見てごらん。世界のいろんな場所が出て来るのが特にいいねえ。広大な敷地の農場で働く人、市場でものを売る人、街の片隅で似顔絵を書いている人、牧場で牛の世話をしている風景、山の中を走る列車、雄大な滝、鏡のような湖、透明なブルーの海、それからね、貧困のスラム街で遊んでいる子供たち、内紛が続いている国、そんな世界中の色々な写真を見ながらたくさん想像してみてごらん。音や声が聞こえてくるくらいに想像するんだよ。写真に写っている場所での人の声、足音、水の流れる音、鳥の声。自分の知らない場所の人たちが、どんな家に住んで、どんな食事をして、どんな会話をして、どんな夢を持って、どんな仕事をして、どんな道を歩いて、どんな学校に通って、どんな文房具を使って、どんなベッドで寝て、って色々空想してごらん。歴史の本や世界の古典文学なんかもいいね。あんたは頭だっていいんだから、たくさん読んでたくさん想像できるだろう。子供のころに戻ったみらいにね。そこで暮らしている自分を想像してもいいよ。写真で見た街のマーケットでお店の人と冗談を言いながらお肉を買っている自分とかね。スラムの子供たちにキャッチボールを教えている自分とかね。または、16世紀のフランスの貴族になってみるのはどうだい。これからはね、夜寝る前にもいつもそんなことばかりを想像してごらんよ。ワクワクしながらね。会社のことを考えながら寝るのはおしまい。夜寝る前まで嫌いなことを考えるなんてもったいないじゃないか。ロープでぐるぐる巻きにされていたんじゃ、どこにも出かけられないだろう。ロープは自分でほどけるんだよ。固く結ばれて取れないような気がしているだけ。ゆっくり時間をかけて、ほどこうとすればできるから、そんなことは心配しなくていいんだよ。まずは心に巻きついているロープからほどいてみなさい。心の中だけででも世界中の色々な場所や歴史の中の色々な時代を自由に旅しておいで。本や写真の力を借りながらね。楽しくてたまらないことばっかり想像するんだよ。はじめからうまくはいかないだろうけど、そのうちきっと楽になるよ。いろんな事がね。そうしたらスープも美味しく飲めるよ。そうなれた時もそうなれない時もここにおいで。あんたはいつでもここに来られるんだから。ドアの場所を覚えただろう。ここに来ればいつだってあたしがスープを入れてあげるんだからさ。」
くまばあちゃんの言っていることが拓也には理解できなかった。そんなことでこの苦しみから逃げられるなんて有り得ないだろう。スープだって美味しくないんだから、わざわざ飲みにくるなんて思わないのに。だけどくまの言うことだから仕方がないか。そもそもくまと会話していることが理解できないことなんだから、これは夢の中なんだ。くまばあちゃんは格好は少女みたいだけれども、話し方はやっぱりおばあちゃんだなと思った。とりあえず、落し物は届けたし、スープはまずくて飲めないので、帰ることにした。くまばあちゃんのレストランのドアの外に出て、森のドアの外に出ると、さっきと何も変わらない景色があっった。
拓也は次の日から、何をやっているんだろう、バカみたいだなと思いながらも仕事中に図書館を見つけると入って写真集を見た。特にヨーロッパの景色が好きだと感じるようになった。伝統が伝わる建物に見入った。たくさんの戦いを繰り返しながら築かれてきた文化を身近に感じるようになった。もしもこの時代のフランスで自分が生きていたとしたら、と想像すると、なんだか笑えた。フェンシングのコスチュームを身につけた姿なんかを思い浮かべると、あまりの似合わなさに吹き出してしまう。会社の帰りに本屋にも寄るようになった。寝る前も本を読んで、今の自分じゃない自分を想像しながら眠るようなった。それは成功している自分を想像しているわけではなかった。ただ、ワクワクしている自分を想像していた。仕事に関係のない本を読むことは久しぶりだった。仕事の役に立つという理由で新聞だけは何誌か読んでいた(読まされていた)けれども、それは読書とは別の物だろう。正確には読書感想文の宿題がなくなって以来、ほとんどまともに本を読んでいなかった気がする。図書館なんていうところに行ったのも中学生のときが最後だった。図書館の紙の匂いが学校を思い出させる。学校のことを考えると、今更ながらありきたりの、学生時代とは輝かしい青春の日々だったんだなと気づく。青春なんて後で振り返ると輝いているものだと父さんが言っていたのを思い出す。ホントにそうだ。それにしても、会社に入ってから、なんてたくさんの落し物をしたんだろう。いっぱい持っていた宝物を危なく全部落としてしまうところだった。今からでも遅くないよな。落し物を拾いに行こう。ゆっくり落し物を拾って、ゆっくり新しい宝物も探しに行こう。
それにしても、くまばあちゃんのレストランはなんだったのか?夢だったのか現実だったのか、いまだに拓也には謎だった。
それから半年。拓也は以前よりだいぶ元気になっていた。あの森の公園の横もたまに通るものの、追い詰められてファンタジーの世界に行った自分がちょっと気恥ずかしいこともあって、中に入っていくことはなかった。けれどもその日は、たまたま森の横を通過中に手帳を確認したいと思い、森の中のあのベンチに座った。まさかと思いながら足元を見ると、箱がある。文字と地図が見える。拓也は箱を拾った。そして手帳の1ページを切り取って、「この落し物を届けに行かれる方は、くまばあちゃんに、近藤拓也は元気ですと伝えてください。」と書いて貼り付けた。くまばあちゃんにもう一度会ってみたいような気もする。でも、この落し物は僕ではなく、別の誰かが届けに行ったほうがいいよな。拓也は箱をそっと地面に置いて立ち上がった。森の出口で振り返ると、学生服を着た男の子がベンチに座って箱を拾い上げていた。
「行けよ!本当に扉があるから。」
拓也は学生には聞こえない小さな声でつぶやいた。