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第九話 一陽来福

(いちようらいふく):悪い状況の後に、よい状況がめぐってくること。


 月人と手を繋いでジャングルと化した街を歩く。


 月人と手を繋いでいれば他の植物は襲って来ないのだと分かったからだ。だったら蔓をかわす訓練などしなくても良かったのに、どうしてそれを教えてくれなかったのかと問うと、月人は訊かれなかったからだと悪びれもせずに言った。


 私はがっくりと項垂れる。きっと私には学習能力がないのだろう。


 あまりにも自分の身体能力が低いことにうんざりした私は、例えば蔓が寄りつかないような嫌いな匂いはないのかと月人に訊いたのだ。そうしたら月人は事もなげに自分が傍に居れば他の魔緑は襲ってこないと言った。あっけにとられて呆然と佇む私に、月人は気遣わしげに続けた。


『だけど、今の状態で夏夜の所へ行くのならば、一つ僕と契約をしてほしいんだ』

「契約? 何の契約?」

『もし沙羅が死んだら、その体を僕にくれるっていう契約』

「……」

 絶句する以外、私に何ができただろうか。

『ダメ?』

「ダメってか、私の死体をどうするわけ?」

『沙羅がほかの魔緑の苗床になって吸収されるんじゃないかと思うとすごく嫌な気分になるんだよ。そんなことになるくらいなら、沙羅をずっと家の外に出したくない』


 ――まぁ、他の植物の苗床になるくらいなら、月人に吸収された方がいいか……な? うーむ。でも、そうしなけりゃ家から出られそうにないよね。


「……死んだ後にどうしようと構わないよ。月人の好きにしたらいい」

『嬉しいよ。じゃあ沙羅の死骸は僕のものだから。これで、いつか一つになれるね』

 異常に嬉しそうな月人に不安になる。私は早まった約束をしたんじゃなかろうか。しかし、死んでから一つになるなんて、ロマンチックなんだかホラーチックなんだかよく分からないな。


 その後、月人がいそいそと持ってきた紙に一筆書かかされた。目の前の誓約書に正直ドン引きしたが、月人があまりにも嬉しそうなので撤回するのも憚られ、結局、署名捺印までしたのだった。

 「私こと夏原沙羅は、死後、月人にその死骸を与えます。二○一二年八月三十一日」

 ――引く。何度見ても引くよ~。ドン引きだよ……。


◇◆◇


 夏夜ちゃんの家は隣町にある。たくさんの蔓に絡みつかれた家々を横目に見ながら急ぎ足で歩く。日盛りの街並みは、しかしまるで森の中にでもいるかのように静かで時折涼風が駆け抜けていた。


 当然と言えば当然なのだが、夏夜ちゃんの家もまた蔓に絡まれていなかった。うちと同じように四隅には月下美人の株が通せんぼするように緑の津波の侵入を防いでいた。


「夏夜ちゃん? 夏夜ちゃん居るんでしょう?」

 ドアをノックするが返事はない。ドアに耳を寄せてみたが、中は静まり返っている。私は持参したカッターで蔓を切断しながらなんとかドアを開けた。

「夏夜ちゃん、夏夜ちゃんっ」

 玄関先で名を呼ぶ私の口を月人が塞ぐ。

『しっ、静かに。あれ、聞こえない?』


 幽かに音楽が聞こえた。緩やかなピアノの音だ。

 柔らかに響いている旋律はドビュッシーの月の光。


 私は勝手に家の奥へと進んだ。音色は二階のリビングから聞こえていた。彼女の家は二階にリビングがあるのだ。私は意を決して階段を上った。


 リビングには、五つの蔓玉があった。大きいのが二つ、小さめなのが二つ、そしてとても小さなものが一つ。そのうち大きい二つは床に転がっており、小さい三つは天井からぶら下がっていた。

 ふと窓際に目をやると、そこには……夏夜ちゃんがいた。

 私は彼女を見て息を呑む。


 彼女の体にも蔓が幾重にも巻きついていて葉を茂らせている。葉の間から覗く青白い顔は、まるで巨大な花の花芯のように見えた。瞼を閉じたまま、うっとりとした表情でまどろむその姿は、まるで花の化身か妖精のように見えた。ピアノはそんな彼女の背後で鳴っていた。無数の蔓が鍵盤に貼りついて柔らかな旋律を奏でている。


「夏夜ちゃん!」

 私は思わず駆けよって彼女を覆っている植物を掻き分けた。彼女を覆っている月下美人は夏夜ちゃんを苗床にして、まるで一体化しているように貼りついていた。隣のおばあさんと同じ状態だ。

 ――遅かった? 遅かったの?


 夏夜ちゃんのまどろんでいるように閉じられた瞳を開けたくて、ピアノの音を止めたくて、懸命に夏夜ちゃんを揺さぶるが目は固く閉じられたままだ。

 私はふと思いついてピアノに向かった。

 チャイコフスキーのバレエ組曲、クルミ割り人形「花のワルツ」。


 それは小学校の頃にピアノの発表会で夏夜ちゃんと連弾した曲だった。二人で何度もバレエの録画を見ながら弾き方を工夫した。私が低音部を、夏夜ちゃんが高音部を、風に舞う花のように軽やかに華やかに奏でた。

 月の光がとぎれ、夏夜ちゃんの長い睫毛が小さく震える。


 ――夏夜ちゃん、目を覚まして!


 ところが夏夜ちゃんが目を覚ますよりも先に、彼女の背後から別の白いものがにゅっと立ち上がった。次の瞬間、蔓がヒュンと飛び出して私の両腕を拘束する。

 私は悲鳴を上げる間もなかった。

 その白いものは人の顔をしていた。青白く背が高いところは月人とそっくりだけど、顔の作りが全然違う。私は言葉を失った。なぜならば、その白い顔は私の顔そっくりだったからだ。


『何をしにきたの? 今更何をしに来たのよ?』

 私と同じ顔をしたそれは、月人と同じ声で話しかけてきた。

「シロ? あなたがシロなの?」

『夏夜に触れないで。夏夜は私が守る。もう誰にも触らせない。例え君でも……。だって君は夏夜を救えなかったんだから』


 拘束された両腕がギリッと持ち上げられて、吊るされた状態になる。自重に耐えかねて思わず声が漏れた。

「うっ、くくっ。月人! 月人助けてぇ」

 だけど月人はぴくりとも動かなかった。まるでただの植物になったかのようだ。


『つらい? いい気味ね。夏夜はもっとつらかったんだよ。誰も助けてくれなくて、誰も信じてくれなくて。君に話を聞いて欲しかったのに、君は夏夜と向き合おうとしなかった。月人はね、私から分離された欠片なの。私が本体なんだから、月人はもう君の言うことなんか聞かないよ。残念だったね』

 そう言うと、シロは月人に命令した。


『月人、この子を吸収しなさい。そうして私たちはまた結合して元に戻るの。そうすれば夏夜は寂しい思いをしないですむ。そしてこの子も一人ぼっちの寂しさから解放される。この子の望みにも月人の望みにも何ら反するところはない。そうでしょ?』


 シロの言葉に頷いて、月人が近づいてきた。

「月人……嫌だ。嫌だよ」

 私は体をよじって月人から逃げようともがくが、吊るされた腕が千切れそうで涙が零れた。

「月人は私を苗床にしないって言ったじゃないっ。忘れちゃったの?」

 呼吸が激しくなってくる。


 ――ダメだ、怖い。こんなに激しく息をしてはダメ。ダメ……呼吸を止められない。ダメ……。手足がしびれて、頭の中が真っ白になっていく。


『沙羅、こうなることが分かっていたから自力で脱出できるように僕は訓練したつもりだったんだけどな。忘れちゃった?』

 月人は憐れむような眼つきで私を見つめると、躊躇う様子もなく私の体を抱き上げた。蔓がすばやく巻きついて私をぐるぐる巻きにしていく。自重でテンションがかかっていた腕の痛みは消えたが、逆に蔓に巻きつかれて呼吸が浅くなっていく。


「苦しい……苦しいよ。月人……助けて……」

 涙が勝手にポロポロと零れた。呼吸が滞って視界が薄暗くなっていく。月人は苗床にする前に、私を絞め殺すつもりなのかもしれない。死んでしまえば苗床にして吸収してもいいと、私は月人と契約したではないか。

 ――月人、あの契約はこの為だったの? 月人、ひどいよ……。


 指がむなしくポケットのカッターをまさぐるが、ようやく取り出すことに成功したそれは過呼吸でしびれた指先から零れて、カタタンと音をたてて転がった。

『君は……本当に不器用だね』

 月人がクスリと笑んだ気配がして、私は意識を手放した。


 夕刻の日射しが差し込む部屋の中で、私は目覚めた。

 目の前には泣き腫らした顔で私をぼんやりと見つめる夏夜ちゃんと、バラバラに千切れた月人とシロの残骸が散らばっている。夏夜ちゃんはシロから分離されていた。


「月人っ!」

 私は慌てて、月人の千切れた上半身を拾い上げた。もうすっかり萎びていたが、美しい顔はそのままで、静かにほほ笑んでいるように見える。シロの方はもっとバラバラに千切れていて顔の輪郭さえ残っていなかった。


「夏夜ちゃん、何があったの? 月人は? シロは? どうなっちゃったの?」

「月人がシロに切りかかったの。あなたが落としたカッターナイフで……」

 私は息を呑んで絶句した。

 ――月人が同朋に切りかかった?

 それは彼の行動規範に反することで、彼がもっとも忌み嫌っていた禁忌だったはずだ。なのに……月人、どうして……。


 私が気を失うと同時に、月人は私が落としてしまったカッターナイフでシロに襲いかかったのらしい。


「月人は、沙羅は確かに寂しがりだけれど、自分と同化することなんて望んでないし、自分も望まないって言っていたわ。そして私に言ったの。沙羅を信じて欲しいって。沙羅は臆病で寂しがりで泣き虫だけれど、私の力になりたいって思ってるって。だから信じてやってほしいって、私に言ったの。月人は沙羅のことが大好きで、だから沙羅が泣くのを見るのが嫌なんだって……そう言ってた。私ね、勘違いしてた。植物なんだから、分かりあうことなんてないって、命令を聞くだけの存在なんだろうって、シロのことをそう誤解していたの。私、ひどいことをシロにさせちゃったわ。たくさんひどいことをさせたの。ひどいことをされたからって、別の誰かにそれ以上のひどいことをしていいって訳じゃないのに……。私、どうしたらいい?」

 夏夜ちゃんは泣きじゃくった。


「夏夜ちゃん、ごめん。私がもっと夏夜ちゃんの力になっていれば良かった。これからどうすればいいか、一緒に考えよう。私が力になるから。大した力にはならないかもしれないけど、夏夜ちゃんを絶対に一人にしないから……」

 私は夏夜ちゃんの手をとった。


「沙羅ちゃん、ありがとう。でもね、私、取り返しのつかないことをしちゃったの。もう私は誰にも許してもらえない」

「夏夜ちゃん、何か方法があるはずだよ。大丈夫だから……」

 私はなすすべもなく夏夜ちゃんの細い肩を抱きしめた。


 その時、幽かに月人の声が聞こえた。

『夏夜、沙羅の言ってることは本当だよ。本当に大丈夫なんだ。シロは誰にもそれほどひどいことはしてないよ。君のお母さんもお義父さんも弟妹も、眠っているだけなんだ。死んではいないんだよ。君がそんなことを本当は望んでいないって、シロは分かっていたから……。夏夜、君はこの家を出た方がいい。そうするべきだと僕は思う』

 月人の言葉に夏夜ちゃんは安堵して、でも相変わらず涙を流しながら何度も頷いた。


「月人……、月人生きてた。良かった。良かった……」

 私は呆けたように泣きながら月人の上半身を拾い上げて抱きしめた。

『沙羅、ごめん。辛い思いをさせたね。もし君が許してくれるなら、僕の欠片を連れて帰ってくれないか? これからも君と一緒に居たいから』

 私は月人の欠片を抱きしめたまま、何度も何度も頷いた。

『でもね沙羅、そっちじゃなくて、僕の根っこの方を連れて帰ってくれる? その方が早く復活できるからね』

 月人の少し困ったような、でも圧倒的に嬉しそうな声が聞こえた。


◆◇◆


 首都圏を中心に勃発した植物の爆発的繁茂は、自然収束の兆しを見せ始めていた。


 魔緑は人の心を反映する。当然の帰結として、たくさんの望みを叶えるべく植物たちは暴走した。人を傷つけたいと望んだ人は傷つけたい魔緑を生み出し、殺したいと望んだ人は殺したい魔緑を生み出した。ただその植物たちは、望んだ人とその他の人を区別しなかった為に、自分を生み出した人までをも排除していったのだ。望む人が消え、望みが消えると暴走は止まった。その結果の収束だった。


 緑の津波が収束し、通常の暮らしが戻ったのは冬になる少し前のことだった。通常に戻ったとはいえ、前と全く同じ状態に戻った訳ではない。というのも、事件中、相互依存の関係になった人と魔緑のうち、月人のようにあるいはシロのように自分で意志を持ち、自由に歩き回り、会話をすることができるようになった緑人(りょくじん) なるものが多数発生していたからだ。


 他にも、人間と一体化して新たな目として視力を補うようになった魔緑、一体化して人工透析の代わりに体内に入り込んで老廃物を消費するようになった魔緑、酸素を直接体内に注入する魔緑、あるいは体躯の欠損を補う為に一体化した魔緑もいて、世間を驚かせた。


 緑の津波収束から半年経った今、緑人をどのように扱うかということが盛んに議論されている。

 言語による意思疎通ができるのだから、ペットではないだろうという結論に落ち着いたものの、そうなると緑人の基本的人権とか参政権とか教育を受ける権利とかそう言ったことをどうするのかが論点になっている。挿し木で増える緑人の人口問題も深刻だ。DNAで区別しようとしても、月人とシロのように全くの別人格としてそれぞれに存在する者も多数いたからだ。


 我が家も随分変わった。電車に閉じ込められていた母と、会社前で締め出しを喰らっていた父が帰って来たのは、事件が収束してから更に一週間が過ぎた頃だった。驚いたことに、父も母もそれぞれ緑人を連れていて、父の緑人は母に似ていたし、母の緑人は父に似ていた。これでどっちかが違う顔になっていたらどんなことになっているのか、想像しただけでも恐ろしい。

 しかし、何はともあれ、我が家は三人の人間と三人の緑人が同居する賑やかな大家族になっていた。


 夏夜ちゃんはあの後、家を出てシロと二人で暮らし始めている。

 シロは再生して別の顔になった。夏夜ちゃんが言うには、その顔は亡くなったお父さんに似ているとのこと。また私の顔になるんじゃないかと密かに心配していたのでほっとした。双子でもないのに自分と同じ顔がいる生活には馴染めそうになかったからね。


 月人には前と同じ顔になってもらった。やっぱりあの姿が恋しかったし、なんと言っても主人公になる吸血鬼キャラは美形なのがデフォルトだからね。見ているだけで眼福だ。

『沙羅ぁ、早くしてよ。僕、今日は学校見学会だって言っただろ? 遅刻なんて嫌だからね。置いてくよ?』


 一先ず、緑人を教育することが必要だろうと言うことになっていて、今学校は対応に大わらわだ。今回の事件のように、パートナーの人間の望むままに暴走されては困るからだ。


「はぁい、今行くー」

 慌てて通りに飛びだすと、月人に思いっきり引っ張られた。途端に私のすぐ脇を車が掠めるように通り過ぎる。

『あっぶないなぁ。沙羅、君は僕のものなんだからね、僕がいないところで勝手に事故って死なないでよ? 他の緑人にとられでもしたら、僕、本気で怒るからね』


 そんな愛に溢れているような、良く聞けば縁起でもないような言葉をぶつぶつ呟く緑人の月人と手を繋いで歩く。バス停は桜並木の向うだ。満開の桜の花の下、バス停には春の日差しが心地よく降り注いでいた。


 世界は常に流動している。

 だから、世界がいつまでもこのままだなんて思っちゃいけない。

 世界はとても脆弱で、時には壊れ、時には光を失う。そして光を再び取り戻す為には、たくさんのエネルギーが必要になることもあるのだと、世界とはそんなものなのだと、心して生きていくしかないのだ。



(了)


最後まで読んでくださってありがとうございました。招夏(拝)

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