第四話 主従関係
ようやく熱が引いた私は、電気の途絶えた薄暗い室内で呆然と辺りを見回した。ガスも水道も電気も途絶え、助けを求めに外にさえ出られず、どうすればいいのか、世の中がどんなことになっているのかの情報すらない。そんな中で私が生きながらえていたのはひとえに、月人が居たからだった。
月人は、停電して使えなくなった冷蔵庫の中の野菜を使って庭に畑を作り、出なくなった水道の代わりに地下水を吸い上げ供給する仕様の植物を作り、とりあえず最低限、私が家の中で暮らせるようなシステムを作り上げてくれていた。同じ植物同士だからなのか、月人は植物を自在に操る事が出来るようだった。
キッチンの蛇口には隙間から引き込まれた蔓性植物が絡みついていて、その穂先からぽたぽたと水滴が滴り落ちている。シンクの中にはその液体を受ける為の寸胴鍋が置かれており、喉が渇くと、月人は杓子を使ってその液体をグラスに注いでくれた。それはほのかに甘く幽かにブドウのような匂いがした。
野菜しかないけど、と言いながら月人が差し出してくれたトマトやキュウリやナスは、どれも瑞々しくて美味しかった。冷蔵庫にあったものはほとんどダメになっていたので処分したよと言うので、キュウリやナスに軽く塩を振って食べる。
この暑さじゃ仕方ないよね。マヨネーズがなかったことに少し、否、かなりがっかりはしたが、塩だけでも結構いける。
『もう少ししたら沙羅の大好きなスイカも食べられるよ。あ、それから、庭にあった木の幾つかを改良したから、木の実類もあと少ししたら収穫できると思う。夏野菜だけではカロリーが足りないだろうからね』
月人が何事も起こっていないかのような口調で、しかも、どちらかと言うと嬉しそうにそう話すものだから、私は顔を顰めてしまう。
なんだか、私、月人に養ってもらってる感じだな。まぁ、だけど、そもそも動物なんて植物に養われているようなものか。そうだ、それよりも……。
空腹がとりあえず満たされると、他のことが気になってくる。
「月人……世界はどうなっちゃったの? パパやママはどうなっちゃったの? 私はこれからどうなるの? どうすればいいの?」
『沙羅はどうしたいの?』
無表情に問いで返す月人の白マントの裾に、縋るように手を伸ばす。
「パパとママに会いたいよ。無事かどうか知りたいし、学校のみんなもどうしてるのか知りたい。いつになったら外に出られるの?」
『学校のみんなとは具体的には誰のこと?』
具体的?
私は混乱したまま、だけど思いつくままに友人知人の名前を羅列した。月人はそれらの名前を記憶に留めるかのように復唱する。
「……月人、それを聞いてどうするの?」
『少し時間はかかるけど、ネットワークを使えば安否はわかると思うよ』
「ネットワークって?」
『根ットワークって言えば分かってもらえるかな。僕達植物は、根っこを使ってコミュニケーションをとる事が出来るんだよ。だから誰がどこに存在しているのかいないのかくらいなら、時間をかければ知ることができる』
私は月人の言葉に愕然とする。
月人は植物であって動物ではない。自分とは違う。姿を変えて、今は同じように見えるけれども全く別の生き物なんだ。
「……月人、まさかとは思うんだけど、外ではびこってる植物と月人は違うんだよね? 同じ植物でも、月人は人を襲ったりしないんだよね?」
蔓に寄生されていたおばあさんの恐ろしい姿を思い出す。
『……分からない』
「分からないって……」
私は混乱して震える声で呟く。
『あれは襲った訳じゃないと思うんだ。沙羅だってお腹が空けば何か食べるだろ? あれは苗床が必要だったからあの体に宿った、それだけのことさ。襲ったなんて言われたら、何か悪いことをしたみたいじゃないか』
確かに、たった今私はトマトやキュウリを食べたばかりだ。でも私は野菜を食べたのであって襲った訳じゃない、そう言うと、何が違うのかと月人は問う。
「じゃあ……じゃあ、月人は必要になれば、私のことも苗床にするの?」
『……では逆に訊くけど、沙羅は飢えて死にそうになっても僕のことを食べない?』
私は虚を突かれて固まったまま頭を巡らせる。
確かに私たちは、同じ生態系と言う名の循環の環に組み込まれている。だけど、私は動物、月人は植物。互いに違うステージにいる者同士なのだ。それを思い知らされる。日頃私は、植物は食べるもの、もしくは愛でるもの、あるいは雑草として抜くものとしか考えていなかった。だけど、もし私がここで死んで死体となってしまえば、分解され土に戻り、植物の苗床になるのが正順だ。植物にとって私の体は栄養豊富な苗床に過ぎない。隣のおばあさんは死ぬ前に苗床にされただけで、循環としての順序はなんら変わりないことになる。
だけど……私は月人とこうやって会話ができる。暑い日盛りには水をやって、花が咲けば喜んで、動けるようになれば服だって作ってあげた。それに、月人だって私を他の植物の攻撃から救ってくれたじゃないか。
私にとって月人は、そこいらに繁茂している雑草とは訳が違う。だから月人にも私は植物を食む単なる動物ではないと、私は月人にとって特別な存在なのだと、そう思って欲しかったんだと思う。単なる私の勝手かもしれないけれど。
「……飢えて死にそうになっても、私は月人を食べないよ」
視線を上げてきっぱりそう言い放つと、月人は無表情なままだったけど、纏っていた空気をふわりと解いた。
『ふふ、そう言うと思ってた。だけどね、僕たち植物は、動物に食べさせようと画策することもあるからね、そこんところは複雑だな』
「……んじゃ、どうすりゃいいのよ」
口をとがらす私に、月人は肩を竦めた。
『僕が食べてもいいと言ったものは食べてもいいよ』
「……分かったよ」
◆◇◆
一人っきりのビバーク生活は既に一カ月を過ぎようとしていた。
飢えない程度の食事と水、家から一歩も出られない不自由さ、電力がない時の暇つぶしは読書しかない。それさえ暗くなってしまえばできなくなる。時間は腐るほどあるのにすることがない。そんな夜をいくつも過ごしているうちに、私はだんだん無気力になっていった。
両親は、都内のどこかのビルの中で生きているらしい。
――月人がそう言うんだからそうなんだろう。
私が安否を気にしていた友人知人の内、半数くらいは無事が確認できた。確認できていない人でも、必ずしも死んだとは限らず、根ットワークが届かない孤立した場所に避難している場合もあるから、それほど心配する必要はないと月人は言った。
――月人がそう言うんだからそうなんだろう。
無事が確認できなかった半数の人たちは、実際どうなったんだろう。やはり苗床になってしまったんだろうか。それとも絞殺されてしまったんだろうか。
そこまで考えたところで息苦しさを覚えた私は胸を押えた。手足が冷えて動悸がひどくなる。異変に気づいた月人がすぐに私の鼻と口に紙袋をあてがってくれる。袋の中の空気を何度も呼吸しているとだんだん治まってくるのだ。過換気症候群と言うらしい。月人が根ットワークを使って、どこか別の場所で医師を避難させている植物から聞きだしてくれた。
隣のおばあさんの一件以来、それを考えるとパニック状態に陥って、私は過呼吸の発作を起こすようになっていた。だから極力考えないようにしている。
月人によると、生き延びている人間のほとんどは、月人のように進化して動けるようになった植物の庇護のもとにいるらしい。ということは、無事でいると月人が言う私の両親の傍にも、月人のような植物人がいるんだろうか。
だけどその頃の私は、そう言ったことはもうどうでも良くなっていた。考えることが苦痛だったのだ。
世界は相変わらず緑の渦にとじこめられたままで、私には情報も自由もなく、生きる意欲そのものが損なわれ始めていた。
相変わらず食べ物と言えば、月人が庭で作ったキュウリとトマトとナスがほとんどで、たまにスイカが出る。カロリー補給の木の実はいつでも食べられるようにストックされていて、ちいさな実を口の中で砕くとナッツの味がした。枝豆も植えていたが、何しろ火が使えないので生のまま食べる訳にも行かず放っておかれている。そのうち大豆になったら保存できるからいいよねと月人は呑気そうに言う。
考えることができなくなっていた私は、月人の言いなりになるより他なくなっていた。月人が食べてもいいと言ったものを食べ、これをしろと言われればして、するなと言われればしない。月人と私の間に奇妙な主従関係ができつつあった。