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第三話 冬虫夏草


 蔓の浸食は留まるところを知らなかった。


 三日目、首都圏を中心に起こった大停電は、絡みつく蔓によって送電線がいたるところでショートし断線した為だった。電力を断たれた首都圏は、赤子同然に何もできなくなった。

 夥しい量の植物でジャングルと化した街は、動けなくなった放置車で溢れ、電車もバスも止まった。エレベーターもエスカレーターも自動ドアも使い物にならなくなった高層ビルは陸の孤島と化した。


 自家発電を使ってなんとか放送を続けていたラジオによると、この蔓の暴走は首都圏を中心に同心円状に広がっており、たった二日で北は茨城の水戸、南は静岡の浜松にまで広がっているという。いくら蔓を切り倒しても薙ぎ払っても、地面という地面からにょきにょきと伸びてくる蔓には多勢に無勢の状況で、しかも昼夜を問わず休みなく伸びる為、今のところ有効な対抗策が無いとニュースは伝えていた。中には業を煮やして灯油をかけて焼きはらおうとした人がいたが、蔓の中に閉じ込められていた人にまで火傷を負わせてしまい、傷害致死罪に問われるという事件が発生していた。


 ――魔緑(まりょく)

 爆発的繁茂する植物群がこのような名で呼ばれはじめたのはこの頃からだったと思う。


 時間が経つにつれ、マスコミが流す内容は政府の後手後手の対応への嘆きから、やがて怒りに変わり、ついには自衛隊が出動したにもかかわらず大した成果を上げられないことが分かると、無力感からか宗教じみた内容に変わり、それさえもとぎれとぎれに流されるのみになっていった。


 しかしながら、それらの情報、つまり困惑から焦燥に、焦燥から怒りに、失望に、そして絶望へと刻々と移ろっていく世間の情報から、私は切り離された状態で存在した。

 なぜならば、その間私は高い熱を出して寝込んでいたからだ。


 様々なライフラインが切断されていき、外に出ることもままならず、情報もなく、孤立した家の中で、私は非常用に買い置いてあったペットボトルの水を少しずつ消費しながら細々と生きながらえていた。


 両親と連絡が取れなくなって三日目、電気が途絶えてしまうと、いよいよ不安になった私は、最寄り駅まで様子を見に行こうと思い立った。


『まだ外に出るのはやめておいた方がいいよ』

 二階の窓から脱出を試みようとしている私に、月人はそう言った。

「まだって、いつになったら出られるの?」

『さあ、終わるまで……かな』

「何が終わるまでなの? それはいつ終わるの?」

『……言えない、分からない』

「何よそれ……。もういいよっ」


 私は、ようやくのことで開けることができた二階の窓枠を股越して外に出た。暑い夏の昼下がりだったにもかかわらず、屋根いっぱいに茂っている植物のせいか、さほど屋根は熱くなっていない。屋根を這っているこの植物は、電気が止まってすぐに月人が許可して這わせたものだ。例年どおり暑い夏だったにもかかわらず、エアコンなしでなんとかしのげているのは、まさにこれのお陰(日陰と言うべきか……) だった。どうやっているのかは知らないが、月人は同種の植物のみならず、すべての植物を操る術を知っているようだった。辺りを見回すと、相変わらず不思議なくらいうちだけ緑に覆われていない。庭をよくよく見ると、四方を月人と同じ月下美人の大株が通せんぼするように立ちはだかっていた。それは、一週間前草むしりをした時、月人が葉柄を自ら切り取って四隅に植えるように指示したものだった。


 ――まさか月人はこうなる事を知っていた?

 キリと走る嫌悪感。


 こうなる事が分かっていたら、私は両親を会社に行かせなかった。月人がそのことを教えてくれていたら、私はこんな事態に一人ぼっちで立ち向かわずに済んだはずではないか。窓の向こう側から無表情に見つめている月人を睨む。


「月人は知ってたの? こうなる事を知ってたの?」

『もちろん知ってたよ。それが何か?』

「どうして教えてくれなかったの? 教えてくれてたら私、パパとママを会社に行かせなかったのに。そうしたらこんな風に一人ぼっちになることなんかなかったのにっ」

 私は声を荒げた。


『ごめん。そんなことを教えても、ご両親が会社を休むなんて思わなかったものだから……』

 確かにそうだったかもしれない。誰がこんな異常な事態になることを信じただろうか。だけど、無表情に謝る月人を見ていると、もっとひどい言葉をぶつけてしまいそうだった私は、口を引き結ぶと屋根へ踏み出した。


 玄関の張り出し屋根にまず下りて、柱や庭木を頼りに下まで降りた。両隣の家も後ろの家も入口がどこかさえ分からないほどの蔓で覆われていて、電気が止まっているせいか中に人がいるのかどうかさえも分からない。


 道路も夥しい量の雑多な植物が一面を覆っている。家も車も電柱も塀も何もかもが緑色だ。路駐している車なのだろうか、道路のあちらこちらにこんもりと茂った緑の小山がぽつりぽつりとあって、更にそれよりも小さな盛り上がりもあって、つまり何もかもが植物で覆われた状態になっているのだった。


 私は蔓でがっちり固定されて開かなくなっていた門扉を乗り越えると、緑色の葉っぱを踏みしめて道路に着地した。近くにある小山を覗いてみるとやはり路駐していた車のようで、中には誰もおらず、ひび割れたフロントガラスから内部にまで蔓性植物が入り込んで繁茂していた。


 植物がこんなに早い速度で成長できるものだろうか。

 首を傾げているところに、声が聞こえた。


「……た、すけて……たすけ、て……」

 聞き覚えのある声に驚いて振り向くと、車の陰にあった小山の中から声がする。その声はとても弱弱しい声だったけれど、隣家のおばあさんの声にとてもよく似ていた。


「おばあちゃん? 渡辺さんちのおばあちゃんなの?」

 茂った葉っぱを掻き分けると、果たして中には隣のおばあさんが震える手を伸ばして助けを求めていた。

「今、今出してあげるからっ」


 私は慌てて、用意してあったカッターナイフで蔓を切り始めた。ところが、かなり太く成長してしまった蔓はカッターナイフ程度では容易に切れない。引っ張ったり切ったりしているうちに、おばあさんの声が段々苦しげになって行くのに気がついた。


「おばあちゃん、苦しいの? ちょっと我慢しててね。今すぐに出してあげる……」

 おばあさんの状態を確認しようと蔓を大きく掻き分け、中を見て絶句した。

 私はてっきり蔓が鳥籠のように覆っておばあさんを閉じ込めているのだろうと思っていたのだ。


 ――冬虫夏草。


 以前、図鑑で見た冬虫夏草のイラストが脳裏を掠めた。昆虫の幼虫から生え出しているあのキノコのことだ。蔓はおばあさんを覆っているのではなく、おばあさんを苗床にして、全身を這うように覆っていたのだ。

「た……すけ……て……」

 血管が浮き上がった細い筋張った手が、ぶるぶる震えながら伸びてくる。

「いやっ」

 思わず私は後ずさった。


 次の瞬間、おばあさんを覆っていた蔓の数本が私にも絡みついてきた。両脚と両腕に巻きつく。しかも蔓は巻きついただけでなかった。巻きついた蔓の先端が私の皮膚を貫いて肉に食い込んでいる。衝撃の後に遅れてきた激しい痛みに、私は絶叫した。

「ぎゃぁぁぁぁぁ」


 その後何が起こったのか良く分からなかった。更に別の蔓のようなものが私の胴にも巻きついて物凄い勢いで引っ張るので、あまりの苦しさと引きちぎられるような手足の痛みで気を失ったからだ。


 気がつくと私は家の中にいて、月人に抱きかかえられていた。手足に突き刺さった蔓は取り除かれており、傷は手当てがされていた。辺りはもう真っ暗で、随分長い時間私は気を失っていたらしい。


 あれからどうなったんだろう。一体何が起こったの?


「月人……渡辺のおばあちゃんは?」

 震える声で問う私に、月人はあの後起こったことを教えてくれた。私を蔓性植物から引き離して救出した後、月人はおばあさんに話しかけたらしい。


『どうしたいかって訊いたら自宅に帰りたいって言うから、引っ張り出して戻しておいた』

 おばあさんは、発作を起こして倒れたおじいさんの為に助けを呼ぼうとして植物に捕まったのらしい。もうすっかり衰弱しきっていたが、どうせ死ぬならおじいさんの傍で死にたいと言ったのだそうだ。おじいさんの方は既にこと切れていたらしい。


 月人の淡々とした説明を聞いていると、泣けて泣けて仕方がなかった。何もできなかった自分が情けなさすぎる。


『痛いかい?』

 心配そうに問いかける月人に、私はしがみついた。

「痛いよぉ……月人、痛い、痛いよぉ」

 涙がボロボロこぼれおちる。


 だけど泣くほど痛かったのかというと実はそれほどでもなくて、私はただ……怖かった。既に植物に命を鷲づかみにされているようなおばあさんが……恐かった。だけど、それよりも尚、一瞬でもその状態を気持ち悪いとさえ思ってしまった自分が情けなくて、私は言い訳のように痛い痛いと泣き続けた。


 そしてその夜から私は、ひどい熱を出したのだった。

 刺さった蔓に何か雑菌が付いていたのかもしれないし、そのような毒を蔓に仕込んであったのかもしれないと月人は言った。


 こうして私が高い熱にうなされていた間も、魔緑は着々と広がり続けた。電気が止まってから更に二日後、ガスが止まった。その次の日には水が止まった。


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