第8話
勇者様とのタイマン勝負は、微妙に場所が移されてから、戦いの火蓋が切って落とされました。戦場となっているのは、変わらず我がルルトの村はずれの野菜畑付近。農具がしまってある物置の横に、休憩のために椅子代わりの丸太が置いてある場所です。
それぞれ別の丸太に腰を下ろしたことにより、勇者様に掴まれた手首は放してもらえましたが、今にもお互いの膝がくっつくくらい近くで向かい合っているという状況。こんな状況で逃げられるわけがありません。身体を拘束せずに逃走の可能性をギリギリまで低くするとは流石です。うう、勇者ってやつはマジで半端ねぇ。
そもそも私は何故こんな状況下に追い込まれているのでしょうか。自宅にいる大虎のお二人から逃れようと酒場に足を向ければ、酒場でも虎につかまり、酒場のご主人にもつかまり、挙句の果てに勇者様です。なんなんだ今日は。厄日か?厄日か!!
「あの……?」
勇者様に探るような声を掛けられて、私ははっと視線を上げました。私が勇者様の戦略にガクブルしている間に、何やら話が進んでいた様子。意識飛ばしまくっていたお陰で、勇者様の話なんぞ何一つ聞いておりませんでした。やっべぇ。
そういう時はとりあえず笑って誤魔化す、というのが一番の策と考えている私は、とりあえず引きつった笑いを浮かべて首を傾げました。上手く誤魔化せたかとちらりと勇者様の表情を盗み見ると、ものの見事に目が合ってしまい、全力で顔を背けます。こんな状況で勇者様の顔なんぞ見ていたら、負ける気しかしません。負けを認めたら最後、どうなるか分ったものではありません。
私が勇者様から顔を背けたまま、今後の展開に恐れおののいていると、蚊の鳴くような声で勇者様が呟きました。
「あなたは、そんなにオレのことがお嫌いですか……?」
今まで聴いたことの無い、細々とした声で搾り出された勇者様の言葉に、ものすごく驚いた私は、思わず背けた顔を元に戻してしまいました。勇者様の表情は暗く、俯きがちに自分の手を見つめています。
私は別に勇者様のことが嫌いとかいうわけではありません。むしろそのお綺麗な顔は素晴らしいと思いますし、やはり『勇者様』という方に憧れはあります。好きか嫌いかと言われたら、まぁ、どっちでもないというかやや微妙に好きに傾くことも無きにしも非ず、といったところでしょうか。今の状況とあの底の読めない笑顔のせいで、目の前の勇者様を恐ろしい敵だと思ってはいますが。
しかし、そんな私の内心などご存じない勇者様は、やはり自分の手を見つめながら、ぼそぼそと暗く小さい声で言葉を続けます。
「姉とあの阿呆には懐いてらっしゃるようですし、姫君にいたっては目をきらきらさせて、とても可愛らしい顔で接していらっしゃいますし……」
ぼそぼそとした声から次第に力が無くなり、俯きがちだった顔は完全に伏せ、結局勇者様は無言になってしまいました。その勇者様の目の前で、私は茫然とするばかり。
えええ、一体この状況は何だ!?さっきまで私は絶体絶命のピンチに陥っていたはずではなかったのか!?いつの間にか私は勇者にかなりのダメージを負わせていたのか!?ちょ、マジで!?すっげぇ!私すげぇ!!村人程度のステータスの攻撃で勇者様が激凹みってマジやれば出来る子なんじゃねーの私!
テンションが急激に上がり、勝利の雄叫びを上げようとしたところで、私はふと一つのことに気がつきました。勇者様の様子です。本当にたった今気付いたのですが、ひょっとして勇者様半泣きじゃね?……え、ちょ、これ私が泣かしていることになる、の……?加害者、私!?いやいやいや待て待て待て!勇者を泣かせた村人Aなんて、周りにどんな目で見られると思ってるんだ!?決まりが悪いどころの騒ぎじゃなく、どう良い方に転がっても針のむしろだぞ!?ただでさえ今日の昼間、微妙な目で見られていたことが判明したのに、この上どんな目で見られるか、とか想像もしたくないわ!だいたい、村人Aに泣かされる勇者とかどうなの!?戦闘でもなんでもないところで村人Aに泣かされるとかどうなの!?ゲーム的にどうよ!?
頭の中を物凄い量の言い訳やら八つ当たりやらが駆け抜けましたが、とにかくその場をフォローしようと慌てて口を開いたところで、私はぴたりと固まりました。ええ、そうですね。慌てるあまりすっかり忘れておりましたが、思い出しました。そうですそうですそうでした。私この人と意志の疎通というものが、綺麗サッパリ取れねぇんだったぁぁぁぁああ!!
思わず抱えてしまった頭を、いつもならば翻訳コンニャクとして頑張っていただいている魔法使いのお兄さんの顔がかすめますが、今ごろは酒場のカウンターで酔い潰れていることでしょう。肝心な時の使えなさは目を見張るものがありますねお兄さん。
ああ、しかしどうしよう。この状況を誰かに見られたら、私は死ぬまで『モブにあるまじき行いをした村人A』という大変不名誉なレッテルを貼られてしまいます。それだけは何が何でも避けねばなりますまい。動揺のあまり、あばあばと意味もなく両手を動かしていましたが、仕方なしに、私は俯いたままの勇者様に手を伸ばすと、そのまぶしい金髪の頭をそっと撫でました。昔飼っていた犬は、こういう風に撫でてやると安心したのです。いや、別に勇者様を犬畜生扱いしている訳ではないですよ?そんなの恐れ多すぎますよ?いやいやマジで。
二回ほど撫でたところで、勇者様が弾かれた様に顔を上げました。あまりの勢いに、私は思わず手を半分引っ込めた形で固まってしまいます。勇者様は固まった私を確認すると、顔を上げた勢いそのままに自分の真後ろをきょろきょろと確認し、また物凄い勢いで固まったままの私に視線を戻しました。勇者様の頭上数十センチのところで固まっている私の手、腕、肩、顔へと視線が動き、お互い目が合ったところでぱしぱしと二回瞬き。……一体何をやっているんだこいつは。
「あ、あの……?」
慌てた様子の勇者様の謎の動きに、言葉が通じないと分っていても思わず声をかけてしまいました。すると、勇者様はその碧眼を大きく見開いて、一瞬で顔を赤く染めたのです。え?何?今度は何事?私また地雷踏んだ?村人Aに泣かされた屈辱のあまり顔が真っ赤に?そうするとアレか。次の瞬間私は勇者様の剣で切り捨てられるのか。しかも勇者様の剣は西洋の幅広剣なので、切るというより叩き切られるような気がします。限りなく殴打に近い剣戟。うーわー……個人的には、もっと楽な方法で死にたいものです。
思わず過去のことが走馬灯のように思い出されて気が付きましたが、私に対して笑顔以外の表情を勇者様が向けたのは、先程が初めてのような気がします。いや、目が笑っていない笑顔とかは何度か向けられましたが、基本的に笑顔だったので、先程の半泣きの雰囲気や今のびっくりした表情というのは非常に新鮮でした。しかも勇者様の『基本的に笑顔』の笑顔は、底が見えないというか、限りなく営業スマイルに近い何かのようで、正直無表情とあまり変わりないように思っていたのです。まぁ、笑顔は波風立たない表情ですが、せっかく完全無欠の美形顔なのですから、色々な表情を浮かべた方が魅力的に映るのではと思うのですが、勇者様の考えることはただのモブである私にはさっぱり分からないことだらけなので考えるだけ無駄なのかもしれませんが。
勇者様の表情について思わず考え込んでしまっている間、どうやら私は勇者様の顔をガン見し続けてしまっていたようです。いや、他意はない。他意はないから頬を赤くしたままでそのはにかんだような笑顔やめてください。さっきまでのあの無表情に近い『基本的に笑顔』の笑顔はどこに捨ててきてしまったんですか。そんな笑顔向けられると、こちらがとても恥ずかしい行為をしてしまった気になるんで!別に顔眺めるなんてたいした行為じゃないだろうが!落ち着け!あとそれ以上に私も落ち着け!
頬を朱に染めたままはにかんだように笑う勇者様は、明後日の方を向き、必死に落ち着きを取り戻そうと足掻く私の手を取ると、自分の頬に私の掌をあてがいました。まだ朱の差したままの勇者様の頬はじんわりと熱く、その熱が移ったように私の掌もじわりと熱を帯びてきます。
「今、初めてあなたと言葉が通じなくてよかったと思いました……」
ほぅ、とうっとりとしたため息と共に発せられた言葉の意味を図りかねて、勇者様の顔に思わず目を向けますと、またしても勇者様と目が合います。しまった!なぜ私には学習能力がないんだ!?目を合わせたら負けだと、分かり切ってることだろうが!
慌てて目を逸らそうとしましたが、勇者様は私が先程の言葉の意味を図りかねたのを察したのか、私の目を見たまま言葉を続けました。目を逸らすタイミングを失った私は、そのまま勇者様を見つめる他ありません。
「言葉が通じていたら、あなたからオレに触れてはくれなかったでしょう?」
そう言うと、勇者様は自らの頬にあてがっていた私の掌に、ゆっくりと頬ずりをしました。とたん、私の背筋をぞわわっとなんともいえない感覚が走り抜けます。これは本格的にまずい。今すぐこいつを殴り倒してでもここから逃げろと、モブの本能が物凄い勢いで訴えてきます。しかし悲しいかな、私の体は金縛りにあった様にぴくりとも動きません。それどころか、合ったままの目すら全く動かせないのです。何これこわい!
私が背中にびっしょりと冷や汗をかいていることなどご存じないであろう勇者様は、私の掌を頬から外し、ぎゅうと両手で握りなおすと、少し表情を曇らせました。
「昼間のことなのですが、改めて謝っておかなくてはと思っていたのです」
昼間のこと、と言われて、私の頭には朝からの濃すぎる一日が走馬灯のように駆け巡りました。該当することが多すぎて頭が痛くなってくる勢いです。ていうか今日一日、内容が濃すぎないか?こんな人生で大丈夫か?大丈夫だ、問題ない、と自信満々に答えられるはずの無い私がぐるぐると今日一日を反芻しているうちに、相変わらず表情を曇らせた勇者様が自嘲気味な笑顔で言葉を続けます。
「あなたに、武器を向けてしまったでしょう?」
申し訳ありませんでした、と勇者様はしょんぼりとした様子で頭を下げてきました。が、頭を下げられた方の私は、一瞬で血の気が引きます。いやいやいや、待て待て待て。どんな格下にもきっちり謝るというその姿勢は評価しよう。だがな、この状況を他の人間に見られた場合、それによって私は『勇者に頭を下げさせたモブ』という世間様から白い目で見られる称号を手にすることになるんだよ!勇者を泣かせた上に頭下げさせたとか酷すぎるだろ!
とりあえずは、この状況を一刻も早くどうにかしないといけません。いくらこの場所が村はずれで時間は夜だといっても、いつ何時目撃されるか分らないのです。つかまれたままの腕を引き、下を向いていた勇者様の視線を上に上げると、全力で首を横に振りました。勇者様はきょとんとした表情で私を見ています。
「……怒っては、いらっしゃらない?」
おずおず、といった様子で確認の言葉をかけてきた勇者様に、今度は勢いよく首を縦に振りました。正直なところ、怒る云々の前に、そんなことはすっかり忘れていたのです。確かに私は戦闘を目にする種類のモブではないので驚きはしましたが、別に怪我もないですし、珍しいもの見たなーぐらいの感覚でした。ていうかお前、他に謝ることあんだろうが、という思いもちらと頭をよぎりますが、それよりなにより、たかがモブが勇者様に頭を下げさせている今の状況が問題です。
「本当に?」
何故そこで素直に流せないんでしょうかこいつは!とりあえず姿勢を元に戻せ、話はそれからという強いメッセージを眼に込めて、また力強く頷いて見せます。そろそろ首振り人形か何かになりそうな勢いです。
「では、オレのことは、お嫌いではないのですか?」
思わず、先程からの勢いで首を縦に振ってしまいました。いや、別に勇者様が嫌いというわけではないのでそれはそれでいいのですが、首を縦に振ってしまった瞬間、モブの本能が先程から鳴らしまくっている警鐘が、にわかに大きくなったような気がします。あ、あれ?
警鐘の鳴り具合の変化に私が焦っている間、勇者様は、うろうろと色んな所へ視線を彷徨わせていました。しばし視線を彷徨わせた後、握ったままの私の手に視線を戻します。おおい、大丈夫かこの人。さっきから挙動が若干おかしいぞ。止まらない背中の冷や汗とモブの本能が鳴らす警鐘に焦りつつも、私の視線は未だに勇者様に注がれており、一挙手一投足をじっと窺っている有様です。正直怖くなってきました。これ呪いかなんかじゃないですよね!?
すると先ほどから若干挙動不審だった勇者様は、息を吸って姿勢を正すと、ちらりと視線をこちらに寄越しました。私は先ほどから勇者様を眺め続けているので、自然と目が合います。そして、少し表情を緩めてそっと息を吐きました。
「……とても、嬉しいです」
息をついた後にそう囁いた勇者様の声は、初めて聞く声でした。ひどく穏やかな調子で、じんわりと耳に残る響きは、こちらまで照れてしまうような甘い喜びにあふれています。そしてその囁きに添えられた笑顔は、ひどく艶やかでやさしい笑みでした。今までのような底の見えない笑顔ではなく、とても自然で魅力的な笑顔だったのです。
「オレは、あなたと初めてお会いした時、あなたがただの旅人にするようにお声を掛けてくださったのが、とても嬉しかったのです。……なにせオレは『勇者』なので」
柔らかな笑顔を引っ込め、そう苦笑した勇者様を見て、この人実は勇者とかやりたくなかったのかなーと思いました。確かにこの勇者様、見た目は完全無欠の美形ではありますが、内面的なことに絞りますと非常に地味なお方です。この性格で主役を張るのは、いろいろ無理をしなければならない部分もあるのでしょう。まぁ、ただのモブキャラである私の想像が、メインキャラというか主役である勇者様の心情をどれだけ把握できているかといったら謎ですが。
当の勇者様は苦笑を浮かべたきり、過去のあれこれを思い出しているのか、しょんぼりとした様子で遠くを見つめていらっしゃいます。おおい、意識飛ばすのなら私を巻き込まずに他のところでやってくれ。そう主張したいところですが、私では満足に声もかけられません。仕方なく、握られたままの両手から右手を引き抜くと、勇者様がはっとした様子でこちらに意識を戻しました。その表情は何故か不安そうな表情だったので、私の左手を握ったままの勇者様の手を、ぽんぽんと右手で叩きます。モブの私なんぞには、勇者様の葛藤やら悩みやらなど知ったこっちゃありませんが、とりあえず元気出せ。しょんぼりとしている勇者様の顔は、なんとなーくこちらまでしょんぼりしてしまうので。
すると、勇者様はきょとんとした顔をしてから、嬉しそうなやわらかい微笑を浮かべると、くすりと小さく笑いました。少し照れくさそうな笑い方です。
「だからオレは、あなたをとても愛おしいと思います。オレがあなたを好きなように、あなたがオレを好きになってくれたらどんなに素敵だろうと、つい夢を見てしまうんです」
その言葉通り、夢を見るようなとろんとした視線を向けられて、一瞬で自分の顔が耳まで赤くなったのが分かります。いや、この件に関しては弁解させていただきたいんですが、私、勇者様に告白(?)されるの、よくよく考えたら初めてなんですよ。婚約者になってくださいとは言われましたし、魔法使いのお兄さんからどうやら勇者様が本気で私に好意を寄せているという話は聴きましたが、こうやって面と向かって言われるのは非常に恥ずかしいわけで!そして、全力で否定したいのですが、ホントにホントにほんの少ーし、嬉しいような気がしないでもないわけで!!
顔を真っ赤にしたまま固まる他無い私の両手を、照れた様子ながらも嬉しそうな笑顔を浮かべる勇者様の手が再び包み込みます。勇者様の手は、先程触れた勇者様の頬より熱く、それにつられる様に私の頬も更に熱くなっていくばかり。
ああ、私は今、何かの罠にまんまと引っ掛かってしまったような気がします。もしくは、何か決定的な地雷を踏んでしまったのでしょうか。頭の中では相変わらず警鐘が鳴り響いているというのに、私は勇者様をぶん殴って逃げるわけでもなく、赤い顔のまま、呆けた様にひたすら勇者様を見つめるだけなのです。
「でででででは私、持病の腰痛が酷いので帰ります!」
じくじくとした胃の痛みで、私は我に帰りました。一体どれだけの間固まっていたのかすらよく分かりませんが、恥ずかしさのあまり胃が痛くなっている様です。このままでは胃に穴が開きかねない勢いなので、持病の腰痛をダシにとりあえずこの場所から逃げようと判断した私は、脳内に鳴り響く警鐘と、真っ赤になっている自分の頬の熱さと、収まらないどころか悪化する胃痛に急き立てられ、勇者様の手を振り払って立ち上がりました。
すると、どこからともなく漂ってきたアルコールの匂いが鼻を掠めます。はて。この場所は人家や酒場からかなり離れているので、風にのってアルコールや食べ物の匂いがすることはまずありえません。思わず風上に目を向けますと、何やらごそごそと動く気配が致します。まさかと思い、気配のする方へ近づいてみれば、物置の陰に隠れた盗賊風のお姉さんとお姫様、物置の横に生えている柿の木の陰に隠れた魔法使いのお兄さんの姿が見えました。
「え……」
思わず言葉を失い、ぱくぱくと口を開閉しながらお三方を指差しますと、三人からそれぞれへらっとした酔っ払い特有の笑顔が帰ってきます。……いいいいいいつからいたんだこいつら!私の家と酒場で酔い潰れている筈じゃなかったのか!?しかも全員めっちゃニヤニヤしてるし!お姫様もお姉さんもいくら美人だからといってこればっかりはダメだ!特に魔法使いのお兄さん!おまえその癪に障る笑顔引っ込めろ!
私が赤くなったり青くなったりしている間にも、お三方のニヤニヤ笑いは深くなっていき、とうとう声を上げて笑いだす始末。
「うっふふふふふふふ!いいもの見たわぁ!!これぞ人生の甘露!堪らないねぇ!」
あーっはっはっはっは、とまるで悪役ばりの高笑いをしながら、立ち上がった盗賊風のお姉さんが堂々と物置の影から姿を現しました。片手に抱えている酒瓶は、私の自宅に一本残してきたものでしょう。中身は当たり前のように空になっておりました。
「いやぁ、姐さんの言うとおり。いい酒の肴だなぁ」
続いては魔法使いのお兄さんが、お姉さんと同じく小さな酒瓶を抱えた状態で、木の陰から姿を表します。さっきまで酒場にいたんじゃなかったのかよこいつ!ていうか、私お兄さんにつけられていたってことか!?く、屈辱!屈辱的すぎる……!
「はぁ……わたくしもいつか素敵な黒髪ハキハキ系元気っ子少年の勇者様と、あんなイベントを起こしてフラグを立てまくりたいものですわ」
そして最後にお姫様が、どこかにわたくしの求める、垂涎のショタっ子はいないんですの!?と一歩間違えれば社会的抹殺をされかねない台詞を大声でわめきながら姿を現しました。
一体全体なんなんですかこの人たち。人の後をつけた上に盗み聞きをし、あまつさえそれが見つかったというのにこの堂々とした態度。悪びれるそぶりなど、ひとかけらもありません。これがメインキャラの肝の据わり具合ということなのか!?いや、面の皮の厚さか!?
「いやいや、やっぱり人の恋愛事情をきちんと把握するには、デバガメが一番だねぇ」
「ははは、姐さん悪趣味ー」
盗賊風のお姉さんの言葉に、魔法使いのお兄さんが茶々を入れて殴られていますが、その言葉お前にも当てはまるんだからな。同罪だぞ同罪!
「でもやっぱり、秘めたる思いがあったのですわ!これはもうわたくし、熨斗をつけて勇者様を進呈するしかありませんわね!?」
「そうだねぇ、これはもうあたしも全力で支援するしかないね」
「そうですわよお姉さま。こんなに想いが通じ合っているんですもの」
意味がわからない会話をしている盗賊風のお姉さんとお姫様の横で、魔法使いのお兄さんが最高にニヤニヤした笑顔で私を見つめています。あああ、何だこの登校したらクラスの黒板にでかでかと自分の名前で相合傘を書かれていた上、クラス中から囃し立てられるような感覚!よくよく考えるとあれってイジメだろ!?勇者様ご一行がただの村人Aによってたかってこの仕打ち!イジメってレベルじゃねーぞ!
勇者様ご一行の扱いにくさに絶望したところで、ふと思い出しました。この人たちが出てくるとすっかり存在を忘れてしまうのですが、先ほどから勇者様が無言です。このお三方の登場時も非常に静かでした。まさかこいつグルではあるまいなと後ろを見れば、勇者様は丸太の上に座ったまま俯き、すやすやと寝息をたてておりました。
お、おおおおお前ぇぇぇええぇぇえぇえ!!?ちょ、何で寝てるのこの人!?さっきまで眠そうなそぶりも全く見せてなかったですよね!?穏やかな寝顔で眠る勇者様を振り返ったまま呆然とする私の肩越しに、魔法使いのお兄さんの妙に楽しげな声が聞こえます。
「おー、やっと潰れたか!意外と持ったなぁ」
へらへらと笑いながら、聞き捨てなら無い単語を喋った魔法使いのお兄さんの横で、盗賊風のお姉さんが呆れた様な表情でお兄さんに視線を向けました。
「なんだ、どうも様子がおかしいと思ったら、一服盛ったのかい」
いやぁ、盛ったなんて人聞きが悪いなぁ姐さん、とへらへら笑う魔法使いのお兄さん曰く、私が盗賊風のお姉さんとお姫様に自宅に連行されている頃、魔法使いのお兄さんと勇者様はあの酒場で食事をしていたそうです。魔法使いのお兄さんは楽しく我がルルトの村の地酒を飲んでいたそうなのですが、思いつめた様子で食事をちびちび取っていた勇者様に耐え切れず、いつもはお酒を飲まない勇者様に、半ば無理やり我が村の地酒を飲ませたそうです。あの恐ろしくアルコール度数が高い酒を、下戸に近い人に。そして私が酒場に現れる十数分前に、眼の据わった勇者様がふらふらと酒場から出て行ったとのこと。
つまりこれはあれか。勇者様も酔っ払いだったってことかドチクショーーー!!罠にはまる前の私を返せこのアホ魔法使いがぁぁぁぁぁ!!
勇者様と魔法使いのお兄さんを殴りつけたい気分でいっぱいですが、それ以上にもうこの酔っ払いたちに関わっていることに嫌気がさしました。わはは、と盛り上がっている酔っ払い三人と、すやすやと幸せそうな顔で眠っている勇者様にくるりと背を向けた私は、家に向かって全力で駆け出します。
私の逃亡に気付いた美女二人の呼び止める声が背中の方から聞こえますが、今回ばかりはそんなハニートラップに惑わされません。このまま家まで走って帰って、布団被って寝てしまいましょう。寝て起きたら、今日の一連の出来事が夢物語になっているかもしれません。……なっているかもしれません!!チクショー、寝逃げとか言うな!