第6話
「ねぇ、どうかしら?」
小首をかしげて聞いてくるお姫様は大層可愛らしくて、思わず頷きそうになりましたが、すんでのところで我に返りました。
いやいやいや。私は由緒正しき村人A。村にいるからこそ存在が認められているモブには、自分を自分たらしめる村から出ることはできません。兵士Aなどであれば、イベントによっては違うマップへ配置されることもありますが、村人Aにはそんなことはありません。万が一村の囲いを越えようとしても、見えない壁のようなものに押し返されて、ワールドマップには出られない仕様なのです。そもそも私自身、この村から出ようとか思ったことないですし。何という無理ゲー。もし出られるとしたらバグでしょう。ただでさえ今、クソゲーの烙印を押されそうになっているのに、この上バグとか!恐ろしい!!
「あの、せっかくのお言葉なのですが……」
おずおずと喋りだすと、お姫様の目尻がしゅんと下がりました。
「ダメかしら?」
お姫様の沈んだ声に反応して、体が勝手に頷きそうになりますが、なんとか軌道を修正して首を縦に振りました。いくらストーリーに関係ないモブでも、出来ることと出来ないことがあるのです。
「村人Aなので、マップの外に出るわけにいかないんです。というか出られませんので」
「出られないの?」
「出られません」
「全く?絶対?」
名残惜しそうに聞いてくるお姫様に、思わず考える素振りをしてしまいます。素振りを見せたところで、私は村人A以外のものにはなれないのですが。
「……もし出られるとしたら、そういう要素持ちでないと」
私のその言葉に、お姫様はああ、と思いついたような表情を浮かべました。モブの縛りはモブだけの問題ですが、要素持ちは勇者様ご一行などメインキャラクターの方々にも大いに関係があることなので、お姫様もご存知だったようです。
「村の外に出られるバグを持っていなければダメ、ということかしら?」
「そうですね」
バグはその発生条件が揃うと発動するものなので、条件が揃わない限り、バグの存在は分かりません。ですが、プログラミングの欠陥という不具合ではあるので、バグを抱えたキャラクターやアイテムには、何かしらありえないことが起きているのです。例えば、ただのモブなのに素早さのステータス値が異常で、めっちゃ足が速いとか。上級回復アイテムなのに、回復値が安定しないとか。物凄く低い確率だけれども、そのマップ上では使用できないはずのアイテムが使用できるとか。
そのようなありえないことが起こっているキャラクターやアイテムを、要素持ち、と呼びます。要素持ちはバグが発生すると、ゲームのシステム外に弾き出されてしまうという、かなりのリスクを背負った猛者たちなのです。世界の理から外れる、という表現にするとRPGっぽくなりますが、実際そんなことが起こったらと想像するだけで肝が冷えます。法則外になるというのはある意味チートですが、モブがチートになったところでどうしようもありませんしね!プレイヤーの方々だって困惑するだろ普通。モブがチートって。
そんな要素持ちの末路についてガクブルしておりますと、しばし思案顔だったお姫様は諦めたようなため息をつきました。
「そんな都合のいいバグなんてありませんものね。残念ですわ。わたくしあなたのことが本当に気に入りましたのに」
「……あ、ありがとうございます」
心底残念そうな声に、咄嗟に言葉が出てきませんでした。うわああああ、なんだろうこの気恥ずかしさ。美人と会話をするってこんなにも精神的負荷がかかるんですね。うわあああ、もうマジで恥ずかしい!マジで!!絶対顔赤いもんね今!
恥ずかしさのあまり真っ赤になり、意味も無く両手を動かしている私をにこにことご覧になっていたお姫様ですが、唐突に両手を打つと小さく笑いました。まるで、何か面白くて仕方ないことを思いついたというような笑い声です。
「その件は残念ですけれど、代わりにわたくし、しばらくこの村に滞在しますわ!」
「は、いィ!?」
唐突なお姫様の発言に、先ほどと全く同じ妙な返事をした私に構うことなく、お姫様は合わせた両手を頬の横に持ってきたまま小首をかしげ、にこにこと笑ってらっしゃいます。古典的なポーズですが、ものすっごく可愛いです。古典には古典たる所以があるのですね。
お姫様が言い出したことをすっかり忘れ、その可愛いポーズに釘付けになっておりますと、するりと後ろから気配が近づき、私の背中と右肩に重みが加わりました。
「何を仰っているんですか、姫君。さっさと城へ帰ってください。必要ならば今すぐにでも転移の魔法で城までお送りしますよ」
と、同時に耳元で勇者様の不機嫌そうな声がします。どうやら後ろから勇者様が私を抱きとめた挙句、右肩に顎を載せて喋っているようです。私のお腹の上で両手を軽く組んで、がっちりと拘束されました。先ほどからお姫様に釘付けですっかり忘れていましたが、そういえば勇者様いたんですよね。ていうかマジで勇者様時々地味すぎる!この存在感の無さは最早パッシブスキルとかそういうことですか!?ていうか何だこの体勢は!?このままジャーマン・スープレックスでも決めようとするつもりなのか!?やんのかゴルァ!?
私が内心ファイティングポーズを取っていますと、お姫様はつまらなそうな表情をした後、盗賊風のお姉さんと魔法使いのお兄さんのいる後方を振り返りました。
「別に勇者様には関係のないことですわ。ねぇ、お姉様?」
お姫様が振り返ると、盗賊風のお姉さんは目の色を変えて、何やら手帳にメモをとっているところでした。ああ、先程荷物をあさっていたのを見てからやけに静かだなと思っていたのですが、書き物をしていたせいなのですねお姉さん。しかし目がやばいことになっているんですが、いったい何をそんなに必死に書き込んでいるのでしょうか。しかもその目つき、つい先刻見たような気がします。村中追い掛け回されながら。
「ふふふふふ、これは腕がなるねぇ。一体誰と誰をくっつけるべきかね?女の子同士ってのも、あたしの今後に箔がついていいかねぇ」
うふふふふ、と怪しい笑い声とともに猛烈な勢いで手帳に書き込んでいるお姉さんの横では、魔法使いのお兄さんが興味深そうにその手帳を覗き込み、うわ、俺も入ってる、とか適当な声を上げています。一体その手帳には何が記されているのでしょうか。閻魔帳より恐ろしいことが書いてありそうで、魔法使いのお兄さんに聞くことすら憚られます。いや、全く私が関係なかったら見てみたいのですが、今後自分がどのように翻弄されるかなんて知りたくないですよね普通。
「ほら、お姉様もこう仰ってますし」
やばい目をした盗賊風のお姉さんを顧みていたお姫様は、何でもないことのように言ってのけます。いやいやいや、何がこう仰っているのか意味がわかりませんお姫様!今、明らかに見当違いな返事でしたよね!?ツッコミを入れようとお姫様の表情を伺うと、物凄く険しい顔でこちらを見ていました。心の中のツッコミを見透かされたのかと一瞬ビビりましたが、視線が私の顔よりやや右を向いています。
「なんでもいいのでさっさと早く帰ってください」
すると、耳元から身も凍るようなドス声が聞こえてきました。先程の射殺しそうな目線は、私ではなく勇者様に向けられたもののようです。そのまま、お二人は無言で睨み合いを始めました。
勇者様もお姫様も微動だにせず睨み合っているだけですが、物凄い戦いが繰り広げられていることはただのモブの私でも分かります。美男美女のスピリチュアルバトルというところでしょうか。全くの外野ならば、美人って怖い顔するとホントに怖いんだなーと、のほほんとした感想も抱けるのですが、そのスピリチュアルバトルのど真ん中に置かれた身としてはそれどころではありません。ここの空気だけ物凄い勢いで加重がかかっている気がする!!
あまりの空気の重さに助けを求めて視線だけを動かすと、一心不乱に手帳に書き込みをしている盗賊風のお姉さんの横で、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている魔法使いのお兄さんと目が合いました。そのままアイコンタクトで助けを求めます。なにしろ無言のスピリチュアルバトルのど真ん中かつ右肩には勇者様の顔が乗っているおかげで、大きな動作はできないどころか声を出すことも憚られるような重圧なのです。
私のアイコンタクトに、力強く頷いてくれるお兄さん。うう、魔法使いのお兄さん自体はたいした人じゃないのに、この状況下だと聖人の様に見えます。ああ、ありがたやお兄さん!思わず涙目になりそうな私にもう一度頷くと、魔法使いのお兄さんは非常に爽やかな笑顔で手を振ってくれました。違う!私が求めているのはそんなリアクションじゃない!
今度は口パクで助けを求めますが、爽やかな笑顔を崩さぬまま、依然として手を振っています。つまりこれは全力のスルー。私が助けを求めていることは百も承知のくせにこの態度……。先程聖人の様だと感じた笑顔が急に小憎たらしいものに変わります。やはりあの魔法使いは一度フルボッコしておかねばならないらしいな!覚えてろよこんちくしょう!!
私が魔法使いのお兄さんへの殺意を新たにしていると、急に後ろから回された勇者様の両手に力が込められました。強く抱きしめられ、より一層体が密着します。それと同時に、みしり、と一瞬骨が軋んだような気がしました。ていうかこれ絶対骨軋んでますよ!?痛っ!いたたたたた!地味に痛い!腰痛持ちの腰骨になんてことをするんだこの悪魔!
右肩にある勇者様の顔を確認したのですが、あまりに近すぎて逆に表情が読めません。せめて力を緩めてもらおうと、勇者様の腕をべちべちと叩きますが、お姫様との睨み合いに全神経を集中させているのか、全く気付いてくれません。マジかよこいつ。
あまりの痛さに遠くを見る目になったところで、私の向かいにいるお姫様の視線がこちらへ動きました。
「まぁまぁまぁ!真っ青なお顔をされていますわ!」
お姫様は一瞬で殺気を消すと素早く私に近づいて、勇者様を問答無用で引き剥がし、おまけとばかりに勇者様を思いっきり突き飛ばしました。結構な力で突き飛ばしたのか、勇者様は魔法使いのお兄さんにぶつかるくらい吹っ飛ばされましたが、ぶつかる直前に魔法使いのお兄さんの魔法に受け止められて事なきを得たようです。
そんな勇者様の拘束から開放された私を、お姫様はあちこち触って無事を確認してくれます。
「大丈夫?痛いところはない?まったく、勇者様ってどうしてこう女性に対する心遣いができないのかしら」
頬を膨らませてぷりぷり怒る姿も大変可愛らしいです。しかも私のために怒ってくださっているというのが美味しさ二倍。鈍い腰骨の痛みなど、どこかへ行ってしまったかのようです。
「今日はもうお家に帰った方がよろしいわ。わたくしがお家まで送って差し上げますからね」
私のスカートの裾を払いながら、お姫様はそう気楽におっしゃいました。
「は!?いやいやいや、そんな恐れ多い」
恐れ多いどころの話ではありません。というか、腰骨がみしみしいっていただけですし。別に普通に歩けますし。
「そんなことは気にしなくていいんですの!」
私の拒否を無視して、さ、参りましょう!と歩きだそうとするお姫様。ちなみにそっちの方角は私の家のある方角ではありません。
「いやあのホントに……」
お姫様の手をとって制止しようとするも、逆にがっちりと手を握られてしまいます。見た目があまりにも可憐なので忘れがちではありますが、先程まで勇者様と戦いを繰り広げていた方です。モブなんぞ敵わない腕力をお持ちに決まっているではありませんか!私の阿呆!
ずるずるとお姫様に引きずられそうになるところで、後ろから声がかかりました。
「おーい、お姫さん。その子の家はそっちじゃないよ。こっちこっち」
「あら、そうなの?」
魔法使いのお兄さんがいらん事を言ってくれたお陰で、お姫様はくるりと魔法使いのお兄さんたちの方へ向き直りました。自然と、魔法使いのお兄さんの横にいた勇者様と向き合う形になります。
勇者様は目尻を下げて、申し訳なさそうな表情で私を見ています。しょぼんとした雰囲気に、私が声を掛けるより早く、お姫様が私を引っ張って歩き出しました。
「勇者様はついて来ないでくださいね?」
お姫様が険しい表情で勇者様を睨むと、それを合図にしたかのように魔法使いのお兄さんががっしと勇者様を抱きかかえました。
「なっ!?」
驚いた勇者様が逃れようともがきますが、何か魔法でも併用しているのか、魔法使いのお兄さんの手は全く緩みません。
「あら、流石察しがよろしいですわね」
「はは、どうもー。ところで、お姫さんとお嬢ちゃんだけだと不安だから、俺も付いていっていいですかね?」
「お断りですわ」
つん、とそっぽを向いたお姫様ですが、ふと思い出したように魔法使いのお兄さんへ向き直ります。
「ああ、でも、お姉様はご一緒にいかが?」
「あたしかい?」
急に指名され、相変わらず手帳を手にぶつぶつ言っていた盗賊風のお姉さんが声を上げました。きょとんとした表情のお姉さんに、お姫様が言葉を続けます。
「ええ、がーるずとーくと洒落込みましょう!」
「……ガールズトークと言えばコイバナだね!?楽しみだねぇ!」
ガールズトーク、という言葉に機敏な反応を見せたお姉さんは、手帳をさっさと仕舞い込み、私の空いている左手を取りました。にこにこと盛り上がっているお姫様と盗賊風のお姉さんに挟まれ、いつの間にやら美人サンドの状況になっているのですが、一体何がどうしてこうなっているのでしょうか。ひょっとしてお二人、我が家に上がりこむ気満々ですか。
「さぁ、参りましょうか」
がっしりとお姫様と盗賊風のお姉さんに両脇を固められ、私は自宅へ向かって歩き出しました。むしろこれは歩くというより、連行されるという表現が正しい気がします。しかも限りなく、捕まった宇宙人みたいな図です。なんだこれ泣きたい。
ついさっきお姫様が登場されたときには、私の目の前には薔薇色モブ街道が広がっていたはずなのですが、一体これはどういうことでしょうか。どこかでフラグを間違えたということですか!?教えてフラグ管理の人!