第5話
ガキンッ!という金属同士がぶつかる鈍い音を耳にして、私は音のした方に顔を向けました。思考はこれからのバラ色モブ人生のことでいっぱいだったのですが、何の気なしに音のした方に視線をやってしまうことってありますよね?私も音の原因が特に気になったわけではなく、音がしたからなんとなく振り向いただけなのです。そんな特に意味もなく振り向いた先には、想像だにしなかった世界が広がっていました。何がって、コルシエのお姫様と勇者様のリアルファイトが繰り広げられていたのです。
あ?え?……えええええええ!?な、何事!?どゆことどゆこと!?さっきまでそんな素振りもなかったですよね!?先ほどの金属同士がぶつかる音は、この勇者様とお姫様の武器が接触した音だったようです。しかし、この目の前の状況は一体どういうことなの!?マジで!!
勇者様は先ほど魔法使いのお兄さんをフルボッコにした時のまま変わらず、伝説の剣装備なのですが、それに対抗しているのがお姫様のアイアンクローというのが怖すぎます。ちなみにRPG世界で言うアイアンクローは、某プロレス技のことではなく、鋼の手甲にかぎ爪をつけた武器のことです。RPGではお約束の武器ですね。でもね、目の前でアイアンクローと長剣の鍔迫り合いなんて見るものじゃない!怖すぎるだろこれ!?
思わず魔法使いのお兄さんの胸倉をつかんでいた手を離して、抱きついてしまいました。だって一応目の前で鍔迫り合いを繰り広げているの、ヒーローとヒロインですよ!?EDでラブラブ結婚式とか披露しちゃう人たちですよ!?目の前の光景異常すぎるだろ!
「な、何事ですかお兄さん!?手甲と長剣て!お姫様と勇者様て!」
「あー、うん。いつものことだし気にすんな?」
「手甲と長剣の鍔迫り合いがいつもなんて怖すぎます!!」
魔法使いのお兄さんに抱きついたままわめく私の背中を、お兄さんはぽんぽんと軽く叩いて宥めてくれたのですが、常識的に考えて危なすぎるだろうこれ。一応勇者様と一国の姫君なんですよね?
「なんかなー、前からあいつとお姫さんはあんな感じだし。顔を合わせれば戦ってるような気もするし。放っておけばそのうちなんとかなるなるー」
適当な発言をした魔法使いのお兄さんは私の背をもう一度軽く叩くと、やれやれとため息をつきながら、道の端に積んである樽に腰掛けました。それから、自分が座った隣の樽をぽんぽんと笑顔で叩いています。ここに座れということなのでしょうが、本当に勇者様とお姫様を放っておいてよいのでしょうか。一瞬ためらいましたが、あの熱い戦いの間にただのモブである私が入っていっても焼け石に水です。ていうか無理無理ちょう無理。丁度聞こえてきた、危ないからこっちおいで、という魔法使いのお兄さんの言葉を免罪符に、私は樽のところまで後退しました。
しかしこの樽、どこの村のマップにもありますが、本来は何に使う物なのでしょうか。ぶっちゃけ我が村では、アイテムを隠すのと通行止めの障害物代わりにしか使っていません。他の村はちゃんと貯蔵とかに使っているのでしょうか。あと我が村のマップには存在しませんが、樽同様木箱も謎ですね。村より街のマップで見かけることが多い気がするので、田舎と都会の見分けに使うものなのでしょうか。そう考えるとなんか屈辱的ですね木箱ごときで!
自分の勝手な推察に憤りを感じたところで、目の前の光景に意識を戻しますと、手甲と長剣の鍔迫り合いはまだ続いていました。夢だけど、夢じゃなかったー!そんな気分です。しかしその鍔迫り合い、一部に変化が生じています。じりじりとお姫様の重心が下がってきているのです。流石に勇者様とお姫様では基本スペックから違いますので、仕方ないと言えば仕方ないのですが、そういう問題でもありません。
「お、お兄さん!いいんですかアレ!?お姫様ピンチくないですか!?」
思わず魔法使いのお兄さんの袖を掴んで訴えると、横でHP回復に勤しんでいたお兄さんは、ちらと二人の方に視線を向けてから、また手元の回復薬に意識を戻してしまいます。
「あー、うん。大丈夫大丈夫」
それより手当て手伝ってくれる?と魔法使いのお兄さんが差し出してきた回復薬をひったくった私は、傷口に容赦なく薬をぶっかけました。回復薬が傷にかなり沁みたであろうお兄さんが短い悲鳴を上げますが、それどころではありません。急いで鍔迫り合いの方に視線を戻しますと、二人の奥にゆらりと揺らめく人影が見えました。
「おんやまぁ、面白いことやってるじゃないか!」
声がすると同時にその人影が動き、また金属同士のぶつかる音がして、勇者様とお姫様の武器が離れます。勇者様は数歩後ろによろめき、重心がかなり下がっていたお姫様は後ろへ飛びのきましたが、お互い武器を取り落とすことも無くすぐに体勢を立て直して構えを取ります。おおお、戦闘スキルがある人って凄い。
そして、十分な間合いを取ったまま佇む長剣とアイアンクローの間には、円月刀を逆手に持った盗賊風のお姉さんが仁王立ちをしていました。どうやら、先ほどまでの鍔迫り合いを下から押し上げる形で解消したのは、お姉さんの円月刀の様です。なんというか、物凄い力技かつ攻撃的な解決法です。お二人に声をかけるとか、どっちかを止めるとか、もう少し穏便な解決法は無かったのでしょうか。
「あらお姉様、お久しぶりでございます。相変わらずお元気そうで何よりですわ」
「久しぶりだね、お姫さん。そっちも元気そうでなによりだよ。手甲の方もね」
ていうか、いつの間にお姉さんは大後悔から復活していたのでしょうか。つい先ほどまでこちらをガン無視で己の世界に閉じこもっていたはずなのに、あっという間に場に馴染んでお姫様と挨拶を交わしています。その上、この勇者様とお姫様の一騎打ちに関しては物凄くスルーです。あまり信じたくは無いのですが、本当に『いつもの事』なんですね……。
思わず横の魔法使いのお兄さんを見上げると、お兄さんが苦笑しながら頭をぽんぽんと撫でてくれました。その表情は、言ったとおりだろ?と諦めともつかない微妙な苦笑でした。
勇者様一行というのはくせ者揃い過ぎる、と痛感した私がため息をつきつつ顔を正面に戻しますと、ここで勇者様と目が合いました。横では魔法使いのお兄さんが片手を私の頭の上に置いたまま、別の手でひらひらと手を振っている気配がします。
「おまっ……!!」
私と魔法使いのお兄さんを見て目の色を変えた勇者様は、盗賊風のお姉さんとお姫様を置いてこちらに走りだそうとしましたが、お二人がそれを許しませんでした。お姉さんは抜き身の円月刀を携えたまま軽快に勇者様の前へ回り込み、後ろではお姫様がガチャリと手甲の爪を陽光に光らせています。
「あらあら、お待ちになって勇者様?」
「あんたの相手は、あたしたちだろ?」
正に前門の虎後門の狼状態ですが、虎も狼もタイプの違うド美女です。目に楽しい状況ではあるのですが、何しろ虎も狼も挟まれた勇者様も殺気が半端ないです。ひょっとしなくても、戦闘再開ですか?もう一度確認しますけど、この人たち勇者様パーティーの方々ですよね?敵同士とかじゃありませんよね?三人からまき散らされる殺気にびびっている間に、本当に戦闘が再開されてしまいました。あああ、マジですか。
目の前で繰り広げられる戦闘は、先ほどの勇者様と魔法使いのお兄さんの戦闘とはまた趣の違うものでした。勇者様は先ほどと同じくスマートで正統派な動きなのですが、対する盗賊風のお姉さんとコルシエのお姫様の動きがどちらも初めて見る動きだったのです。
盗賊風のお姉さんは、なんというか動きが大変トリッキーです。円月刀を正眼に構えたと思ったら次の動きでは逆手に持っていたり、サマーソルトのような派手な足技が出たと思ったら裏拳のような動きで円月刀が繰り出されたり。見ているこっちの目が回ってしまうような戦闘スタイル。コルシエのお姫様は、とにかくスピードが速い。足技を使ったりはせずに手甲だけが攻撃手段のようですが、カンフーのような空手のようなスピーディかつ流れるような動きが捕らえにくいスタイルで、勇者様を翻弄します。魔法のような派手な演出はありませんが、その分肉体を十分に使った、先ほどとはまた違う意味で見入ってしまう戦闘でした。
しばらく戦闘が続きます。盗賊風のお姉さんとコルシエのお姫様が二人がかりで勇者様を押さえつけようとしたところ、勇者様が力業でお二人ををはじき飛ばしました。お姉さんは軽業のように体をひねって飛び退きましたが、お姫様の方は衣装のせいもあってか、体勢を崩したまま私と魔法使いのお兄さんの近くまで体を放り出されます。かなり疲れているのか、素早く体勢を立て直すことができないようです。
それを好機と見た勇者様は、長剣を振り上げたままお姫様との間合いを詰めます。その光景に思わず体が反応しました。
「ゆ、勇者様!ダメです!メインヒロインに暴力はいけません!!」
私が何を言ったところで勇者様には通じないのですが、そんなことを気にしている場合ではありません。持病の腰痛もなんのその。私は腰掛けていた場所から飛び出すと、勇者様とお姫様の間に体をねじ込ませます。モブが怪我をしたところで不都合はないですが、メインヒロインが勇者様から危害を加えられたとかゲームとしてあり得ないです。いくら何でもそんな状況は避けねば!
衝撃に備えて体を硬くしたところで、いきなりの強風に襲われました。一吹きしただけでしたが、その風圧で勇者様が長剣を取り落とします。風の吹いてきた方に目をやれば、魔法使いのお兄さんが息を荒げていました。あの強風はお兄さんの魔法だったようです。
どうやら怪我をせずに済んだようで、ほぅと息を吐けば、
「何をやっているんですか!」
「全くだ!」
勇者様の怒った声と魔法使いのお兄さんが近づいてくる足音が聞こえてきて、あまつさえお兄さんには、走って近寄ってきた勢いそのままに頭を叩かれました。しかも結構力を込めて。
「だって、まさかメインヒロインに怪我を負わせるわけにはいかないじゃないですか」
「それは貴女も同じです!」
勇者様にはもう一度声を荒げられ、お兄さんには再度頭を叩かれました。納得のいかない表情の私を見て、勇者様は肩を落とし、お兄さんは疲れたように樽の方へと戻って行きます。そのお二人の姿を見て、一瞬違和感を覚えますが何が違うのかよくわかりません。頭を叩かれた衝撃で、アホがさらにアホになったとかじゃないですよね。
しかし、本当に叩かれたことに関しては納得がいきません。確かに私も怪我をすれば痛いですが、メインヒロインとモブは重要度が違います。モブにはHP設定もないので、戦闘不能にもなったりしません。というか、そもそも戦闘自体しません。そのような状況を考えれば、私がこのような行為に走ったのはごく自然のことだと思うのです。
納得のいかない想いと一瞬よぎった違和感に、むーと眉間に皺を寄せたところで、肩越しににゅうっと細い腕が伸びてきました。白くて華奢な両腕を絹の手袋が包んでいますが、右手には鋼の手甲。そのまま後ろから抱きしめられます。ヒィー!鉤爪のヒヤリとした金属の感覚が怖すぎる!冷や汗をだらっだら流している私を特に気にした風も無く、後ろから抱き付いてきたお姫様にはしゃいだ声で声をかけられました。
「なんて素敵な方!!ねぇ、あなた怪我は……していないようね。よかったわ。となればお名前を伺ってもいいかしら?」
「え、ええと、村人Aと申します」
とりあえず正直に名を名乗りますが、お姫様には当然聞き取れないはずです。それでも満足そうな声が後ろから聞こえてきました。
「まぁまぁまぁ!あなた村人Aなの!初めて見るわ。わたくしのお城、何しろ兵士AとかBとかばっかりで」
確かにお城のマップのモブは、村人ではなく兵士Aとか兵士Bとかです。なるほど見た目通りの設定らしく、コルシエのお姫様は箱入りの姫君のご様子。村に来たこと自体が初めてなのでしょう。よくお顔を見せて頂戴、とはしゃいだ声がして、お姫様に向かって体を反転させられました。目の前にド美女が!なんだか見つめられているだけで恥ずかしくなってきます。恐るべしお姫様パワー。恐るべし美女力。
しかし、近くで見るとお姫様は本当に美人さんです。この銀髪に紫の瞳のカラーリングはベタな配色ではあるのですが、美形カラーリングの真髄といってもいい配色で、美形でなければ配色負けするという恐ろしいものなのです。当然コルシエのお姫様は、全く配色負けなんぞしていません。むしろ、ちょっと幼い顔立ちにその配色が映えて、素晴らしいことこの上ない状態です。前に話したとおり、RPG世界では王族という方々は珍しくないのですが、やはりロイヤルファミリーは違います。なんていうかうん、オーラが。オーラが違います。
私が美形カラーリングについて意識を飛ばしている間に、お姫様は手甲の装備を外していました。ガチャリと重い音がして、絹の手袋に包まれた腕から異物が外れます。ふぅと一息ついてから、お姫様は私ににっこりと極上の笑顔を向けてくださいました。ひぃぃぃぃ!もったいない!!
「勇者様の暴力から身を挺して守ってくださるなんて、とっても優しい方なのね。あなたが私の勇者様みたいだわ」
「はぃ!?」
「……寝言は寝てから言ってください、コルシエの姫君」
お姫様の笑顔からのトンでも発言コンボに私が目をひん剥いていますと、剣呑な声と同時に後ろの勇者様がこちらへ踏み出そうとする気配がしました。次の瞬間、お姫様のドレスの裾がばさりと翻り、無数のクナイが私の真横をすり抜けて勇者様に襲い掛かります。あまりの事にお姫様を見たまま固まっていると、後ろで金属をはじくリズミカルな音が。
ぎこちないながらも振り向きますと、長剣を構えたままの勇者様とその足元に散乱するクナイ。少し離れたところでは、魔法使いのお兄さんと盗賊風のお姉さんが、おぉーとか声を上げながら拍手をしています。どうやらお姫様のクナイを、勇者様が全て剣で叩き落した様子。ふっと軽く息を吐いた勇者様は、足元のクナイを見つめながら、忌々しそうに舌打ちをしました。勇者様だからってお姫様にその態度はどうなんでしょうか。ホントどうなんでしょうか。地べたに正座させて小一時間問い詰めたいです。
「相変わらず手癖が悪い」
「まぁ、勇者様は相変わらず失礼な方ね。それにわたくしのクナイが全く当たらないなんて、失礼な上につまらない方ですわ。スラング風に言うと、さっさと野垂れ死ねこの屑が、かしら?」
「なんとでも言ってください」
私の頭上では、言葉遣いは丁寧なものの妙にとげとげしい会話がされていますが、先ほどのお姫様のクナイ攻撃には肝がつぶれるかと思いました。前にも言いましたが、私は戦闘などに遭遇するタイプのモブではないのです。
しかし、あのクナイを全て叩き落した勇者様も凄いですが、お姫様も凄かったです。私の動体視力が捕らえた限りでは、お姫様が自身のドレスの裾を払いのけ、太腿に巻きつけてあったホルダーから、クナイを取り出して勇者様に投げつけたのです。なんですかどこのお色気忍者ですか。まったく、けしからん装備です。太腿にホルダーなんて、どきどきしてしまうではありませんか。盗賊のお姉さんのような方が見せる太腿は健康的ですが、コルシエのお姫様のような全く露出の無い方の太腿はいけません。なんか妙に背徳的でどきどきしてしまう!
今はもうすっかりドレスの中に隠れてしまっているお姫様の太ももをガン見していたところ、お姫様も私の視線に気づいたらしく、あら、と声を上げてドレスの裾に手を伸ばしました。
「はしたない姿でごめんあそばせ?」
照れたような表情を浮かべたお姫様は、少し乱れていたドレスの裾を手早く直しながら言葉を続けます。
「このドレスはずっと着ていなければならないものですけれど、わたくしは皆様のように堂々と武装するわけに行かないんですの。そうすると、このドレスのスカートというのは、武器を隠すのにとっても便利なんですわ」
そう言ってから笑顔を見せると、お姫様はドレスの裾をつまんでくるりと一回転されました。回転と同時に裾が舞って、可憐なことこの上ないのですが、その中から金属の擦れ合う音が聞こえてきて冷水を浴びせかけられたような心地になります。その音は、つまりまだ隠し武器があるということですよね。この繻子のドレスの中には、あの素晴らしい太ももと一緒に、どれだけの秘密が詰まっているのでしょうか。
思わず顔を赤くしたり青くしたりして妄想に耽る私をお姫様はしばらくじっと眺めていましたが、くすりと楽しそうな笑い声を漏らすと、そっと私の両手を取ってこう言いました。
「うふふ、本当に可愛い方ね。わたくし、あなたのことがとっても気に入りましたわ。一緒にわたくしのお城へ来ませんこと?」
「……はいィ!?」
え?なんですかこれ?どういう状況ですか?意味が分からない。助けを求めて思わず後ろを振り向きますと、勇者様もびっくり顔。魔法使いのお兄さんはあのむかつくニヤニヤ笑顔ですし、盗賊風のお姉さんはアイテムの袋をごそごそとやっています。ちょっと待て誰か助けろ。嘘ですごめんなさい誰でもいいから助けて。この際勇者様でもいいから。マジで。