第2話
私と勇者様の直接対決は、なんとも地味に始まりました。それはそうです。私が何を言っても勇者様には『ここはルルトの村です』としか聞こえないのですから、説得のしようがありません。ていうかコミュニケーションもままならないのに説得とか正直無理です。バッカじゃないの私。
そんな私を勇者様は相変わらずの勇者フェロモン全開の素晴らしい笑顔で見つめています。阿呆の子を優しく見守るような目で私を見るなぁ!その慈愛に満ち溢れた笑顔もひっこめろチクショー!……チクショー。
勇者フェロモンにより、早くもHPをじわりじわりと削られピンチに陥ってしまいました。ただでさえ低い私のHPがなくなる前に、攻撃手段を手に入れねばなりません。
私は勇者様の後ろでなんだか妙に面白そうな顔をしている魔法使いのお兄さんに視線を移しました。まずは私の言葉を勇者様に伝えてもらう人が必要です。
「お兄さァーん!」
「はいはい、なんだねお嬢ちゃん」
私の妙に力の入った呼びかけに、魔法使いのお兄さんは軽く答えてきました。お兄さん、自分が説得失敗したということを理解しているのでしょうか……?またしても殺意が湧き上がってきましたが、今は勇者様とのコミュニケーションツールになっていただくのが先です。
私は堂々と今の素直な気持ちを魔法使いのお兄さんに伝えました。
「そんなところでニヤニヤしてないで、是非とも私の翻訳コンニャクになってください!」
「うわぁ、俺そんな素敵な告白初めて受けたわ」
オーケーオーケーとか言いながら近寄ってきた魔法使いのお兄さんの手をがっしと掴むと、私はお兄さんをくるりと反転させて勇者様と向き合う形にしました。私は魔法使いのお兄さんの背中にぴたりとくっついて、後ろから腹話術形式で勇者様の説得にあたろうと思います。別に魔法使いのお兄さんを盾にしているわけではありません。ええ、決してそんなことはありません。こうすれば勇者様のフェロモンスマイルに晒されなくて済むようになるなぁと思っただけです。
しかしこの素晴らしいフォーメーションに不満を持ったのか、魔法使いのお兄さんは微妙な表情で背中に張り付いた私を見下ろしてきました。
「お嬢ちゃん……俺は防護壁じゃないんだぜぇ?」
「そんなことは百も承知です。お兄さんは防護壁じゃなくて防波堤です!」
私としては上手くフォローしたつもりだったのですが、魔法使いのお兄さんはお気に召さなかったご様子。私の頭を鷲掴むと、ぎりぎりと力を入れて引き剥がそうとします。うおお超痛い!でも勇者様の目の前に晒されるくらいならこの程度の力には屈しません。私は魔法使いのお兄さんの腰に手を回し、お腹の上で手を組んで意地でも離さない体勢になります。
「は、な、れ、ろ」
「い、や、で、す」
歯を食いしばって魔法使いのお兄さんにへばりついている最中、ふと対面している勇者様が眼に入りました。先程のフェロモンスマイルは引っ込めて、たいそう微妙な表情をしています。それもそうです。勇者様には私の言葉は『ここはルルトの村です』としか聞こえません。今魔法使いのお兄さんと交わした言葉も全てそう聞こえているのです。想像してみるとものっそいシュールな光景です。
そりゃあ微妙な表情にもなるってな……と魔法使いのお兄さんの背中にへばりつきつつ納得していると、勇者様が一歩踏み出しました。私は思わず身構えて、魔法使いのお兄さんから手を離してしまいます。そして次の瞬間、ガツン!というなかなか痛そうな音と同時に、魔法使いのお兄さんが頭を抱えてしゃがみ込みました。あまりの早業に私はぽかんとしてしまいましたが、状況的に勇者様が魔法使いのお兄さんの頭に拳骨を叩き込んだようです。そして勇者様は無表情で一言。
「悪い、なんかムカついた」
「……おまえそれは無いんじゃないの」
しゃがみ込んだ魔法使いのお兄さんの低いうめき声にも勇者様は眉ひとつ動かしません。それどころか、顎に手を当てて不思議そうな表情で魔法使いのお兄さんを見下ろしています。
「片思いの相手と目の前でイチャコラされたら誰だってムカつくと思うんだが……」
「どこがイチャコラしてたんだこのド阿呆!現実を見ろ!」
そう言った魔法使いのお兄さんは勢いよく立ち上がり、ぽかんとしたままの私の首根っこを掴むと、勇者様の目の前に引きずり出しました。うわぁ止めろ!勇者フェロモン攻撃でHPが削られる!私は思わず目をつぶりました。こうすればあのフェロモンスマイルを拝まなくて済みます。
首根っこを掴まれたまま私はしばらく目をつぶっていましたが、勇者様も魔法使いのお兄さんも一言も発しません。なんだか怖くなって恐る恐る目を開くと、頬をうっすらと染めつつも切なそうな表情を浮かべた勇者様の顔がドアップになっていました。思わずのけぞりそうになりましたが、それより早く勇者様が私の頬をそっと両手で包み込みます。
「それに抱きつくくらいなら、オレに抱きついてもらえませんか?それとも、それの方がお好みですか?」
こんな至近距離で勇者様の顔を見るのは初めてです。そこらの女より睫毛長いわ宝石みたいな碧色の瞳は綺麗で澄んでるわ金髪は細くて日に透けてキラキラしてるわ少し日に焼けた肌は毎日戦闘とかしているだろうにきめが細かいわ、なんかもうこれぞ典型的な美形!文句あるかゴルァ!みたいなつくりです。そんな美形な顔に、勇者フェロモン全開の切なそうな表情が乗っかったら強いに決まっています。しかもなんか妙に熱っぽいながらもこちらに食らいついてきそうな真剣な視線が加わったらもう無敵です。
あっという間に私のHPは削られていきました。むしろ、私の頬を包む勇者様の手からHPが吸い出されている気がします。こいつ、作戦は『ガンガンいこうぜ』に設定しているな!?雑魚敵相手に上級魔法を発動してくるとは鬼の所業。最早鬼畜。
私は水からあがった犬のようにぶるりと体をひと振るいして勇者様の両手と首根っこを掴んだ魔法使いのお兄さんの手から逃れると、素早く先程のポジションに戻りました。つまり、魔法使いのお兄さんの陰に隠れたわけです。そして口早に勇者様を責め立てます。
「チクショー!スライム相手にギガデインを使うなこの鬼畜!雑魚敵なめんなよ!!」
魔法使いのお兄さんの陰に隠れつつ半泣きで言い募りますが、当然私の言葉は勇者様には分かりません。私はぜぇぜぇと肩で息をしながら魔法使いのお兄さんを睨み、目で通訳を要求します。魔法使いのお兄さんはしばらく困ったような表情で私を見つめると、勇者様にものすごい意訳で私の言葉を伝えました。
「あー……。カンベンしてください、だって」
魔法使いのお兄さんの言葉に、勇者様は目に見えてしゅんとしました。まるで叱りつけられた子犬のようでちょっと言い過ぎたかなと思いましたが、何しろ相手はゴブリンにアルテマを使ってくるような鬼畜です。きっとこれも罠に違いありません。私は魔法使いのお兄さんにぎゅうとしがみ付くと勇者様をきっと睨み付けました。私は確かに雑魚敵だが、お前には負けん!
すると勇者様はしばらく私をしょんぼりした目で見つめていましたが、すいっと視線を魔法使いのお兄さんに向けると真顔でじりじりとお兄さんににじり寄っていきます。右手はいつの間にか拳を作っていました。
「悪いがもう一発やらせてくれないか?」
「それなんか卑猥に聞こえるからやめてくれ。あと八つ当たりはやめろ」
「八つ当たりじゃない。ただの嫉妬だ」
「余計悪いわ!!」
どうにかして拳を繰り出そうとする勇者様と、どうにかしてそれを押しとどめたい魔法使いのお兄さん。お互い手を組み合って、ぎりぎりと力比べのような状況になっています。魔法使いのお兄さんの方が、勇者様より身長が高いので上から押さえつけるように勇者様を遠ざけようとしますが、力があるのは勇者様の方なのかじわじわと持ち直してきます。
いい勝負の力比べを相変わらず魔法使いのお兄さんの後ろで眺めていた私ですが、ふと疑問に思ったことがありました。先程勇者様が嫉妬とか言っていましたけれども、魔法使いのお兄さんの一体何が羨ましいのでしょうか。ひょっとして勇者より魔法使いになりたかったのでしょうか。勇者様の考えることは私のようなモブにはまったく分かりません。謎です。
しばらく勇者様と魔法使いのお兄さんの力比べは続きましたが、お互い疲れてきたのか歯を食いしばるようになりました。ああ、このいい勝負も決着がつくのかな、と思っておりましたら、ハスキーな美声がその勝負に割り込んできました。
「あんたたち!いないと思ってみればこんなとこにいたのかい!」
突如勇者様の後ろから聞こえてきたその声に気づいた勇者様と魔法使いのお兄さんは、お互いに組んでいた手をぱっと離します。その早い反応に驚きつつも声の聞こえてきた方向に向き直りますと、そこには先日見かけた勇者様ご一行の最後の一人、盗賊風のグラマーなお姉さんが立っていました。
先日お見掛けしたときも思いましたが、新雪のように白い髪と褐色の肌のコントラストが眩しい南国系の美人さんです。掘りの深い目鼻立ちも目を引きますが、それよりなにより気になるのが大迫力のバスト。なんだあれマジ凄い。一体カップ数はどのくらいなんでしょうか。私は女ですけれども、あの胸に埋もれてみたいと男子中学生並に本気で思います。すげー。すっげー。
私が盗賊風のお姉さんのすばらしいバストをガン見している間に、お姉さんは伸びをしつつこちらに近づいてきました。その盗賊風のお姉さんに魔法使いのお兄さんが声をかけます。
「姐さん。昼まで寝てるんじゃなかった?」
「起きてみれば二人とも姿が見えなかったから探しに来たんだよ」
魔法使いのお兄さんの質問に、盗賊風のお姉さんははきはきと答えています。その受け答えからしてきっぷの良い、正に姐御という感じのお姉さんです。美人さんで胸がおっきくて姉御肌なんてかっこよすぎます。私、うっかり惚れそうです。
すたすたと歩いてきた盗賊風のお姉さんは、魔法使いのお兄さんの陰に隠れつつも憧れの眼差しを送る私に気付いて小首を傾げました。
「そのお嬢さんは?」
盗賊風のお姉さんは勇者様ご一行ですが、魔法使いのお兄さんと同じくくりなので会話はできるはずです。私は早速挨拶をしようと魔法使いのお兄さんの陰から出て軽く頭を下げましたが、私が口を開く前に盗賊風のお姉さんとの間に勇者様が割って入ってきました。
「なんでもないです。ちょっと話をしていただけだから」
まるで私を盗賊風のお姉さんから隠すように、勇者様は盗賊風のお姉さんの前に立ちました。これで私がどこかの国のお姫様とか王女様とかだったら『勇者に庇われる姫君』みたいな感じで絵的に格好も付くでしょうが、生憎私は同じビジュアルで色違いの人間が世界に五人はいるモブです。この絵面だけを見たら、たいていの人は勇者様と盗賊風のお姉さんが対立しているところに偶然通りかかってしまってうっかり写りこんだ村人ぐらいに見えると思います。
ところで全く関係ない話なんですけれども、お姫様と王女様の違いって何でしょうかね。この二者って共存していないことが多いですけれど、分別してみるとイコールで繋げそうな気がするのですが、どうなのでしょうか。名称が違うから、やっぱりノットイコールなのでしょうか。
私がどうでもいいことに頭を使っている間に、勇者様と盗賊風のお姉さんの間ではすらすらと話が進んでいました。盗賊風のお姉さんは面白いものを見た、というような表情で勇者様に話しかけます。
「なんだい、あんたがナンパかい?珍しいねぇ。そっちの色ボケはともかく」
「違いますよ」
「色ボケは酷いなー、姐さん」
眉間にしわを寄せて否定した勇者様とは対照的に、あっはっはと魔法使いのお兄さんは軽く笑います。ああ、やっぱり女好きだったのだな魔法使いのお兄さんは、と妙に納得してしまいました。お約束として、勇者様ご一行の中に一人ぐらいはそういう設定の方がいるものです。
うむうむとお約束事項が上手く施行されていることに頷いていると、勇者様ご一行の間では話が進んでいたのか、魔法使いのお兄さんが勇者様を押しのけて盗賊風のお姉さんの前に私を進ませました。
「ほら、昨日のダンジョンの原因のお嬢ちゃん」
「おい!」
魔法使いのお兄さんの一言に、勇者様が思わず声を上げますがお兄さんはどこ吹く風。そっぽを向いて口笛吹きつつ全てを誤魔化しそうな勢いです。対して勇者様は妙に慌てた様子で私を引っ込めようと必死です。そんな状況と先程の魔法使いのお兄さんの言葉に、盗賊風のお姉さんが片眉を跳ね上げました。
「はァン。このお嬢さんがねぇ……」
盗賊風のお姉さんは、腰に手を当てて屈みこむように私に顔を近づけました。私の身長は平均よりやや低く、盗賊風のお姉さんは平均よりやや高いようですから屈みこまれるのは別にいいのですが、流石に美人でグラマーなお姉さんにしげしげと見られるのはつらいです。モブキャラなんてそんなに見るものではないですよお姉さん!色違いが世界に五人はいるんですよ!それに屈みこまれるとバストがより強調されてドキドキします!勘弁してください!
またしても私が男子中学生のようなことを考えておりましたら、盗賊風のお姉さんはぽんと私の肩に手を置きました。思わずお姉さんの顔を見ると、なんだか恐い笑顔が張り付いています。
「よし、お嬢さん。ちょっと面貸しな」
「姉さん!!」
勇者様の制止の声など聞こえぬ様子で、盗賊風のお姉さんは私をずるずると路地裏に引きずっていきます。まるで恐喝にあっているような気分です。あ、ひょっとしてこの盗賊風のお姉さんが勇者様とのラブイベント担当の方なのでしょうか。私を恋のライバルとか勘違いなさっているのでしょうか。え、ひょっとして私、この後路地裏でボコられたりするんですか?モブがいきがってんじゃねぇよとか言われて。顔はやめろ、ボディにしなとか言われて重いボディーブロー食らうんですか?マジで?
そこまで考えて私は我に返りました。別に私は盗賊風のお姉さんの恋のライバルとかそんなものではありません。ていうかそんなもの願い下げです。だいたい私村人Aですよ?モブキャラですよ?私が勇者様と恋仲になるなんて、そんなの勇者様が許しても私とシナリオライターとゲーム製作スタッフとプレイヤーの皆さんが許しません。
「ゆ、勇者様!お兄さん!」
誰かこのお姉さんの誤解を解いてくれ!と私は思わず勇者様と魔法使いのお兄さんに向かって手を伸ばしました。勇者様は咄嗟に私の手をつかもうと一歩踏み出してくれたのですが、それを魔法使いのお兄さんが後ろから抱き込む形で阻止します。あまつさえ、魔法使いのお兄さんは私に向かって笑顔で手を振っています。
チクショー、生きて帰ってきたらあの魔法使い絶対ブン殴る。