騎士の子4
騎士の子4
クファシニェフ団長の邸宅は、巨大ながらも堅実なものであった。権力者とは往々にして華美なものを好む傾向にあるが、この家には豪華といえるものがあまり無い。
床に敷かれる赤絨毯も新品同様に見えるが薄く、おそらくどこの布屋でも買い求められるだろう。絵画や花瓶、彫像といったものもなく、ともすれば質素ともとれる内装だが、ところどこに飾ってある純白のレース細工が華やに赤煉瓦を引き立てていた。これは生前のマリアの母君がこしらえたものであると、クファシニェフ団長から聞いている。よっぽど手先が器用な方だったらしい。カーテンのレースからテーブルクロス、果ては布掛に至るまで、美しいレース細工が施されている。
唯一通された客間だけが、外賓を迎えるのに相応しい上手物で埋め尽くされている。
香り高い紅茶をすすりながら、フィリッツは居心地が悪そうに座り直した。
庭先でいいとさんざん固辞したのだが、マリアの強い勧めにより、来賓用の客間へと案内された。座れば下半身をすっぽりと包み込む深紅のソファーに、つやつやと光り輝く漆喰のテーブル。1セットでいくらするのかもわからない、繊細なバラが描かれたティーカップ。深紅のカーテンは裾に金糸で刺繍が施されており、壁には夜空が描かれた見事な絵画がかけられている。部屋に散らばる小物ひとつとっても、細心の注意を払い精巧な技術でもって練り上げられた工芸品だと、そういったことに疎い彼でもすぐに分かる。
「なんて居心地が悪いんだ…」
近所の生まれたばかりの赤子を抱かせてもらった時と同じか、それ以上の注意を払ってティーカップを置くと、フィリッツは立ち上がって伸びをした。
こうなるともう、分厚い絨毯を踏むのすらためらわれる。極力汚さないように大股で、フィリッツは窓辺へと歩み寄った。
眼前に広がる町並みはオレンジの光がぽつぽつと灯り、暗い夜空はそれ以上の星々で埋め尽くされている。笑い声すら聞こえてきそうなほど、賑やかな夜である。
当たり前のことが当たり前のように営まれるという事実。
暫く物思いにふけっていると、扉をノックする音が聞こえて、彼は顔を上げた。
返事をするよりも早く、バルトが入ってくる。
「その様子だと落ち着かないみたいだな?」
皮肉な口調で呟かれて、むっと言い返した。
「オレには不相応だ」
「そうだな、お前は野宿が一番良いんだったな」
「猟師だから当然だ」
「猟師……ねぇ?」
フィリッツは含みを持たせた言い方に再度言い返そうと口を開くが、口が達者なこの友人に勝てるわけがないのだ。
結局は何も思い浮かばずに、ついて出たのは別の話題だった。
「----マリア殿はどうしてる?」
「お洋服を選んでらっしゃるよ。侍女がどれもかわいらしゅうございますと言うのに、やれレースが短いだの、襟はもっと開いていた方がいいだの、こっちは色がもっと濃いほうがいいだの…淑女の着替えというものは何歳になっても時間がかかるものだな」
その光景がまざまざと浮かび、フィリッツは吹き出した。
「違いない。マリア殿ならあの見事な金髪だけでどんなドレスよりも美しく栄えるだろうに」
「女とは常に一段上の美を求めるものなのさ」
「“たらし”はさすがに言うことが違うな」
「朴念仁よりはマシだ」
ぽんぽんと言い換えされてはぐうの音も出ない。
むっつりと押し黙ってしまったフリィッツを見て、バルトはやはり高らかに笑った。
あまりにも笑い続けるので、フィリッツは笑い茸でも食べてしまったのかと心配になったほどだ。
「いや、すまん…フィルは本当にからかいがいがある」
「からかっていたのか!」
「もちろんだ」
力強く肯定されて、フィリッツはがっくりと肩を落とした。
この幼なじみにはもう何を言っても無駄だと、長年の経験で知っていたのだった。
そんな冗談交じりの会話も、慌ただしい喧騒によって中断された。
「……!!」
「……旦那様…!」
侍女や小姓がばたばたと走り回る音が聞こえてくる。賊とはまた違うらしい、二人は顔を見合わせると、我先にと応接室を飛び出した。