表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それの名は?  作者: 椿原
1/7

少女

いつか帰る場所



 少女はひた走っていた。鬱蒼と生い茂る森の中、大樹の陰で前方確認もままならない。無数の蔓や枝に足を取られながら、彼女は速度を緩めることなく走り続けた。

 肺がキリキリと悲鳴を上げ、心臓は握りつぶされるように痛む。切迫した表情は極限まで強ばり、血の気がひいていた。体中に切り傷を負いながら、彼女は取り憑かれたかのように疾走している。

少女は絶体絶命の窮地に追い込まれていた

後頭部で束ねた長髪は無残に乱れ、仕立ての良い衣服は見る影もなく破れている。

 これを追いかけるのは、三人の男達だった。こちらは山歩きに慣れていないようで、あちこちに何かをぶつけるような音や、仲間内で連絡を取り合う怒号が聞こえる。

 とても穏やかではない。

まだ成人になるにはほど遠い少女が、こんな夜更けに一人で森に入るのもおかしければ、そんな少女一人に大の男三人で追い回すのも、尋常ではない。

追いはぎの仕業であれば、なんという素人だろうか。

逃げた獲物を追いかけるのに、物音を殺すことをしないのは、自分たちの居場所を教えているようなものだ。加えて、逃げたら逃げたで放置すれば良いものを、執拗に追いかけるのは、「少女を決して逃がせない理由」があると明言しているようなものである。

そして少女も、これを十分に承知しているからこそ、限界を感じながらも遁走しているのだ。

だがそれでも、華奢な少女の足では、男三人から逃れることは難しい。徐々に近づく怒声に、背中の産毛が焼けるような焦燥感を覚える。


「いたぞ!こっちだ!」


 背後から、松明で照らされたのが分かった。男達は圧倒的な力の差で、周囲の枝葉を蹴散らし迫ってくる。

 絶望の淵に立たされて尚、彼女走り続けた。もうすぐ後方で、敵の足音が聞こえてくる。今にもその剣を振り上げ、少女の背中を切り裂くだろう。白い衣類を鮮血に染めて、彼女は毒刃に倒れるだろう。

 そして今まさに、刃が月光を受けてひるがえった、その時。

ひどい衝撃が、彼女を襲った。盛り上がった木の根に足をとられ、前のめりに転倒したのだ。

少女は愕然とした。

もう、立つことはできない。

信じられない気持ちで、彼女はそれを認めた。内臓も脚も何もかも、限界だったのだ。筋肉が痙攣し、肺と心臓が臨界点を突破していることを訴える。体中が熱いのに、腹の奥がひどく底冷えしている。命乞いをすることもできず、喉からは空気が掠れたような音しか出なかった。

このような場所で落命する、絶望の極みに、彼女は立った。

それでも彼女は震える筋肉に鞭打ち、体を反転させた。

すぐそばの幹に、敵の刃が突き刺さっているのが見える。目の前には、簡素な革の衣服に身を包んだ髭面の男が、冷徹な目で自分を見下ろしている。やがて男の仲間がここへたどり着き、今度こそ、あの凶刃が彼女の胸を貫くだろう。


「私は…、死ねないのよ…っ」


 切れ切れに、彼女は喘ぐように言った。

死にたくない、ではなく、死ねないのだ。

死への恐怖ではなく、自らが死ぬことによって何が起こるか、その事実が恐ろしかった。

 だが男達は、そんなことは露程も知らないようだった。あるいは知っていても、意に介さないとでもいうのだろうか。

目の前の男が、幹から剣を引き抜く。月光をうけて、それは不吉に光った。


「あんたにはまぁ、不運だったとしか言いようがねえよ」


 彼女を斬りつけようとした男が、不憫そうに言った。


「ああ。あんたにゃ恨みはねえけどよ、あんたを殺せば家族に良い暮らしをさせてやれるんだ」


 追いついてきた後ろの男達が、彼女に駄目押しをする。

少女は怯えるように後ずさるが、太い幹が後退を阻む。それ以上はもう何をする気力も無いらしく、少女は荒い呼吸を繰り返した。

 最初の男が、ゆっくりと腕を振り上げる。


「悪く思うなよ」


 その言葉をかわきりに、凶刃が振り下ろされた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ