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2-2

 黙った衿奈に、彼女はそっと手を重ねた。

「まあ、そう落ち込まんでもええて。人間、失敗して成長するんやから」

「同い年のあなたに言われることもないと思うけど」

 半分は本気で言ったにもかかわらず、相手は歯を見せて笑った。

 それから十五分ほど、ようやく仕分けが終わる。

「ありがとう、本当に助かったよ。コーヒーでもおごるから」

 担任に作業完了を告げ、カフェテリアに向かう。

 二人で中庭を歩いていると、C組のあたりで、赤坂が窓の中を気にしたのがわかった。

「友利愛さん、だっけ。同じ中学校だったの?」

「学校はずっと別やねん」

 であれば、ますます関係性が不明だ。

「そういえば、さっきの答え、まだもらってなかったよね」

「さっきって、入試のこと?それはもちろん――」

 彼女はそばにあった石のベンチに飛び乗る。くるりと振り向き、腰に手を当てた。

「受けてへんで」

 再会して以来初めて、牧場で会ったときのように、元気な姿を見せた。

「推薦ってこと?」

 受験以外に道があることは知っていたが――その対象校はほとんど関東だったはずだ。

 彼女は軽やかに飛び降り、ひらひらと先を進んだ。

「表向きはそういうことになってる、かな」

「わけがわからないんですけど」

 もっとも、出会ってからすべてがそうなのだが。

 尋ねるべき事柄を整理しているうちに目的地に到着した。

 放課後のカフェテリアは、人がまばらだった。

 彼女は物珍しそうにメニューを眺める。

「さすが倉女や。オシャレなメニューがいっぱいある」

「もしかして、ここに来るの、初めて?」

「そらそうやろ。今日が登校初日なんやもん。おごってくれるん、どれでもええの?」

 そらそうやろって――。そんな特殊事情、知らないよ。

 彼女は時間をかけ、キャラメルラテを選んだ。

 レジに並びながら、人におごる行為が初めての経験だということに気づく。お金がもったいないと、そう感じるのかと想像していたが、まるで違う気分だ。相手との距離が近づいたような、先輩になったような。

 赤坂は窓際の席を選び、建物の外、森の中にいるような景色を興味深そうに眺めた。

「今日で三日目だけど――。もしかして、ずっと休んでたの?体調悪かった、とか?」

「外れや」

 クイズを楽しむつもりなどないというのに。

 何だか、もてあそばれているような感覚になり、胸の中がモヤモヤし始めたときだ。

 予想外のカウンター攻撃に、この学校では底辺であったことを再認識させられた。

「三月の終わりから、オーストラリアに行ってたんや。ランドウィック競馬場。帰国が昨日やった」

 衿奈は、海外どころか、飛行機に乗ったことすら一度しかない。

 それが、高校生になったばかりの人間が、学校を休んでまで旅行だって?!

 苛立ちに嫉妬が加わり、負の感情が広がり始める。

 そもそも、この学校への進学のきっかけを作った張本人だというのに、衿奈がこの場にいることに、さほどの感慨も持っていないことは、おかしくはないだろうか。

「あの、さ。順番に聞いてもいい?もう、頭がおかしくなりそうなんだけど」

「へえ。何をそんなに知りたいん?」

 不満が声に表れてしまったはずだが、相手は特に気にかける様子はなく、逆に好奇心に満ちた表情を返した。

「まず最初。ベレー帽はどうしたの?」

 冷静さを保つために簡単な質問を選ぶと、彼女は声を立てて笑い、離れた席の生徒の顔が二人に向いた。

「それは当然やん。この制服には合わんと思うけど。っていうか、よう覚えてたな、自分」

「ふーん。コーディネートの関係ってことね。じゃあ、次。インターハイに出たいって言ってたと思うけど。ここの学校に、そんな可能性のありそうな部活、ないと思うんだ」

 これはかなり興味のある話題だった。過去数年分を調査したが、全国進出を果たしたような競技はなかったはずだ。

 だが、彼女はそんな期待のある衿奈の心の中を察しているかのように、口角を上げる。

「それは、今は教えられへん」

「どうしてっ?!」

「大事な取引の材料やもん」

 意味が……まるでわからない。隠す理由も、取引が何かも。

 だが、深く考えることはやめる。条件が整えば教えてくれそうではある。他にもまだ謎は多いのだ。

「だったらいい。次は受験。倉女が関西に推薦校を持ってたってことだよね?」

「ちゃうなあ」

 その言葉で、また一つ思い出した。

「ちょっと待って。伊香保の牧場の馬の名前、どうして知ってたの?確かチャウチャウとかって――」

 すると彼女は、これまで見せたことのない、奇妙な表情に変わった。衿奈の目を通して、心の中を覗き込むような、そんな気配だ。

「な、何……?」

「その前に、うちからも一つ、聞いてええかな。自分の名前、何?」

 あ――。

 そうだった。まだ自己紹介すらまともにしてなかったのだ。

「渡瀬衿奈だよ」

「衿奈か。ええ名前やな。うちは赤坂月夜(つきよ)

「月夜っ?!冗談でしょ。衿奈なんかと、存在感が比べ物にならないよ」

 思わず本音が出てしまうと、子供の素朴な疑問を楽しむ大人のように、彼女は頬杖をつき、口角を上げた。

 その反応を見て、唐突に我に返る。

 真剣に相手のことを知りたいと願っているのは、一方的に衿奈からだけ、なのではないか。

 それはきっと、何でも持っている者と、そうでない人間の差に違いない。そう考えた瞬間、赤坂に向かっていた興味が、その探究心という熱が、急速に冷めた。

「どないしたん?次は?」

「もう……今日はいいよ。そろそろ帰ろう」

 いつの間にか、二人のカップは空っぽだった。

 彼女のことをこれ以上知ったとしても、妬みが増すだけな気がする。

 だが、目の前の関西人が続けた言葉は、またしても想像の外側だった。

「それやったら、うちの部屋、来いひん?寮の中、入ったことないやろ?」

「え」

 それはすなわち、友達の家に招かれたことに同義だ。もっとも私的な空間に、親しくない人間を入れるだろうか。

 赤坂は席を立ち、黙った衿奈の手を取った。

 外に出たあとも、腕を引かれることに抗えない。

 寮への途中、まだ散らかった状態の部屋の片付けを手伝わせるつもりではないか、などと疑いもしたが、それはそれで、私物に触れさせる程度には信頼されていることにもなる。

 強がってはみたものの、彼女への興味を完全に捨て去る境地までには至っていなかったのだ。

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