7-11
コースがデザートになった頃、会場の入り口付近でわっと声が上がった。
初日に続いて、上泉が姿を見せたのだ。
入り口付近にいた運営と言葉を交わしていたが、その目線が衿奈のほうに向いた気がした。
それが思い違いでなかったと判明したのは、彼女が最短距離でテーブルに近づいてきたからだ。
隣の席の男子が軽く背筋を伸ばしたのがわかる。
上泉は、衿奈の名札を確かめ、すぐ横に立った。
「あなたが渡瀬さんね。ずいぶんユニークな馬券を買ってたけど、予想方法とか、教えてもらえる?」
周りの生徒がざわついた。
「えー……と。四月から競馬の勉強を始めたばかりで、披露できるような知識もほとんどないんですけど――」
「なるほど、ビギナーズラックってわけね」
そんな返事があるのだと疑っていなかったにもかかわらず、相手は「へえ」と奇妙な声調で口角を上げ、予想外の言葉を口にした。
「そっか。教えてくれないんだ。つまり、秘密兵器ってことね」
「え……。わたしより、大きな配当を当てた人もいると思うんですけど――」
どうして彼女は真っ先に衿奈の元にやってきたのだろう。
「買い目の根拠がどうしてもわからないレースが二つあって、そのうちの一つがあなただったの」
視界に見えるすべての目が、集まっていることで、顔に血が上る。
その中に月夜の顔があったが、その目の輝きが他の生徒たちと違っていることには気づいていなかった。
「緊張させちゃってごめんね」
衿奈の肩に軽く手をおき、主賓が別のテーブルへと離れるのを待ちかね、篠塚が興奮した様子で椅子を寄せてきた。
「渡瀬ちゃん、すごいじゃないっ。上泉さんに興味持たれるなんて。あの人、自分の予想もだけど、才能ある人を見つける嗅覚がすごいって噂だよっ」
競馬の予想家は、本業以外にも、コラム執筆や、テレビ、ラジオ番組出演などの仕事があるらしいが、上泉は、そんな人間を集めたマネージメント会社を経営しているそうだ。
「将来、勧誘されるかもよ」
そんな世界に興味はない、と反論できなかった。
有名人との人脈は、きっと無益ではなく、親友の、そう呼んでいいのかは別問題だが――彼女の夢を叶えることに貢献できる可能性があったからだ。
改めて思い返すまでもなく、こんな華やかな場所に連れてきてくれたことを含め、衿奈にとって月夜は間違いなく特別な存在なのだ。
日曜日、一つでも多く的中させることが、今できる恩返しなのだと、決意を新たにしているうちに、懇親会の時間になった。
テーブルと椅子が手際よく壁際に移動させられ、会場の照明が落とされる。
前方のステージに司会者が登壇して、クイズ大会が始まった。
競馬好きな人間ばかりが集まる中、彼らが悩むようなマニアックな問題に答えられるはずもない。
そばにいた篠塚が、回答者として壇上に呼ばれ、一人になった。
月夜を見ると、本人は気乗りしていないのだろうが、周囲を男子に囲まれていて、話しかけることは難しそうだ。
同じように手持ち無沙汰にしているはずの中野を探して、会場をうろついていたときだった。
背中に手の触れる間隔があった。
振り向いた先にいたのは、習志野工業高校の制服を着た女子だ。
「あなた、私の前にあの動画配信の人に声かけられてた人でしょ」
同学年のはずなのに、腕を組み、マダムのような雰囲気でそう言った。
「え……と。渋川さん、でしたっけ?」
「へえ、知ってるんだ。ま、当然よね。今日、一番得点稼いだ人間なんだから」
それは新千歳の敷島だったはずだが、もちろん、指摘はしない。
「すごいですね。どうやって予想してるんですか?」
答えられても、きっとわからない。ほとんど社交辞令で尋ねると、相手はこんな場所で聞くことを想像していなかった単語を発した。
「占星術よ」
「え。すみません、もう一度」
「いや、聞こえてたわよね。西洋占星術。ホロスコープよ」
「はあ……それって誕生日で占うやつでしたっけ」
「自分の星座くらいさすがに知ってるでしょ?あれは、生まれた瞬間の太陽が、天球のどの場所にあったかを示しているの。でも、少し考えたらわかると思うけど、月とか火星にも重力があって、地上にも影響を及ぼしているわけで――」
いったい誰が知りたいのか、どうやら、競走馬の情報の中には誕生日も含まれているらしい。
彼女はそれを使って、各馬の持って生まれた運命を図り、その比較で予想するのだという。
「本当は、誕生時間までわかれば、もっと正確に判定できるんだけどね」
どうやら、渋川自身は競馬への興味も知識もほとんどないようだ。
昨年の優勝校が出場もしないことだけは避けたいと、上級生たちが必死に校内で勧誘活動をしているのを見て、仕方なく応じてやったという。
昼間に見た、彼らの微妙な人間関係はそれが原因か。
もっとも、レースを当てる気や、勝とうという邪心がまるでないことが、好結果を生んでいる可能性はある。
「明日も、メインの担当になってあげたんだ。先輩たちが全然役に立ってないみたいだから。ところで、あなたも占ってあげようか?」
そう言って、メガネを鼻のあたりで小さく持ち上げた。
占い自体に興味がないわけではなかったが、馬と同列に扱われている気がして、複雑な心境だ。返事をためらっていると、篠塚が、何かの景品を手に近づいてくるのが見えた。
「渡瀬ちゃん、誰、その人」
二人を互いに紹介し、渋川の予想法を告げると、篠塚はがっくりと肩を落とした。
「マジかー……。万馬券当てた知り合いのうち、一人が渡瀬ちゃんのビギナーズラックで、もう一人が占いとか。やる気なくなるなあ」
「何かすみません……。でもあとの二人は血統派の水上さんと、そちらの敷島さんですよ」
「その名前は出さないで。あいつ、懇親会なのにさっさと出て行ったんだよ。わがままにもほどがあるでしょ」
他人を見下しているに違いないと、彼女は吐き捨てるように言ったが、どういう人間なのか、さらに興味が深まったのは確かだ。
それから、性格のまるで異なる二人の間で神経をすり減らしているうちにお開きの時間となり、倉女のメンバーとは話す間もないまま、部屋へと戻ることになった。
普段使わない部分の脳を酷使して、疲労感がかなりある。
シャワーを浴びたあと、ベッドにただ横になったつもりが、そのまま眠ってしまった。




