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7-9

 そんな不満をよそに、彼女が意気揚々と大広間の扉を開けたとき、館内にメイン競争、BSN賞のファンファーレが鳴り響いた。

 北原は、普段の彼女らしく、上位人気を軸に、馬連と三連複を組み合わせた予想で、ただ、金額は100円だ。

「先輩、勝負せえへんかったんやな。2位を守るつもりなんやろうな」

 その声調はどこか控え目で、やはり、まだ本調子というわけではなさそうだ。

 レースは、10Rに続いて人気馬が3着までを占めた。

 北原を含めて多くの学校が的中したようだが、配当は高くない。順位に大きな変動はないはずだ。

 だが、中野の隣に座ってすぐ、おそらくは彼女に遠慮して離れた場所にいた細谷が、浮かない顔でそばにきて、放った言葉にはっとした。

「新千歳のやつ、あいつだけ別物だったな」

 そういえば、すっかり忘れていた。

 上位三校の結果だけしか見ていなかった。

 新千歳の、いや、この大会で一番の注目選手、敷島の初回の予想だったじゃないか。

「どう違ったんですか?」

「あいつだけ三連単だったんだ。で、当てやがった」

 いつになく真剣な、というよりは、むしろ未知の生き物を見たときのような怯えた表情だった。

 三連単は、1着から3着まで、順位までぴたりと当てる券種だ。当然、配当も高くなる。

 実際、このレース、三連複が38倍程度だったが、三連単は164倍と万馬券だった。

 ただ、この買い方には一つ、大きなデメリットがある。

 馬券を的中させるための現実的な解として、マルチという、組み合わせを網羅する方法を選ぶことになるのだが、買い目が数十点と膨大になってしまうのだ。

 一レースあたり最大100点しか賭けられず、あるいは上限が300倍という制約のあるインターハイでは、有効な手段ではない、というのが一般的な評価のはずだった。

 今回のルールで、その選択するのは、最終日も残り数レースとなって、起死回生を狙う場合以外は、ないだろうと、北原は話していた。

 土曜日から、その手法を選んだ彼女は、定石を知らぬ素人か――あるいは本物の天才か。

 新千歳は、順位こそ4位のままだったが、プラスに転じた。ただ、2位の倉女とはまだ17,000点近く離れている。

 当面のライバルは、今は3位で2000点差の宝塚南だ。

 残るレースは一つだけで、土曜日は決勝への切符を手にしたまま終えられると、心のどこかで楽観的に考えていた。

 やがて最終の時間になった。

 北原は、固く上位人気からの馬連の流し馬券。

 注目していた新千歳は――またしても三連単のマルチ、90点もの買い目だ。

 しかも、フルゲートの中、軸馬は5番人気の馬だ。

 二度も連続で、こんな難解な馬券が当たるはずがない。

 そう思うことは、普通の感覚だったが――胸の中には、2位を陥落するのではという不安よりも大きな、ある種の期待が同居していることに気づいていた。

 ガラス窓に立ったとき、衿奈の肩に誰かの手が触れる。

「やっほー、渡瀬ちゃん」

 篠塚だった。

「新千歳、調子いいですね」

「まーね。あんまりうれしくないけど」

「このレースもすごく攻めてませんか?」

「そうだねえ。減量ジョッキーからっていうのはいいところに目を付けてる気はするけど。相手、たった六頭で当たるもんかねえ」

 仲間だというのに、すがすがしいまでに、応援している気配が皆無だ。

 やがてファンファーレが鳴った。

 天才が指名した馬は7枠だ。ゲートが開くと、特に無理することなく、すんなりと先手を取った。

「あちゃー」

 隣で篠塚が本気で表情を歪めるのを見て、それが好位置であることを知った。

 レースは1400メートルだ。全馬があっという間に4コーナーを回って戻ってくる。

 最後の長い直線、注目していたオレンジ色の帽子は、ずっとリードを保ち、一頭に交わされたところがゴールだった。

 着順掲示板を見て、北原が外れたことだけはわかった。

 新千歳の残りの二頭はどうだったっけ。

 結果を待つ時間がやたら長く感じた。

 いつの間にか細谷の隣に北原がいて、どうやら会場には全員が揃っているようだ。

 配当が発表されたとき、狭くないプレミアムラウンジが揺れるほどにどよめきが起きた。

 配当上限をはるかに超える、三連単で2500倍の払い戻しだったのだ。結果、21,000点が新千歳に加算された。

「えー……と。おめでとうございます、って言っていいんですよね」

「まあ、そうね」

「でも、素直にすごいですね。勝ったのは3番人気ですけど、3着は11番人気ですよ。それを六頭の中に入れてるなんて」

 競馬新聞を手に、紙面のあちこちにせわしくなく目をやっていたが、やがて彼女は声を低くした。

「無理やり理由を探すなら、人気のない二頭は斤量的に有利だったことと、あとは同じ左回りの東京の1400で、上位入線したことがあった、ってことくらいかな」

 レース後に結果を解説することは、無駄ではないが不毛だと、以前、北原が哲学者のように話していたことを思い出した。あのときは、まるで意味がわからなかったが、篠塚の態度で、少しだけ理解できた気がする。

 次の予想への知見が増えることに意味はありそうだが、同じ視点で的中させられる確率はきっと高くない、ということなのだろう。

 やがてモニターに土曜日の総合順位が表示された。

 初日が終わった段階で、原点を上回っていたのは二十のうち四校だ。


1位 習志野 +30,910点

2位 新千歳 +24,360点

3位 倉女  +19,760点

4位 宝塚南 +16,530点


 この場には敷島もいるはずだ。いったいどんな人間なのだろう。

 新千歳の制服を探して会場を見回していると、衿奈の言葉で少しは気を取り直したはずの月夜が、誰とも目を合わせることなく、窓から離れて行くのが見えた。

 声をかけようとして、北原が先に彼女の元へと近づく。

「1位とは一万点ちょっとの差の3位だ。好位置と言っていいと思う。全然悲観する内容じゃないよ」

 上級生らしく、優しくその手を背中に添える。月夜は明らかな作り笑顔を見せた。

「ですよね。ようわかってます」

 かすかに口角を上げながら答える姿に、また奇妙な感情が起きる。彼女をいじめたくなるような、めちゃくちゃに抱きしめたくなるような、そんなくすぐったい感覚だ。以前に、同じ気持ちになったことがあったような――。

 いったいどこでだったのか、思い出そうとしていると、全員が集まるよう、北原から指示があった。

「この場所を借りて今日の反省会をしようと思う」

 同じように残る学校が、互いに声の届かない間隔で三校。他にも控え室や、ロビーなどが個別の打ち合わせのために開放されているようだ。

「さて。今日は衿奈くんのおかげで運良く上位につけることができた。決勝進出は完全に射程圏内だよ」

 表情をなくしていた月夜を気遣っているのだろう、彼女にしては、明るい口調でそう言った。

「あたいは全然貢献できなかった。明日は、もう少しましな情報をもらってるから、当てにいくよ。って言っても、人気馬だけどな」

「わたくしたちのポイントゲッターの衿奈さんを、どこで使うか、勝負はその点にかかってると言っていいですよね」

「あの、個人的には朝早い時間にしてもらえるとありがたいんですけど――」

 一般の観客からは離れた場所で、馬たちに接することができるとはいえ、それでも動物に語りかける姿を見られるのは、やはり恥ずかしい。

「そうだね。出馬表を見てから決めるけど、一つは、前半の三レースのどれかにしよう。そこでまた高配当を取れれば、ライバルたちにプレッシャーをかけられるしね」

「あとは他校の出方次第、でしょうか。新千歳の方は、噂通りでしたね」

 中野の言葉に、北原がタブレットをスクロールした。

「敷島さんは、今日と同じなら最後の二つだろうね。メインは2歳ステークスだから、波乱の余地もあるけど、実力差がはっきりしているから、順当におさまる可能性は低くない。それより、気になっているのは習志野の一年の子だよ。いったいどういう予想法なのか、見当もつかない」

 あの渋川とかいうメガネ女子か。

「宝塚南の血統派のやつも、マークしておいたほうがいいかもしれないぞ。ほっておいたら、何時間でも一人で喋ってそうだったな」

「その二人が万馬券を取ったのは、6Rだった。ということは、期待されての起用、というよりは、偶然の要素のほうが強いんだと思う。明日の新馬戦は一鞍(ひとくら)しかないし、そうそう当てられるはずもない。あまり気にしても仕方がないと思うよ。大事なのは自分たちのスタンスを崩さないこと。それでメインレースの担当だけど――」

 北原がそこで言葉を区切ると、それまでひと言も発さなかった月夜が、無言で手を真上に上げた。

「うちに……任せてもらえへんでしょうか」

「おい、関西弁。少しは自重しろよ。今日はまったくいいところがなかっただろ」

 さすがは細谷だ。気遣いがないばかりか、容赦のない追い打ちをかけた。

「運をためてたんです。明日爆発させますから」

 普段なら、それは彼女特有の軽口だったはずだが、今、周囲を笑わせようという気配は皆無だ。

「ちなみに、お父さんから何か情報を得ていたりするのかい?」

 部長の問いかけに、月夜は小さく首を振った。

「うちの実力で勝負したいんです」

「永遠のビギナーズラックを実力と呼ぶお前を、逆に尊敬するけどな」

 そう言って細谷は一人笑ったが、それに続く人間はいなかった。

「わかった。この大会への参加も、赤坂くんの後押しがあってこそだったし。任せることにするよ」

 重くなった空気を追い払おうとするかのように北原は笑顔を見せたが、同時に、決勝に残れなくても悔いはないのだと、そう覚悟したように思えたのは、衿奈だけだったろうか。

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