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7-8

 ただ――驚いたことに、宝塚南は3位だった。

 午前中、マイナスに沈んでいたことが理由だ。2位は僅差で倉女。1位になったのは、同じ6Rの馬券を的中させていた別の高校だった。今回が初めての予想だったらしく原点に、29,000点が加算された状態だ。

「習志野って、確か去年の優勝校ですよね。さすがですね」

「さすがって言葉は正しいのか?確か今年のメンバーは三人しかいないはずだし、現に午前は参加してなかっただろ」

「水上さん以外に血統派がいるんでしょうか」

「やとしたら、ちょっと聞いてみたい。その人、10番人気の馬を軸にしてたんやけど、血統的にはまるで見るところはなかったのに」

「血統だって、たくさん流派があるだろ。お前とは別の系統だっただけじゃないのか」

「え。私の血統論、聞きたいです?」

「誰もそんなこと言ってないだろ」

「しゃーないですね。ちょっとだけ教えてあげますよ。このレースは1着に入った馬のブルードメアサイアーがキーやったんですよ。ナスルーラの中でもプリンスリーギフトは私の中では特別扱いでして。あとはサンデーサイレンスのインブリードが――」

 初心者にとって、お経のような専門用語を聞かされているうちに7Rが終わる。

 的中した学校もあったが、配当は小さく、順位に大きな変動はなかった。

 言いたいことを吐き出し、すっかり気を良くした水上が、仲間の元へと去ってしばらく、中野が入り口に姿を見せた。

 それを見た細谷が席を立つ。スタンドに面したガラス窓へと移動すると、中野は、それまで彼女が座っていた場所とは違う椅子を引いた。

「お疲れさまでした」

「ごめんなさいね。全然貢献できなくて」

 彼女は二度とも複勝に300円を賭け、一つだけ当たり、ポイントはほとんど動いていない。

「見てもいいですか」

 そう聞かれるのを待っていたように思えて、テーブルの中ほどに置かれたスケッチブックを指さすと、果たして、彼女はいそいそと中を開いた。描かれていたのは、パドックでの遠景と、スタートする馬たちのイラスト。まるで水彩画のような見事なタッチだ。

「すごいっ。よくこんな短時間に描けますね。これ、色鉛筆ですか」

「まあこれくらいは、ね。お父さんがこういう構図をよく褒めてくれたの」

 得意げに語ったあと、なぜか真顔になる。やがて覚悟を決めたように、声を落とした。

「今まであの人と二人きりだったの?もしかしてお昼も一緒に食べたんじゃない?」

「あーそうなりますね」

 その答えに、相手の目元が鋭くなる。

「わたくしのこと、何か話した?」

「麻里先輩が入部してしばらくした頃、呪い殺されそうになったって話は聞きました」

「そう……。それだけ、なんですね」

 呪いについては否定せず、ただほっとした表情を見せた。

 実家の状況を尋ねたかったが……さすがに無神経だろう。

「帰りの新幹線ですけど、細谷先輩の隣になるよう、手を回しましょうか?」

 場を和ませる程度の軽口に、「絶対にやめて下さい」と、頬を真っ赤に染める彼女を見て、愛おしさを感じているうちに8Rの時間になった。

 モニターに全員の投票が表示され、はっとした。

 月夜の、最初の担当レースだったのだ。

 予想は、人気薄からの馬連だった。

「関東馬からの流しですか。となれば、月夜さんのひらめきバージョンね、きっと」

 実家経由で情報を得ているときは、関西馬を中心にした、三連複か三連単で勝負することが多い。

 直感でもそれなりに的中させる彼女だったが、結果は、軸馬が見せ場なく終わる。

 ただ、幸い、他校にも大きな変動はなかった。

 篠塚のいる新千歳が、4R以降マイナスに転じた結果、原点超えは習志野、倉女、宝塚南の三校だけになっている。

 次の9R、倉女は不参加だったこともあり、他校の予想にあまり注意を払っていなかったが、レース後、結果が表示されたとき、モニターのあたりで喚声が起きた。

 どうやら6Rで大万馬券を獲得した習志野の生徒が、ここでも三連複の万馬券を的中させたらしい。9000点を加算し、2位の倉女以下、他校を突き放した。

 1Rで大きな点数を獲得したとき、決勝進出は簡単なのではないか、などとひそかに思っていたが、それはただの慢心だった。

 幸い、加点されたのは、その一校だけのようだ。難解な予想を、新馬に続いて二度にわたってクリアしたのは、いったいどんな人間なのだろう。

 この業界には、おそらく、月夜並みの熱量を持ち、衿奈とは比べ物にならないほどに知識の深い人間が数多くいるに違いない。

 入り口に注目してしばらく、男子の生徒が数人続いたあと、女子が一人、ゆうゆうと入ってきた。

 金属フレームのメガネをかけた、クラスの委員長タイプの容姿だ。人を探すように中を見回していたが、衿奈からそう遠くないところにいた男子生徒が、彼女の元へ駆け寄った。

渋川(しぶかわ)さん、すごいじゃないかっ。びっくりしたよ」

「あれくらい普通ですよぉ。っていうか、先輩、一つも当たらなかったんですかぁ?去年の優勝校のメンバーなのにぃ?」

 どうやら、彼女が今日のリーディングヒッターのようだが――色んな意味で予想外だった。

 女子だったこともそうだが、どうやら一年らしいことと、さらには、上級生からの褒め言葉に、まるで謙虚さを見せないばかりか、斜め上から目線の態度だ。

 予想法を知りたがっていた水上が遠くにいて、その存在に気づいているはずだが、近づく様子がない。きっと、苦手なタイプなのだろう。

 9Rを終えた時点での上位はこうだ。


1位 習志野 +35,410点

2位 倉女  +22,990点

3位 宝塚南 +17,880点

4位 新千歳 - 2,420点


 土曜日の残るレースは三つ。

 10Rは、月夜が父経由で、ある程度の予備知識があると話していた。

 もっとも、すべての馬の情報があるわけでもなく、それが的中に寄与する割合はさほど高くはないらしい。

「月夜さん、張り切りすぎて、空回りしなければいいんだけど」

 まだ日曜日もまるまる残っている上、予選通過という意味では2位でも問題ない。あせる必要はないはずだが――まだ姿を見せない彼女の胸中に、そんな余裕がある気がしない。

 注目していた予想は三連複。1番人気を軸にしているところに、すでに弱気を感じる。さらに、二列目の三頭はともかく、三列目に十頭も選んでいることから見ても、迷いがあるのは間違いなかった。

 自信のなさは女神に見抜かれると、以前彼女自身が話していたが、結果、軸馬が下位に沈み、連敗となった。

 ただ、2、3番人気が上位に入り、配当自体は順当だ。宝塚南が9倍の馬連を的中させただけで、上位陣に順位の変動はない。

 メインレースが始まる時間となり、混雑し始めた大広間は、熱気に包まれていた。だが、いつになっても月夜が現れない。

「控え室って、ここ以外にあるんですか?」

「さあ。わたくしも参加するのはこれが初めてなので。ですが、人一倍、この大会を楽しみにしてましたし、少し、心配ですね」

 競馬場の施設については、誰よりも詳しいはずで、迷うはずがない。

 落ち込む姿など想像したくなかったが――他校の生徒からの心無い発言の一件もあり、不安になった。

「ちょっと外、見てきます」

 早足に部屋を出る。

 館内の案内図を探して間もなく、非常階段に座る彼女を見つけ、ひとまずほっとした。

 衿奈が視界に入っているはずだが、うつむいたまま目を合わせようとしない。

「月夜。広間に行かないの?」

 目の前に立ち、名前に力を入れて呼びかけると、ようやく少しだけ目線を上げ、薄笑みを浮かべた。

「みんなに合わす顔がないねん」

 憂えた眼差しで壁を見たまま、抑揚なく答える。

 何もかも恵まれていて、いつも明るい彼女が落ち込む姿に、名前のわからない感情が胸に宿るのがわかった。

 確かシャーデンフロイデと言っただろうか。他人の不幸を喜ぶ気持ちだ。最初はそれかと思ったが、どこか違う気がする。

「当たらなかったから、落ち込んでるってこと?」

 膝をつき、そっと手に触れると、驚いたように衿奈を見つめた。

「何、その質問。そうに決まってるやん。うちに対する嫌味?」

 月夜に会ってから初めて、彼女の苛立った声を聞いた。友達をなくす恐怖を覚えて、足が震えそうになる。

 これ以上、余計なことを言う必要はない。中野たちの元に連れ、あとは上級生に任せるのが最善の選択だ。そもそも、知識も何も持たない人間に説得できる材料などあるはずないのだから。

 理性は結論を出していたのに、口が勝手に動いていた。

「だったら質問なんだけど、麻里先輩みたいに複勝で当たれば満足できた?」

「それは……。また別問題やろ。大きく当てて、決勝進出に貢献したいって思うのが、あかんことなんか」

 口を尖らせながら立ち上がり、踊り場まで移動した。

「でも、配当は主催者のJRRにだって決められないんでしょう?もし完璧な予想で的中したとして、1、2、3番人気の順だったら、すごく低い配当になるんじゃないの?」

 月夜は、今度は返事をせず、背を向けた。どうやら的を射たらしい。

 うしろからそっと肩を掴む。彼女は拒絶しなかった。

「個人の成績じゃなく、有能な仲間を見つけることが大事だって、前に言ってたの、あれ、嘘なの?今、仲間のおかげで2位にいるのは不満なの?」

 驚くほど流暢に言葉が流れ出る。言った本人が、その内容に感心するほどに。

 しばらくして月夜は無言で振り返り、衿奈の胸に顔をうずめた。

 涙でも流すのかと思ったが――顔を上げたときの表情は、いつもと同じに見えた。

「控え室、行こか」

 これまでの会話がなかったかのようにそう言うと、衿奈の手を取り、さっさと先を歩き始めた。

 何だろう、この消化不良な感じは。人生で初めて、本気で他人の心に土足で踏み込んだというのに。反論でも感謝でも、何か反応がほしい。

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