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7-7

 午後、最初のレースは二つある新馬戦の一つ目だ。

 一度も走ったことのない馬ばかりの競争。この先、大きなレースをいくつも勝つ馬と、生涯、未勝利の馬たちが同時に走るという意味でも、特殊な状況なのだと、月夜に教えられていた。馬に話が聞けたとしても、それだけ実力差があっては、当てることは難しいだろう。

 倉女は毛並みで調子を見分けられる中野が担当していたが、本来ならパスしたいのだと、北原は話していた。

 だが、新聞にはまことしやかに印が打たれている。

「この人たちはどうやって予想しているんでしょうか」

「調教だろ。それしかない」

 細谷の恋人の仕事か。

 それにしても――彼氏のことを口にするときも、彼女からは恥じらいや、恋の気配が感じられない。本当に付き合っているのだろうか。

「何見てるんだよ」

「いえ……その、自主練をこっそりやったら、誰も予想できないんだなって」

 ごまかすため、以前からの疑問をとっさに口にすると、相手は「自主練っ」と、声を裏返らせて絶叫し、腹を抱えて笑い出した。

 例によってその声量のせいで、他校の生徒が冷ややかな目を向ける。

「お前、まじで突拍子もないこと言うな。調教は時間が決まってんだ。録画や計測もされているし、隠れてやることなんてできないんだよ」

「え。そうなんですか?だったら、調教だけで完全な予想ができることになりませんか?」

「出走馬すべての情報が、公開されてるわけじゃないからなー。今はトレセンに入る前に仕上げてくる馬も多いし、それだけで判断できるほど、甘くねえんだよ」

 直前に話した内容と、まるで一貫性がない気がしたが――本人はそれに気づいている様子がない。初心者にはわからない高みの次元で、整合性は取られているのだろうか。

 結局、調教がどの程度役に立つのか、答えのないまま、5Rが終わる。どうやら的中した学校はなかったようだ。

 6Rも新馬戦だ。投票締め切りのあと、また人が増えた。

 その中で、小柄な女子が一人、入室するのと同時に、同じ制服の男子が数人、そのそばに駆け寄るのが見えた。

「お前、何であんな馬券買うたんや」

 高校に入ってから身近になった方言に、意識が取られる。壁になっていた生徒たちの向こうで、姿の見えない女子は、声を大きくした。

「別にええですやん。監督からも、買うときは自分の信念を通したらええって言われてますし」

「そら、建前はそやけど、基本に忠実に、とも言われてるやろ。OBの人らも、この大会はめっちゃ注目してはるんやで。説明できんような買い方して、文句言われるのはお前と違うて、三年の俺らなんや。しかも、当てたんならともかく、5Rは大外れしてたやないか」

 どうやら、予想の手法について仲間内で意見がわかれている、というよりは、女子の方針に男子たちが納得いかないという構図のようだ。

「あの制服、たぶん宝塚南の連中だな」

 確か伝統校だ。しきたりや、しがらみが多いのだろうか。

「関西なのに、新潟なんですね。またサッカーかな」

「サッカーって何のことだよ。あっちは今、小倉開催だからな。バスでの移動なら、距離的にはさほど変わんないんだろ。それか、顧問がビール好きか、どっちかだ」

「ビールは基本、日本全国、どこでも飲めると思いますけど……。そういえば、うちって顧問、いませんよね」

「いるにはいる。やる気がまるでなくて、書類にハンコ押すだけのじいさんだ。たぶん、近いうちに機械化される」

 真顔でそう言った彼女の本気を計りかねていると、やがて男子たちをかき分け、顔を赤くした女子が姿を見せた。部屋の奥へと行こうとして、衿奈たちのテーブルのそばで立ち止まる。

「あの、一緒に座らせてもろうてええですかっ?」

 近くで見ると、中学生の男の子のような、健康的な雰囲気の子だった。それまでの感情を制御できていないのだろう、他校の生徒を前に、強めの口調だ。

 細谷に目線を送ると、彼女は面倒くさそうにではあるが、小さくうなずいた。

「ええ、どうぞ。わたし、一年の渡瀬です。そちらは三年の細谷先輩」

「ありがとう。私は二年の水上(みなかみ)。宝塚南学園」

 彼女はほっとしたように、だがせっかちに腰を下ろすと、細谷に会釈した。

「女子二人とか、珍しいですね」

「女子校だからな。男子がいたら、まあまあの騒ぎになる」

 いつも通り、初対面の相手にも、ぞんざいな口調だったが、水上は口を開けて笑った。

「先輩、めっちゃおもろいですね。そっか、女子校かあ、ええなあ。ちなみに、倉賀野女子やないですよね?」

「いきなり外れたぞ」

「へえー……。確かお嬢様学校と違いましたっけ」

「どうして、あたいを見ながらそれを確認する」

「いや、それは……。あたいとか、少年マンガのヤンキーしか使わん言葉やないですか」

 そう言って、彼女はすっかりくつろいだ様子になった。

 篠塚のときもそうだったが、細谷のようながさつな性格が、円滑な人間関係という局面においては、役に立つことが少なくないのかもしれない。

「そういえば、買い方でもめてましたか?」

 そう言うと、相手は機敏に背筋を伸ばし、身を乗り出した。

「そうやねん。ちょっと聞いてくれる?」

 それから水上は母校の悪口について、台本でもあるかのように、長々と語った。

 ひと言で表すなら、因習ばかりの根性系の学校、ということのようだ。

 男子は、髪の長さが決められている。監督やOBと話すときは、腕をうしろに組み、「はい、よろしくお願いします」を短くした、はしゃっすという、意味不明の単語を語尾に付けなくてはならない。何より驚かされたのは、文化部に分類されるはずなのに、部活の最初に必ずグラウンドを三周するという事実だった。

「誰も聞かへんから、私が一度、監督に直訴したことあるねん。どういう目的で走るんですかって」

「へえ。そしたら?」

「歯を食いしばれって。それで、ほっぺたはたかれた」

「ええっ。普通に不祥事じゃないですか。ねえ、細谷先輩」

「だから何であたいを見るんだよ」

 そんな昭和体質もあってか、女子は三学年合わせて彼女だけなのだそうだ。

「逆に水上さんはよく続けてますね」

「血統が好きなんや。将来、そっち方面の本を書きたい。多少のセクハラとパワハラに目をつむったら、人脈も、競馬の知見も豊富な学校やしな」

 彼女は、子供の頃はファンタジー好きな少女だったそうだ。中世のヨーロッパに憧れ、イギリス王室が好きになり、それが高じて歴史に詳しくなり、さらにそこから派生して、競馬の血統にも興味が出たのだという。

 競馬予想の醍醐味は、様々な視点があることだと聞かされていたが、親の血筋で能力を判定する方法であれば、新馬戦などでは、確かに武器になるのだろう。

 上級生からも非難を受けた彼女の予想が気になる。勝負ということを忘れ、純粋に好奇心だけで観戦した6R。ガラス窓におでこを付けていた水上が、最後の直線で叫んだ。

「そのまま行ってっ!」

 ゴールの瞬間、彼女は天井に頭がつくのかと思うほどに、飛び跳ねながら、衿奈たちのテーブルに戻ってきた。

「もしかして、当たったんですか?」

「当たった!たぶん、っていうか、絶対万馬券っ」

 そう言った顔は、宝塚南の仲間のほうを向いていた。

「おめでとうございます」

 正直な感想を口にしただけだったが、細谷からため息がもれた。

「お前なー。うちが抜かれたかもしれんぞ」

「あ。そうでした」

 結果は、三連複で500倍を超える馬券だった。

「血統って大事なんですね」

「成績じゃわからない素質を見抜いて、高配当をゲットできる可能性はあるな」

 訳知り顔でそう言ったが、少し前に、新馬は調教くらいしか判断材料はない、と断言していたことを本気で忘れているようだ。

 その後、各校の順位が発表され、細谷が危惧した通り、倉女は1位を陥落した。

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