7-5
だが、衿奈の返事に、男子たちは声を上げて笑った。
「フォーメーション知ってたくらいでどや顔されてもな。こっちはそういうことを聞いてるんじゃないんだよ。素人だったら500円くらいで様子みるとか、普通そうするだろって意味」
投票上限の範囲内で、いくら買ってもいいと言われていたせいで、まさかそんな非難を受けるとは想像もしていなかった。もしこの買い方が普通でないというのなら――北原から信頼されているということなのかもしれない。
「いいでしょ、別に。規約の範囲内なら、誰がどんな買い方したって、あんたたちに文句言われる筋合い、ないと思うけど」
他にも三年がいるかもしれない中、篠塚は脚と腕を組み、またしても強い口調だ。
「そりゃそうだ。こっちとしては、脱落する学校が一つできたことを喜ばないとな」
彼らは撃沈した一人目を教訓として、言葉を選んではいたが、上から目線なのは明らかだ。
だが、衿奈の中に怒りはなく、逆に、部の一員として認められている事実に内心で浮かれていた。
当の本人から、反論どころか返事もなかったことが、気に入らなかったのだろうか、彼らはその場から立ち去るどころか、斜に構えた様子で続けた。
「ところで、おたくのとこの赤坂って、やっぱり普通じゃないんだろ?」
どこか非難するような口調にはっとする。
結局、前日の午後は、彼女と話す機会がなかった。前向きな性格とはいえ、他人から妬まれることに、慣れている人間などいないだろう。
「どうなんだよ」
「お金持ちって意味なら、間違いなくそうだと思いますけど――。この大会とは無関係ですよね」
無意識に挑発的な口調になってしまい、相手は二人揃って顔をこわばらせた。
「何でそんなことが言い切れるんだよ。G1レースで赤線に山型の勝負服を見ない日はないんだぞ。JRRへの影響力も相当に決まってるだろ」
人気の馬が出走すれば、売上げもそれだけ伸びる。そんな馬を何頭も所有する馬主の動向は、当然、主催者の関心事だというのだ。
言い返せなかった衿奈に、ようやく彼らは満足したようだ。
「地方のちょっとしたレースの結果を操作する、なんてことがないことを祈るよ。俺たちみたいな凡人には抵抗する手段がないんだからさ」
最後まで皮肉を言い、薄ら笑いを浮かべながら、窓のほうへと去っていった。
「バカじゃないの?最初から外れたときの予防線張るとかさ」
篠塚は、隣で憤慨していたが、やがて席を立ち、モニターに表示されている予想をしばらく眺め、戻ってきた。
「ちなみに、渡瀬ちゃんの予想方法、聞いていい?ちょっと興味ある」
「理由、ですか」
馬の意見を参考にした結果です、などと答えては、救急車を呼ばれてしまう。
「お察しの通りど素人なので、適当です」
「いや、それでいいと思うよ。ビギナーズラックとか、馬鹿にできないもんね」
多少ぶっきらぼうではあるが、悪い人間ではなさそうだ。あるいは、数少ない女同士の連帯感かもしれない。
「先輩の予想方法は、どんな感じなんですか?」
噂の天才のことに、もちろん興味はあったが、どうやら比較されることを彼女は嫌がっている気がする。
あえてそのことに触れずにいたが、相手はその雰囲気を察したらしい。手元の新聞を差し出しながら、どこかあきらめたように小さく笑った。
「別にあたしなんかの買い方に興味なんかないでしょ」
「いえ、そんなことないです。えーと、この◎のついている馬からですか?」
「複勝に1000円だよ」
彼女は2番人気を選んでいた。衿奈が、三連複の二列目に入れたうちの一頭だ。
「言っとくけど、コンピューターとは無縁だよ。あたしはジョッキーで選んでる。フルゲートに一頭足りない多頭数だし、鞍上の腕が利いてくるでしょ。この馬の乗り役は、今年の新潟開催で成績がいいんだよ。っていうのはあと付けで、実はあたしの推しの一人なんだけどね」
馬はこれから走る距離がわからないため、指示がないと最初から全力を出し、途中でバテてしまうのだ。ゆえに、騎手の役割は重要であることは聞いていた。
「女は気楽でいいな。そんなんで勝てるんだったら、毎回リーディング上位から選んでりゃ、家が建つよ」
遠くから、またしても、嫌味が聞こえてきた。どうやら男子たちは、女子には負けたくないという点で、意見が一致しているようだ。
篠塚は目つきを鋭くしたが、普段からそんな扱いを受けているのか、反論しなかった。
荒涼とした雰囲気の中、やがてファンファーレが鳴った。
外れたとしても、お金が減るわけでも、学校での成績が下がるわけでもない。
それなのに、緊張が高まる。
月夜や先輩たちに貢献したいという気持ちと、男子たちを見返してやりたいという、過去に感じたことのない競争心が胸に芽生えていた。
ただ、同時に、それは邪念である気もした。
他人と比較したり、出し抜こうなどと思えば、きっと馬たちの声は聞こえなくなるのではなかろうか。そういう意味では、最初のレース、純粋な気持ちでパドックに立てたのは幸運だったのかもしれない。
窓際に立つのと同時にゲートが開いた。
軸にしていた4番の馬はすぐに見つかった。先頭で飛び出していたのだ。
最初のコーナーを二頭で並んで回って行く。思わずガッツポーズしようとして、男子の声に、手が止まった。
「先頭、競り合っちゃったよ。これで両方つぶれるな。ラッキー」
よく見ると、競っているもう一頭は、篠塚が買っていた2番人気の馬だ。
横目に見た彼女は、そんな雑音がまるで聞こえていないようで、瞬きも呼吸も止めて見つめている。
先を行く二頭は共倒れする、というのが、男子たちの見立てだったようだが、レースはそのままの隊列で最後のコーナーを回った。
直線が長いことは前日に歩いて知っていた。だが、こんなにもゴール板が遠いとは思わなかった。
残り半分くらいのところで、4番は篠塚の馬に交わされ、二番手に下がる。さらには、うしろから迫る馬たちとも勢いが違う。このままでは確実に着順が落ちる。
知らぬ間に息を止め、拳を強く握っていた。
軸馬がもう一頭に交わされ、爪が手のひらに食い込む感覚に気づいたところがゴールだった。
男子たちが無言になるのを横目に、篠塚が天井まで届きそうな勢いで、飛び跳ねながらガッツポーズした。
「よし、当たったっ。渡瀬ちゃんは?どうだった?」
「軸が3着で、1着も買ってたので――たぶん当たったんじゃないかな」
「へえ、すごいじゃん。4番って人気薄だったやつだよね」
やがて、結果表示版に数字が点灯し、衿奈の予想が的中したことがわかった。
「この世で一番恥ずかしいのってさ、偉そうなこと言って、かすりもしないやつだよねえ」
「2倍の複勝当てたくらいで何を偉そうに」
彼らはどうにか強がりを絞り出したが、やがて場内アナウンスが流れ、配当が表示されると、完全に沈黙した。
三連単でいきなりの5000倍、三連複も1000倍を超えていたのだ。
外のスタンドでどよめきが起きる。
「渡瀬ちゃん、まじ、神じゃないっ?」
素直に驚きを表現する彼女とは違い、外れた者たちは、どこまで行っても素直になれないらしい。
「あーもったいない。これで300倍の打ち止めとか。運の無駄遣いだよな」
負け惜しみもここまでくれば、爽やかですらある。
だが、別の男子の言葉で部屋の空気はあっという間に張り詰めた。
「これ、見えざる力が働いたんじゃないのか?素人がこんな馬券取るなんて、絶対おかしいだろ」
見えざる力。それってつまり――。
彼らの意図を理解するのと同時に、隣で篠塚が切れた。
「お前ら、何か証拠でもあるのかよっ」
それまでも好戦的ではあったが、それでも抑え気味だったらしい。
彼らと体が触れるくらいまで近づいたかと思うと、手を背中に回した状態で、体当りしたのだ。
どうやら暴力を振るっていないことを強調したかったらしいが、その行動は、年頃の男子に別の効果をもたらす。
顔を真っ赤にして、挙動不審におちいったのは、きっと同世代の女子の胸が触れたからだ。
「何だよ、反論しないのかよっ」
「だ、だってさ、素人がこんな難しい馬券当てたんだ。で、そいつはクリムゾンヒルの関係者だったんだ。状況証拠として、申し分ないと思う……んだけど」
批判と呼ぶにはすっかり勢いのなくなった声調に、文句を言う気力がそがれた。
そもそも、篠塚の態度に内心では温度差を感じていて、おそらくそれは、馬券を当てる難易度を理解していなかったことが理由だと思う。
「そういうの、負け惜しみって言うんだよっ。渡瀬ちゃんも言われっ放しでいいの?」
興奮する彼女とは裏腹に、頭が冷めていく。
「そういう可能性もあるのかなかって、ちょっと思ったんです。わたしの予想を見て、月夜が実家に連絡した、とか。携帯も特別扱いされてるかもしれないし――。いやーないかな。この大会で、実力を見せつけるんだって意気込んでたから――」
あれこれと可能性を想像しているうちに、周囲が無言になっていた。どうやら、衿奈が嫌味にまるで無関心だったことで、拍子抜けさせてしまったようだ。
いずれにしても、最初のレースの結果、1位は倉賀野女子となった。初期ポイントにいきなり27,000点の追加だ。
「渡瀬ちゃん、次も担当?」
「いえ、今度は第3レースです」
最初は色々とまどうだろうからと、北原が1レース分、余裕を持たせてくれたのだ。
「そっか。あたしは次もなんだ。ちょっとパドック、行ってくるよ。あとでまた会おう」
そう言うと、本格的なカメラをカバンから取り出し、いそいそと部屋を出て行った。
話す相手がいなくなり、時間を持て余す。
競馬新聞を見ながら真剣に予想する男子生徒たちを見て、今さらながら、こんなに丸腰で参加していいのだろうかと、不安になった。




