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6-4

 中野家のことは、それは気がかりではあったが、馬と仲良くできる程度の高校生に、助けられることがあるはずもない。

 幸い、と言っていいのか、夏休みに入ってすぐ、厩務員のアルバイトが始まり、しばらくはその業務にすべての神経を使うことになった。

 作業内容は、ひと言で表わせば、力仕事だ。

 飼い付けと呼ばれる、馬の食事の世話に始まり、水替えや、寝床の掃除に馬具の手入れ。最初の二日で、人生で初めての筋肉痛を経験した。

 湿布を貼る衿奈を見て、小遣いが少ないばかりに、せっかくの夏休みを台無しにしてしまっていると、両親は心苦しく思っていたようだが、部や生徒会に間接的にではあるが、貢献できているように思えて、つらさを感じることはなかった。

 一週間目に、最初の朝当番を命じられた。

 生徒会長の隣に寝ることを想像するだけで、緊張する。

 夜の八時頃、部屋を訪ねると、すでに布団が敷かれていた。

「すみません、わざわざ」

「別に。こっちが頼んだんだし。布団も寮に備え付けの来客用のやつだから気を使わないでいいわ」

 外では気の強い印象の彼女だったが、それは私生活も同じのようだ。強めの口調で、愛想笑いなどは無縁。だが、怒っている、というわけではなさそうだ。

「先輩は帰省しないんですか?」

「家に戻っても楽しいことなんか何もないから。こっちだと、生徒会の事務とか、しなきゃいけないことに困らないしね」

 それから一時間ほどは、姉の自慢を聞かされて過ぎたが、やがて話題も途切れがちになる。

「学校はどう?何か困ったことがあれば、相談してくれていいから」

 そう言われたとき、真っ先に頭に浮かんだのは、中野の顔だった。

 確か大前の親は政治家だったはず。一般家庭で育った人間とは違う、何かいいアイデアがあるかもしれない。

「今から言うこと、秘密にしてもらえますか?」

 それから名古屋訪問の際に見た出来事を話した。

 彼女はしばらく腕を組みながら思案していたが、やがて口にしたのは、まるで予想外の名前だった。

「えー……と。細谷先輩に相談、ですか?」

「そうよ。あいつの親の職業、知ってるでしょう?」

「はあ、まあ」

 つまり、DVをしている再婚相手を始末すればいいと、そういう意味か。

「さすがにやりすぎじゃないですか」

「そうかしら。こういうときに警察を頼らずして、いつ役に立ってくれるのかって思うけどね」

「え。今、何て?警察ってどういうことですか?」

「だから、あの女の父親が警察庁に勤めてるでしょ」

 何だってっ?!

 思っていたのと、真逆じゃないかっ。

 しかも、警察官採用ではなく、東大卒のキャリア官僚で、県警なら所轄の署長クラスだという。

「あいつ、何一つ社会の役に立ってないんだから、こういうときくらい、遠慮なく利用してやればいいのよ。帰省はしていないはずだから、行ってきなさい」

 そう言って、背中を押され、部屋を強引に追い出された。

 多少、言動に慣れたとはいえ、できれば、部活以外では会いたくない相手ではある。

 在室していませんようにという願いは、即座に却下された。

 不良が家でくつろぐ姿、と聞いて想像するような格好で、彼女は床に寝転がり、携帯でネットの映画を観ていた。

「何でこんな時間にお前が来るんだよ」

「馬術部のアルバイトで、朝が早くて――」

「ああ、そうだったな。大前里瀬のところに泊まってるんだっけか。もの好きなやつだ。で、何の用だ。まさかこれまでの数々の非礼を土下座して謝りたいって伝言でも持ってきたか?」

「いえ、そうではなくて。細谷先輩のお父さんが、警察にお勤めだと伺ったものですから――」

 そう言うと、むくりと上半身を起こし、真顔になった。

「あたいに嫌がらせをしてこいって、そう命令されたのか」

「いえ、全然違います」

 他人の家庭の、おそらくは知られたくない内情を、触れ回っているようで気が引けたが、長引かせていい状況でもないだろう。

 それから、中野家の現状をできるだけ客観的に伝える。

「わたしたちにできることって、あると思いますか?」

「なるほどな。どこか普通じゃないとは思っていたが――眉毛にそんな事情があったとは」

「麻里先輩と、何かあったんですか?」

「うーん。あたいとしては、何もない、と思ってるんだがなあ。まあ、去年の新入生には少し強めに言ったかもしれん」

 細谷にとって、初めての後輩ということもあり、入部したての後輩たちに、かなり気合いを入れて対応したのだそうだ。

 学校の対外的な看板活動の一つでもあり、いい加減な気持ちで活動するなと、彼女の言葉を借りれば、喝を入れていたのだという。

「ふむふむ。つまるところ、ただのパワハラですね」

 案の定、新入部員が次々と退部する中、ただ一人残ったのが中野だった。

「眉毛は、最初からあたいに反抗的だったんだけど、入部して二ヶ月くらいした頃だったかな、部室に入ったとき、壁にすげえ上手いあたいの似顔絵が貼ってあってさ。そのおでこのあたりに、彫刻刀が刺さってたんだよな」

「へえ……。呪われるくらい、嫌われてたってことですね」

「文句あるなら普通、口で言うだろ。絵のタッチで、あいつだってのはすぐわかったけど、でも確たる証拠もないからな。それ以来、あいつの近くでは昼寝しないようにしてる」

「麻里先輩、乱暴だったり、がさつだったり、女の子っぽくない人は好きじゃない感じです」

「何で、あたいの欠点を三つも列挙してんだよ」

「自覚はあるんですね」

 どちらもまるで悪人ではないのだが、相性というか、巡り合わせが決定的に良くないのだろう。

「わたしが言うのは偉そうかもですけど、もし麻里先輩のご家庭の事情に何か手助けできたら、仲良くなれるんじゃないですか?」

「あんまり親父に連絡したくないんだよなあ。できるだけ関わりたくないんだよ。めちゃくちゃ厳しくしつけられたからな」

 そう言いながら、彼女は携帯を手にして、その場に正座した。しばらく画面を見ながら悩んでいたが、やがてため息をつきながら通話ボタンを押した。

 細谷が敬語を使えると知ったのは、意外な効用だ。

 時候の挨拶に始まり、軽く一時間以上、そばで聞いていた内容を要約すると、まずは暴力を受けている本人からの訴えが必要で、その上、証拠があれば公的機関が介入しやすくなり、あるいは、その後の離婚に際して慰謝料などの点で有利になる、ということのようだ。

「麻里先輩にそれとなく伝えてみます」

 生徒会長の部屋に戻り、状況を説明したあと、中野にいつ帰ってくるのか、打診のメッセージを送った。

 夜、布団の中で、見知らぬ他人の匂いに戸惑っていた頃、返信があった。娘の身を案じる母親から早く家を出るよう促されているらしく、近いうちに戻ってくるそうだ。

「ちなみに……里瀬先輩のお父さんって政治家なんですよね」

「何よ、それ。こっちまで利用しようってこと?ずいぶん、いい度胸してるのね。でも無駄よ。地元宮城の一県議だから」

「いえ、そうではなくて。細谷先輩が大嫌いなのに、お互い、相手の親の職業まで知ってるんだなって」

「寮生活してるんだから普通でしょう。近くに遊ぶところもあまりなくて、朝から晩まで顔突き合わせてるんだから。それで、きっと社会人になってからも、くされ縁は続くんだわ」

 彼女は心底不快そうに言ったが、相手の部屋と気軽に行き来できるような、そんな関係が大人になっても継続するのだとしたら、それはそれで羨ましく思えるのは楽観的過ぎるだろうか。

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