6-1
期末試験が終わると、校内には夏休み気分が充満する。
オーマの前期は三千番台で終了となった。近年の倉女としては、低調な成績だそうだ。アクセス数も、中山での百万馬券をピークに、なだらかではあるが右肩下がりとなっている。
衿奈が高配当を的中させたことが、あのとき以外にも二度ほどあったが、どれも午前中のレースであまり注目されず、歯止めになるほどではなかった。
幸い、インターハイ予選への出場資格は確保できていて、部室でも、少しずつその話題が増えるようになっていた。
「結果論だけど、インハイにエントリーしておいて良かったかもしれないね。もしそこで上位に入れば、サイトへのアクセスにつながるだろうし」
「そうでしょう?衿奈を入部させたのも、何もかもうちの功績です。それで、部長。一つ、お願いがあるんですけど、聞いてもらえます?」
月夜が申し出たのは、大会二日目の、メインレースの担当だった。
「お前、よくそんなの、自分から買って出れるな。オーマでの成績はあたいと大して変わらないだろうに」
月夜は相変わらずの前向きさだったが、細谷は知り合いの厩舎関係者からの情報が、この二ヶ月ほど、頼りになっていないようで、いつもの元気がない。
「うちがこの部に入ったレゾンデートルと言って過言やないですもん。もちろん、部長の決定には従いますけど、一応手を挙げておこうかなって」
インターハイは、三つの競馬場で二日間にわたって行われる。
現地の12レース、二日合計で24レースが予想の対象だ。
参加人数は三人以上、六人以下。各校、10万点を初期資金として与えられ、出場者は、一日当たり、一人、最低1レース、最大で2レースを予想、模擬投票する。配当から掛け金を引いた儲けがポイントとして加算され、各会場、合計点の上位二校の計六校が秋の天皇賞の週に、東京で決勝を戦うことになる。
賭けられる金額の上限は1レースあたり1万円まで。配当の上限は300倍。ただし、日曜日のメインレースだけは、それらの制約が倍になる。もっとも、土日で一番目玉のレースだから、結果が高い配当になるかといえば、それはまるで別問題だ。
「普通、そこは各校のエースが担当するんだぞ。うちで一番的中率が高いのはお嬢だ。関西弁の親父の裏情報が、大事な場面で効いてくるとは限らんだろ」
「そこだけは、うちの実力で勝負したいんです」
「お前の実力って、ただの直感じゃねえか」
「そやから、永遠のビギナーズラック、ですって」
大会中の雰囲気は誰も知らないらしいが、どんなときも前向きな人間が一人いることは、チームとしての強みになるのだと思う。
「戦法というか、戦略のようなものはあるんですか?」
「セオリー通りになるけど、土曜日は少し攻めて、その結果を受けて、日曜日は判断するって感じになると思う」
攻めるとは、実力の抜けた馬のいない、つまりは予想が難解なレースに、多めの金額を使うということだ。的中確率は下がるが、配当は高くなる。土曜日のうちに他校と差をつけることができれば、日曜日は金額を控え目にするという方針だろう。
「具体的な戦術という意味では、お賽銭くらいかな」
「お賽銭、ですか」
「1番人気の複勝に、最低金額の100円だけ賭ける、実質的にパスのような手法のことだよ」
担当に割り振られたレースに、どうしても自信が持てないときや、逆に十分リードしている状態のとき、お賽銭を選択することで、余計な失点を避けながら、状況を進めるのだそうだ。
「なるほどですね。ちなみに、担当を決めるだけでも、すごく悩みそうに思えるんですけど」
「そうでもないよ。衿奈くんは午前中の人の少ない時間で決まりだし、麻里くんも同じく、馬を直接観察して決めるから、情報の少ないレースに適している。深紗の彼氏の厩舎は把握してるから、あとは赤坂くん――」
「ちょっと待って下さいっ」
聞こえた単語に、思わず椅子を倒して立ち上がった。北原が驚いた表情に変わる。
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
「どうした、じゃないですっ。今、彼氏って、そう言いませんでした?それってまさか、細谷先輩のって意味じゃないですよねっ?」
「おい、生意気。お前、何が言いたい」
不良が目を細めたが、今は威嚇に怯えている場合ではない。
「いや、だって――」
続けて「あり得ないです」と言うつもりだったが、死ぬ気で飲み込んだ。だが、相手には伝わってしまったようだ。
「あたいだって、これでも女子高生だ。普段、馬しか相手にしてない男の気を引くくらい、造作もない」
ほとんど反射で、顔が中野に向く。彼女は、冷静を装ってはいたが、唇から血が流れていた。
団体戦とはいえ予想は個人で行う。仲の悪さは、さほど影響しないだろうが――細谷たち三年にとっては、最初で最後の大会だ。結果がどうであれ、チーム全体で喜びも落胆も分かち合うというのが、高校生のあるべき姿に違いない。
二人の関係をどうにか好転させたいという思いはあったが――これまで友達付き合いがほとんどなかった人間に、上級生の関係を修復するすべなど思いつくはずもなかった。
「ともあれ、インハイへの参加は赤坂くんの強い意向もあったし、日曜のメインは任せることにするよ」
「やったっ」
まるで勝利が決まったかのように、月夜が飛び跳ねた。
「ちなみに、甲子園みたいな強豪校とかってあったりするんですか?」
「兵庫の宝塚南学園あたりがそうだと思うよ。毎年、コンスタントに上位に入賞している。競馬予想に必要な知識を体系立てて、相伝しているんだろうね。あとは、昨年の優勝校である千葉の習志野工業高校。主要なメンバーは卒業したけど、今の三年の二人は当時のメンバーだったはずだ。ただ、それよりも今年は――」
一呼吸置いた北原の言葉を継いだのは細谷だった。
「北海道の新千歳商業高校だろうな、やっぱり」
「去年の優勝校よりも上ってことですか?逆に、どうしてそんなこと、わかるんです?」
「オーマに個人で参加していて、前期300番台だったやつがいるんだよ。チーム戦だし、一人の予想回数は土日で最大四回しかないとはいえ、注目株であることは違いないだろうさ」
「高校生で300番はすごいですね。いったい、どんな予想法なんでしょうか」
「スピード指数だ。自分のサイトで公開していて、その筋じゃ有名人だ。一レース、五百円とか取ってやがるからな」
「指数というより、あれはAIだよ。ボクも何度か参考にしたことあるけど、頭数とか距離とかの条件に応じて、過去の戦績評価が変化するんだ。噂では、小学生の頃には、すでに天才プログラマーだとか、神童って呼ばれてたらしい」
「すげえよなあ。仮に利用者が百人として、特別レースだけ買うとしても、三会場なら土日で百万円近く。一年五十週だとして、五千万円だ。実際にはその何倍もあるんだろうよ」
高校生がそんな大金を稼いで、いったい何に使うのか、普段の生活に当てはめてみたが、まるで想像できない。
黙った衿奈を見て、不安に感じているとでも思ったのか、月夜が背中から抱きついてきた。
「大丈夫やって。その気になったら衿奈も同じくらい、稼げるから」
「そんなにもらっても使い切れないよ。わたしは、みんなと普通の高校生活が送れるだけで十分幸せだから」
それが、恥ずかしい部類のセリフだったと知ったのは、体にまとわりついている腕の力がぎゅっと強くなり、周りの部員たちが突然所在なさげな態度を取り始めたあとだ。




