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3-6

 昼休みは、混雑するレストラン街の中、余裕で座れる和食系の高級店に連れられた。

「好きな物、頼んでいいから。って言っても、経費なんだけどね」

 席に着いたあと、北原は、携帯を忙しく操作していたが、どうやら卒業生たちから祝いのメッセージが届いているらしい。

「大型新人が入ったって、とりあえず今は、それだけ答えておくよ」

 その隣では、細谷が、山椒が添えられた上品な豆腐料理を食べながら、コーラを飲んでいた。

「何見てんだよ」

「いえ、別に」

 繊細さを求めてはいけない。裏表もないのだ。そこは美点だと考えよう。

 食事が終わりかけた頃、すでに馬券が買える年齢のOGから、他に情報はないのか、という問い合わせが入った。

「渡瀬くん、どうだろうか」

「そう、ですね。試すくらいなら」

 三年から期待の目を向けられ、断れるはずもない。

 料理の最後に出されたエスプレッソなる少量のコーヒーの苦味を口に残したまま、三度、パドックに立つ。

 午後、最初のレース。朝とは比較にならないほど、周辺は混雑していた。楕円形のどの位置であっても、人と体が触れ合うほどだ。

 試しに声をかけようとしたが、相手に届くかどうかの前段階として、人の目が気になり、衿奈の側が集中することができない。

 このあと、観客は増える一方ということで、相談の結果、帰ることになった。

「まあ、人が少ないときだけでも十分、役には立つけどな。朝のレースは荒れることが多いんだ」

 人の流れに逆らい、駅まで並んで歩く中、来たときとは別人のように友好的になっていた細谷の前に、月夜は一歩進み出た。

「ところで。約束、覚えてはりますよね。インターハイに出場してもらうことと――」

「うるせえな、わかってるよ。だけど、お前は何もしてないだろうが」

「衿奈をスカウトしたんは、うちですけど?」

「ふん。スカウトより、先輩のほうが立場は上だ。こいつはあたいの一番弟子だ」

 そう言って、衿奈の肩を引き寄せた。

 理由はともかく、自分が取り合いになっている状況に、悪い気はしない。

 月夜は、一瞬だけ不満そうな表情を見せたあと、二人の間に強引にその体を割り込ませた。

「衿奈の一番はうちです。ほんまやったら、話をするのにもうちを通してもらいたいくらいなんですから」

「関西弁は大阪に帰ってもらっても構わないんだぞ。生意気は置いてってもらうけどな」

「親が大馬主(おおうまぬし)ですし、活躍はこれからですよ」

「大株主みたいに言うな。そんな単語ねえよ」

 不良を相手に一歩も引かないばかりか、裕福な家庭を隠そうともしない態度はさすがというべきか。

 だが、不思議と嫉妬心は起きなかった。逆に、曇りのない鏡を前に、衿奈自身の心が浄化される気がするくらいだ。

 ただ一点、金銭感覚だけは、慣れる気がしなかった。

 帰りの電車、三人は大宮駅から新幹線に乗ることを迷わず選んだ。

 持ち合わせがないことを伝えなければとあせったが、北原は四人分の切符を手に戻ってきた。

 わずか三十分の距離。衿奈の感性ではあり得ない選択だったが、細谷も月夜も、まるで疑問に思っている様子がない。

 二人席を向かい合わせに座り、思わず背筋が伸びる。

「あの、新幹線代は経費になるんですか?」

「そうだよ。競馬場に行くことは、活動の一環だからね。そんな頻繁にはないけど――昨年は二年が一人しかいなかったから、繰越しも多少はあるんだ。行きの分も後日、精算してくれるかな」

 おそらくは、基本的な割り当てだけでも、それなりなのだろう。そこに、広告収入まで加味されるのであれば、使える金額はかなりの額になるのではないか。

「ちなみに、部費で授業料払ったりとか、さすがにできないんですよね」

 金に目がくらんだわけではなかったが、家族のことが頭に浮かび、気づいたときには口が動いていた。

 失敗だったと思ったのは、細谷が殺し屋のような顔をして、衿奈をにらんだときだ。

「何だよ、それ。誰が言ってた?」

 声を低くした彼女を手で制して、真剣な表情の北原が先を続けた。

「それは噂にすぎないよ。さすがにそんな優遇はされない。他の生徒に示しがつかないよ」

 優しい口調ではあったが、咎められたように感じた。

 トンネルに入ったわけでもないのに、空気が張り詰める。

 せっかくここまで、予想も人間関係も順調だったというのに。

 不用意な発言を激しく悔いた。

 今のやり取りをなかったことにしようと、次の話題を探して頭を猛回転させていたとき、隣の月夜が腕をぎゅっと掴んできた。

「衿奈のこと、SNSに出てるで」

「えっ。わたしが?いったい、何てっ?!」

「中山競馬場で馬に話しかける高校生らしき女子発見。惚れた。だって」

 ああ、やはり目立つ行動だったのか。

 恥ずかしさで顔が熱くなる。ただ、そんな衿奈を見て、北原の表情が緩んだのがわかった。

「誰も、まさか馬と意思疎通してるだなんて思ってないよ。知ってるボクたちだって、まだ信じられないんだから」

「まったくだ。自意識過剰なんだよ。世の中にはお前以上に可愛いやつなんて、五万といるんだからな」

「それはつまり、衿奈のこと、少しは可愛いって思ってるんですねえ」

 月夜の指摘に、細谷は顔を赤くした。

「それで、と。深紗先輩の髪型、どうしましょう。和香先輩、何かリクエストありますか?」

「もうどうでもいいだろ。東京までわざわざ行く必要なんてないんだ」

「赤坂くんのセンスに任せるけど、そうだな、できればあと少し、あかぬけたらうれしいかな」

 いつの間にか、場の雰囲気はすっかり和み、衿奈の失言はなかったことになっていた。

 それが月夜の計算だったのかどうか。

 部活で新幹線を利用して小旅行をするなど、彼女に誘われなければ、間違いなく経験できていなかった。

 競馬にはあまり興味が持てる気はしないし、期待していた金銭的な利点もどうやらなさそうだ。

 ただ、格上と思える月夜が、友達と呼んで差し支えない距離にいてくれることは、素直にうれしかったし、その彼女が真剣に達成を願う目標に、衿奈自身の小さな特技が役立つというなら、それはこの部に居続けることの理由になるのだと思う。

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