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2-4

 倉女の寮は、大学の敷地を抜けた先、道路を隔てた先にあった。

 顔の高さほどの生け垣に囲まれた敷地。校舎と似た塗装の建物が二つ並ぶ、小さな団地のようだ。

「ここって、何人くらい住んでるの?」

「隣の大きいほうは大学寮で、うちもよう知らん。高校のは百室くらいやったと思う」

 天井が少し低めの屋内は、古いが、手入れは行き届いていて、歴代の寮生が大切に扱ってきたことを感じさせた。

 食堂やラウンジを見て回ったあと、彼女の自室へと案内された。

 途中、江木と書かれた部屋の前を通るとき、足音を忍ばせたように思えたのは気のせいだろうか。

 中は十畳ほどの広さで、ベッドも机も本棚も作り付けらしく、飾り気のないデザインだ。

「一人部屋なんだね。いいなあ」

 荷物はほとんど片付いていて、部屋の端にダンボールが二つ、積んであるだけだ。

 窓際に立つと、たった今、通ってきた庭が見通せた。

 彼女に促され、ベッドを背もたれに、真新しいクッションに座ると、赤坂はすぐ隣に腰を下ろし、携帯を取り出した。

「見て。シドニーに行ったときの写真」

 これ以上、劣等感を刺激されたくなかったが、さすがに拒否できない。

 美しい街並みでも映っているのかと予想していたが、そこにあったのは、大きなスタジアムのようで、さらに、群衆が取り囲むフィールドの中に見えたのは、数頭の馬だった。

 そういえば、さっき、競馬場と、そう言っていた気がする。

 いつの間にか、彼女の手の動きは止まっていて、じっと衿奈を見つめていた。

「えーと。何?」

「競馬、見たことある?」

「まさか。未成年はしちゃいけないよね。わたし、違法なことにはできるだけ関わりたくないんだ」

「禁止されてるんは、勝馬投票券を買うことだけ。その証拠に、競馬場には、子供向けの遊具とかが置いてあるし、昼休みにヒーローショーをやってたりする」

 それは知らなかった。

 だが――。

 人生で一度きりの高校の入学式を休み、オーストラリアに渡ってまで、見るほどのものなのだろうか。

 日本でだって、年中開催されている気がする。

 口に出してもいなかったのに、相手はそれに答えを寄こしてきた。

「パパの馬が向こうのG1に出走してな。うちが名付け親やし、それは行くやろ」

 一言一句、単語は聞こえたというのに、今話された内容の半分が理解できなかった。唯一、判明したのは、彼女が父親のことをパパと呼んでいるという事実だ。

 衿奈の反応が鈍かったからだろうか、赤坂はどこか寂しそうに笑った。

「さっきの質問の一つの、ヒントになるはずなんやけどなあ」

 そう言われて、大急ぎで会話をさかのぼる。

 それはつまり――。

「チャウチャウだっ。あれって、あなたが名前を考えたってこと?」

 彼女は「正解や」と、指をパチンと鳴らした。

「初めて付けさせてもらったんがあの子やった。そやけど、トレーニング中に骨折してしもうてな。デビューできんままに引退して。ほんまやったら、処分されるはずやったんやけど、泣いて頼んで、あの牧場に置いてもらうことになったんや」

 なるほど、それでわざわざ関西から出向いて来たのか。

 センスの感じられない名前を含め、謎のいくつかが解消され、胸がすっとした。

「馬のオーナーって、芸能人とかがよくなってるよね。あなたのお父さんも、有名な人ってこと?」

「そう言うんやない。ただ金持ちなだけで」

 普通なら嫌味になりそうな発言も、その声調に自慢しようという雰囲気は皆無で、実際、自然に受け入れてしまう。

「それが、衿奈の質問の答えの一つでもある」

 まるで昔からの知り合いのように、彼女は自然に名前を呼んだ。

 そのことに心打たれ、だが、それを悟られないよう、平静を装うことに、しばらくの時間を要した。

「ごめん。どの質問?」

「受験のことや」

 どうやら通常の成績による推薦とは別に、特別な親を持つ子供を優先して選別する枠があるらしい。そういえば、願書記入の際、母が「こんなことまで書くのね」と、首を傾げなら、年収やら会社の本社所在地を、父に確認していたっけ。

「うちの場合は、多額の寄付。ちなみに友利愛も」

 そう言って、指を隣室のほうへと向けた。

 ほとんど裏口入学と同じに思えたが、本人にはまるで悪びれる雰囲気がない。

「あの子とは、元は親同士が知り合いやったんや」

 競走馬を購入する際には、年収を含めていくつかの審査項目があって、誰でも簡単に所有者になれるわけではないらしい。それゆえ、選ばれた者は、ある種の連帯意識が生まれることがあるのだそうだ。

 赤坂と江木の父がまさにそんな関係で、娘である二人は、学校こそ違ったが、小学生の頃からの知り合いだという。

「そうなんだ。ちなみに、赤坂さんの席って、どの辺?」

「席?窓側の一番うしろやけど?」

「へ、へえ……」

「先生から遠いんはええけど、隣が友利愛やしなあ――。それでと、そろそろ本題に入りたいんやけど」

 話題に優先順位があったことに軽く驚いた。

 いったい何が話されるのか、素直に期待して待っていたが、会話が続く気配がない。

 彼女は入り口の扉を、まるで透視でもするかのように、身動き一つせずに見つめていたが、やがて、慌てたように立ち上がった。

「あかん。友利愛が来る気がする。ごめんやけど、今日はもう帰ってくれへん?」

 そう言うと、衿奈の手を取り、入り口の扉まで移動して、そっと廊下を覗いた。

「続きは明日の放課後に。あと、部活は絶対、どこにも入らんといてな」

 まだ話し足りないと感じていたが、背中を押され、仕方なく寮をあとにするしかなかった。

 通りに出る前に、もう一度振り返ると、少し前までいた場所に、江木の姿があり、部屋の主が何やら言い訳しているように見えた。

 なぜ追い払われたのかは不明だが――とりあえず、昨年、彼女に会ったとき以来の、いくつかの疑問が解消した。

 残る最大の謎は、やはり部活か。

 どこかに入る予定らしく、そして、最後の言葉を普通に読み解けば、衿奈にも同調を求めている、ということだろう。

 いったいどこだ。

 運動部か文化部すら、推測できない。そもそも、牧場で数分話しただけの他人を誘う理由はなんなのだ。

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