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振り返るに値する出来事が何もなかった中学時代も、残り半年となった秋のシルバーウイーク。
楽しかったはずの家族旅行が、義務感に侵食され出したのはいつからだろう。
クラスではあまり目立たない、同類だと思っていた子たちが、海外に行くというだけで、放課後に主役を演じていた数日前を思い出した。
今、窓の外に見えるのは、関越自動車道の無機質な防音壁だ。
あまり快適とは言えない、軽のワンボックスの後部座席。父が購入したのは確か七年前、弟が生まれた年だった。あの頃、こんなに狭くは感じていなかったと思う。
「久しぶりだな、伊香保のブラウン牧場。まさか衿奈が行きたがってるなんて思ってなかったよ。来年は高校生なのにな」
バックミラー越しに目が合った父は、うれしそうにした。
来年高校生だからこそ、家族にも気を使える。それだけのことだ。
確かに、普段の生活圏とは違い、空が広く、開放感はある。草と動物たちの匂いが入り混じった空間は、ただいるだけで自然と一体化するような、そんな気になれる。そのことを否定はしない。実際、小学生の頃は、まさに今、隣ではしゃぐ弟のように、ただの高速道路が、おとぎの国へと続く秘密の通路のように感じていた。
それなのに――人は純真さをどこに置き忘れてしまうのか。
目的地の案内板が見えたときには、何時に帰れるのか、頭の中にはそれしかなかった。
「あんたの無邪気さがうらやましいよ」
近所の公園の遊具で、止めなければ何時間でも遊び続ける小学生相手に、思わず愚痴をこぼしてしまったが、ラジオからの音楽にかき消され、幸い、前の席には届かなかったようだ。
観光バスが小さく見えるほどの広大な駐車場。牧場の入り口に向かい、弟が全力で駆け出して行く。
「衿ちゃん、お母さんたちと一緒でなくていいわよ。何かあったら携帯に連絡するから」
「わかった。ありがとう」
本心から望んでこの場にいるわけではないことを、さすがに母には見抜かれているらしい。慌てて笑顔を作った。
場内は、良くも悪くもこれまで訪れたときと変わらぬ景色だ。
ヤギに手ずから野菜を食べさせたり、牧羊犬に追われる羊たちの規律に、小学生が歓声を上げたり。
衿奈にもそんな時代があったのだと、老成した心境になっているそばで、周囲の大人たちが、連れ立つ子供たちと同じように楽しんでいた。
哺乳類の瞳は、見ているだけで心が浄化されるのだと、何かで読んだ気がする。なるほど、彼らにこそ、こういう環境が必要なのかもしれない。
すでに何度も訪れたことのある情景で、改めて観察したい動物が増えているわけでもなく、親たちとは違う方向に歩き出してしばらく、馬が放たれている区画にたどり着いた。
隣接した円形の馬場では、ポニーの体験乗馬をしている。初めて乗ったとき、扱いが破格に上手いと係りの人におだてられ、五周もしてしまったことを思い出した。
ぶらぶらと、あてもなく柵沿いに進んで間もなく、一頭の馬が草を食んでいるそばを通るとき、何かの違和感を覚えて足を止めた。
彼らは集団行動をする生き物だと、以前に聞いたことがあるが、残りの仲間たちは、はるか遠くだ。それだけではない。比較的年老いた馬が多い中、その馬体はかなり若く見えた。
「新入りさんかな?もしかして、あなたも一人が好きなの?」
柵に腕を置き、様子を眺めて間もなく、草地を追ってゆっくりと移動を始めた馬の、その表情にかすかな違和感。
「あれ……。もしかして、脚を怪我してる?痛いの?」
後肢に目をやったときだ。
肩に手が触れる感覚がして、思わず垂直に飛び上がってしまった。