第1話 英雄譚のプロローグ
「あなたが次の魔王です」
女神様がそう言った。すぐに夢だと分かったけど、体はピクリとも動かない。ただ、金の光の塊に圧倒されて目を見開いていた。
「その力はすでに授けました」
胸に何かが刻まれるのを感じた。力があふれてくる。
「魔王城を目指しなさい」
金色の光が遠のいていく。ああ、待ってください。俺は一体どうすれば。
目を覚ますと、俺は見慣れた天井に手を伸ばしていた。その腕をパタリとおろし、もう一度目を閉じる。夢は夢でいい。続きを見よう。俺が魔王? 魔王城を目指せ? バカげている。きっと続きで間違いだと訂正してくれる。俺は平々凡々な村人B、いやZだ。将来は何かになると宣言しながら生きてきた。例えば学者とか、伝説級の冒険者とか、騎士とか。それが突然魔王になれって? バカバカしい。俺は、もう、現実を見て生きるって決めたんだ。
「あーもー眠れねぇ!」
毛布を蹴って飛び起きる。窓の外はまだほの暗い。のぼりかけた朝日に女神様の光が重なる。分かってる。あれは夢じゃない。服の中を覗くと、黒い紋章が刻まれていた。服を脱いで背中を見ると、背中にも、腕にも、足にも。中肉中背、お手本のようなモブの体に、禍々しい刻印が。こすっても取れる様子は無い。ああ、あれは夢じゃない。
「無理無理無理無理無理」
しばらくうずくまって、伸びて、転がって、住み慣れてきた家を見渡す。木製の壁、床、屋根に沿って傾いている天井。布のかかった機織り機、クローゼット、小さなキッチン、暖炉、テーブル、来客も無いのに2つあるイス。小さな家には俺一人。よし、やっと落ち着いてきた。来客は今日、ある。手紙が届いていた。ベッドから降りてクローゼットを開ける。中には明るい色の服ばかり。黒髪の三白眼を中和するために、普段は白っぽい服を選んでいる。でも今日は、この紋章が透けないよう黒い長そでを探し出す。
「……畑、見に行こう」
ボサボサになった頭を手櫛で整えて、靴紐を結びなおして外に出る。酷い話だ。魔王とは悪の化身。倒されるべきもの。もっと人から認められるものになりたい。いや違う。何にもなりたくない。今までの行動を顧みる。何がいけなかったんだ。重ねてきた将来への宣言が、嘘が、罰を受けなければいけないほどうず高く重なっていたのか。そんなに俺は悪い嘘をついただろうか。罰なら、失った信頼と浴びた嘲笑がそうだと思っていた。とはいえ今はうまくやっている。この村の人たちとは良好な関係を築き、何者でもない村人であり続けている。
今年は不作の年だ。雨も日照りも何の問題も無い。ただ少しづつ土地が痩せて、実りが年々悪くなってきている。それに加えて、低級魔物が畑を荒らす。10年前、魔王が勇者と相打ちになった時に回復した安全は、だんだん失われつつある。
「あーあ」
乾いた土を手に乗せて、風に流して、さっきより高くなった朝日を見る。それを背景に、見慣れた影がこちらに歩いてきていた。山と畑と一本道の景色には合わない、真っ赤な髪の高長身。騎士団の高そうな衣装に身を包んだ、正真正銘の”主人公”。幼なじみのエースだ。
「ひさしぶり、ゼット」
エースは俺をまっすぐに見て言った。俺はエースの青い瞳の、その向こうの空を見ながら笑顔を作った。会いたくなかったよ、親友。
家にエースを招き入れ、余った椅子を指しながら俺も座る。
「最近どう?」
「俺は変わり無し。そっちは?」
こんな村人に最近も何も無いだろう、とは言わず、エースに話題を引き渡す。幼なじみはいかにも「充実しています」と言うように目を細めた。
「仕事と訓練に明け暮れているよ。でもみんないい人ばかりだから苦ではないかな」
こいつは王都の騎士団に所属している。物心ついた頃からの夢を貫き、努力して、叶えた。夢をコロコロ変えながら、努力もせず、落ちぶれた俺とは違う。正反対だ。
「長居はできないんだ。貰えた休暇が短くてね、この後先生にも会いに行くし……。一緒にどう?」
”先生”。俺たちは魔王軍に親を殺されたから、孤児院で育った。先生は育ての親だ。毎日変わる俺の夢を、毎回心から応援してくれた恩師だ。……会える訳がない。
「これから、どうするんだ?」
俺は思わず聞いていた。エースが首をかしげる。
「え? だから先生のところに……」
「”騎士団に入る”って夢は叶えただろ。これからどうするんだ?」
エースの口角が上がる。そう、俺にはこの笑顔が眩しすぎるんだ。
「まだ叶えてない。僕の夢は”英雄になる”だ。騎士団に入ったのは手段に過ぎない」
貴族じゃない者が騎士団に入るのが、どれだけ難しいと思ってるんだ。俺はこいつが嫌いだ。嫌いになる要素が一つも無いから嫌いだ。嫌いになったら、いよいよおしまいだから嫌いだ。
「俺、魔王になる」
グルグルと考えているうちに、そんな言葉が口をついて出ていた。
「え?」
エースが固まる。言わなければ。何度でも。次に嘘をついた時、俺はダメになってしまう。
「俺は、魔王になる」
もう一度ゆっくり言うと、エースは俺の目を見て、口を開いて、閉じて、頷いた。
「なら僕は勇者になろう」
勇者とは、魔王を倒した者を称える呼称だ。
「君を倒して勇者になる」
ずっと正反対だった。食べ物の好みも、好きなタイプも、性格も、なにもかも。幼なじみじゃなかったら、出会うことも無かっただろう。そんな俺たちは今日、夢すら正反対になった。道を違えたのは多分、俺。
この日のことは、1000年も語り継がれることになるだろう。とある英雄譚のプロローグとして。