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現象学的純文学論 3

 一つの欺瞞的な言説に、読者の自由な想像に委ねる、というものがある。そのために、描写はあえて仔細に渉らないあいまいなものに留めている、と彼等は言う。

 つまり彼等はこれがあえて抑圧され隠された描写=負性の表現として読者に受容されることを望んでいる。だが、表現の抑圧も、意識的な曖昧化も、ひとしなみにあいまいな表現として一つの文面に統合されている。意識化の抑揚など読者の到底知るところではない上、すべての受容ははじめから読者の想像の仕方に委ねられている。彼等が指定したあいまいな表現の上においてのみ、読者の想像が働らくのではなくすでにすべての上に働らき委ねられている。

 彼を以て是を惟うに、彼等はあいまいな表現の上に読者の注意を促しており、且つ、そのあいまいさが意図的なものであることを予め伝えようとしている。彼等は読者の自由な想像にこのあいまいな表現を委ねることができず、受容の仕方についてさえついには指定してきているのである。

 そもそも、負性の表現というものは、視覚的イメージを伴う表現媒体にしかありえない発想ではなかろうか? 

 言語表現においてはすべてが正性の表現になる。何もないところから言葉を介して想起が何かを立ち上げる。どれだけあいまいな表現であろうと、想起は常に、何もないところから何かを立ち上げてくるので、何かがなくなり失われたことよりも、何かがありそこにありはじめることの方に気をとられがちである。何かがないことに気づくためには、無媒介的に受容器官に流れ込んでくるものがあって、それが惰性の予測に反して急に堰き止められるとき、はじめて表現の抑圧として受容されうるのではないだろうか? 表現自体が時間を指定してきて、時間が読者の外がわを流れている限りにおいて抑圧に気づくことは可能である。が、言語表現自体は時間を指定せず、均質に統合された文面において無限に静的に横たわっている。想起がシニフィアンを触発し掘り起こすたびごとに、時間は読者の内がわに生じて流れる。謂わば、想起が任意の内的な時間を生んでいるこの状況下で、どのような時間的予測が成立つのか? 想起というそのたびにすべてを生む行ないが、どうしてその最中に、自分自身が抑圧されていることに気づくことができようか? 想起にとっては、あるか、ないかであり、あればそれがすべてなのである。

 かくして読者のために道を空けているというのは虚偽であり、彼等自身の視覚的イメージのために言語表現が道を空けているというのが実態なのである。自らの視覚的イメージが言語表現なぞによって拘束され窄められることを一番に嫌悪する彼等は、視覚的イメージが言語表現において完結せず、のびのびと押し広げられてゆく可能性を、読者の自由な想像のなかに担保しようとしているのである。言語表現を忽せにし、視覚的イメージにとっては囹圄に等しいこのところから羽搏いてゆくための自由な空を、読者の想像のなかに夢見つつ、いつかもっと具体的な形象をもってイメージが実現される日のために、読者の想像のなかにイメージを雌伏させることを彼等は企てているのである。

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