亡びの里にかしぎす
Bはいたって寛容なのだ。ではこの寛容さはいったい那辺からやってくるのだろうか。あゝ、もう人から教わることは何もないという、謙虚な諦めのはてに追いつめられた謐かな奢りから――。どう遜ってみても教える側にしか立てないことをBはよく自覚しているから、なまじっか瞠若たるべき未知のもの、未知の人の幻影を、Bは追って疲弊しそれが手に触れられない幻影にすぎないことに苛立ったりはしなかった。
つまりBは、決定的な機会を逸したまま一足飛びに教師になってしまっていた。人はその道の教師から飛ばされる唾と共にいただく叱正の熱きにより、その道の権威の疑わざるべからんことを学ぶのである。学校でまなぶことはその道のタクティクスばかりではない。権威をまなぶものだ。Bの心算では、自分はまだまだ学生だと思っていたが、学生であるBがどういう発奮でか他の学生たちを教える形におちいって、これが常態化し、Bは大へん心許ない思いをした。教師たちは? 教師たちはいったいどこで何をしているのだろう。ところが教師たちは遺影のむこうからこの時代の学生の心理ではなかなか理解しがたいようなうらさびしい末枯れた眼差を送ってくるばかりとなっている。Bはこの遺影たちが投げかけてくる眼差の意図を汲みとることに大そう苦慮した。しかし他の学生たちはすでに遺影たちの投げる眼差に射竦められなくなっていた。遺影たちの権威はすでにしてその前に学生たちをして服さしめるほどのものではなくなっているらしかった。
学生たちはことごとくこの黌堂を去ってしまった。Bだけが残された。
忘れられた先祖の土地だった。かの人たちの姿はもちろん手に触れられる形でそこに在りはしなかったが、放埓に生茂った草葉のかげのそこここには、かの人たちのありし日々を偲ぶことができた。よくしたもので、この土地ならでは跡とふ縁とてほかになければ、この土地はいよいよ特別であった。Bは先祖たちへの燃えさかる憧れをいだいてこの古えの地を訪れた……。書いていないと虚しさに襲われるのはいつものとおりだ。それも常に難しいことをしていなければBはこたえられなかった。どうしようもなく自分を惹きつけてやまなかった先祖たちの土地の、自分に対する磁力のうすらぎをBは感じた。先祖たちが綾取る奇術めいたタクティクスの難しさが、Bを惹きつけてやまないはずであった。今は日にいくたびも迷いを重ねてしまっていた。というのも、Bはタクティクスを手に入れはしたが、手に触れられるものを得はしなかったからだ。すなわち然るべき位置、人間関係をである。Bがこの土地を訪れた期待は二つあり、一つは憧れに付添われてタクティクスを手に入れることであり、もう一つは、憧れに付添われてきた同じ時代の人たちのあいだにそのタクティクスが納まるべき位置にBの身体ごとおさまってしまうことであった。Bは逡巡したが、どうせ次の道を模索するにせよ、同じことだと考え直した。Bは道というものに二つのものを見ている。道のきわまりの向うにはいつも確乎とした地位の安定性を透かし見ていることであるし――つまり相並んだ二つのものを見ているのではなく、二つのものを重ねて見ているのであるが――、まずは結論を得てからにすべきだと考えた。触れられない先祖たちが俤立つのをとおして、触れられる現実に触れるまでは待つべきだと考えた。
そこでBは同志をみつけることを露骨に目的化した。求道の人に見捨てられ忘れ去られてしまった先祖の土地には、ときどき、遠くあたらしくできたという街の殷賑が伝わってくることがあった。
明察をもち、自己のみならずこれをとりまく生活一般を裏返すこと――現代をも大過去的にえがきなおすことにたくみで、小説・批評の両面において解剖刀をふりまわし事物を切って切って切りまくりその臓器の内がわに光をあてることができるが、在野であるがために、言葉がまだ過剰に巨きくよそおわしくなくしたがってあの物見高い人々をよろこばせる俳優のポーズが混っていない人物のことを、Aは同志と呼んでいた。
自分がけんめいに携わっていることについて夸矜がもてない――これは先述のとおりだ――どころか、恥ずかしいとすら感じているAの現状は異常だった。この道の周辺にはあまたの不純なからみつく海藻のたぐいがあって、ことごとくこれを取去ることにAは躍起であったが、ものの発奮で、斯道そのものへの期待まで取去ってしまうのは、Aに対してあまりに酷であった。夸矜がもてるのは、同志を見出した時、まさにその時からだろう。しかしあくまでその時までは、触れられる現実に触れてゆかなければならないとBは考えた。遠くあたらしくできた街からもたらされる風聞は、時間が止ってしまっているこの土地にも流れるものがあることを告げ、たまにここを訪れては、半時とたたずにわかったような顔をして立去ってゆく現代人たちの顔ぶれは、太陽も月も虧けてひさしいこの土地には暦日であった。
来客にEがあった。Eは椅子の背もたれをかかえて馬のように跨り、疵だらけの白亜の壁に無造作にかけ列ねられている先祖たちの肖像画をうさんくさそうに眺めていた。
「いかなる作品といえども、今の人たちとコミュニケーションするためにあると思うんだがね。いくら先祖たちに見習っても、彼らは肖像画のむこうから君をよろこばすような言葉をかけちゃくれんのだろうに」
「さあてね。僕は別に、先祖たちをそこまで買っているわけじゃないぜ。まして会って話したいだなんて、一度も考えたことはないやね」
「ほお。それにしては、和額のどれもピカピカに磨きあげられていて埃一つないがね。ずいぶん珍重なさっているらしいが」
「権威にすぎんのだよ。乗越えられるべき権威にすぎんのだよ」
「権威がいまさら必要なのかな。言葉なんて特に時代と共に姿をかえてゆく。おそらくは身につけるものよりも疾くね。意思疎通の用に供さないものが、この速度の時代に必要なものかね。芸術だって時代と共に姿をかえてきたんだ。遠くあたらしくできたあの街で行なわれているのが今の芸術なんだよ。君、瘠せ我慢はよせやい」
「やれコミュニケーションと言ってみたり、やれ芸術と言ってみたり、なかなか君は忙しいね。作品、意思疎通、コミュニケーションまでなら君の言うことには大賛成だよ。僕にはなんの異論もないし、今だってその伝で僕は君と話してるだろ。しかし芸術はどうだろうな……すべての芸術は模倣からはじまるんだぜ」
「模倣……失礼だが、模倣なんてのはそんなに難しいことだとは思わないがね。言語芸術なんてのはなかんずく模倣が簡単な部類だとは思うがね、他の芸術に比べて」
「使われなくなった語彙を使えばいい」
「使われなくなった語彙をもちいる模倣の段階をへて、それでも必要ないと判断されたから、今のような形に言語芸術はなったんだろう」
「そう言い切ってしまえる君のその奢りが僕には可恐しいんだが」
「なに」
「君は僕のことを奢っているとよく言うけどね、奢っているのは君の方だよ。模倣というならせいぜい先祖たちと同等のタクティクスを手に入れてから今の言語芸術の在り方を云々したまえ。それに言語芸術にもちいられる言葉は、今の人とコミュニケーションするためにあるのではないよ。今の人と、生きているこの現代というものを大過去的に語り合うための場に供される言葉じゃなけりゃならんし、大過去的に語る言葉に、速度の時代がなんだっていうんだい」
「妙だね。まるで大過去的に語り合わないと、現代というバイアスを透り脱けられなくて、真実が語られないかのような言草だ」
「よくわかってるじゃないか。君の好きなその速度の時代をも、言語芸術は大過去的に語るんだ」
「へ。それで君はわれわれが丹精を抽んでて書いているようなものを『現代人文庫』なぞと呼びならわして、もうそこから学ぶことは何もないと、多寡をくくっているというわけだな。ずいぶんと奢った意識じゃないか」
「『寛容であるためには奢らなければならない』んだよ。もちろん意表に出られたときは素直に愕くさ。僕はたださしあたり仕方なく奢っているだけなんだ」
令和七年六月廿日 記