文学の里はすでに滅びて
一つのことに確実にとどめを刺したい。
文学は死んだ。私は二度と文学を標榜しない。
純文学と文学とはちがうものだと私は思っている。純文学は芸術性を訴求する力にかえる活動一般であり、訴求する力の大小が評価されればよく、それ以上に、対話が生まれる必要は必ずしもあるまい。批評家が口に糊するためにおこなう批評でなしに、厳密な意味における批評が、孑孑が、どこからともなくわくように、わく必要はない。訴求力があればそれでよいのだと思う。対蹠的に、文学はこれにくらべれば地方的かつ小規模に、野試合的におこなわれるつばぜり合いであると私は思っている。訴求力のあるなしは全然問題にならないので、孑孑がわかなければいけない。
純文学は芸術性を訴求力へと形成する。大衆小説はこれといちじるしい対照をなし、物語内部においてしか棲息できない人物造型を何代にもわたって嗣ぎ、要するにその孫引きの心易さにおいて、何代にもわたって敷衍してゆくことを宗としている。ここでも問題になるのは訴求力であるが、いやしくも、そのどちらにも属さない文学は、批評が孑孑のようにたちどころにわかざるをえないことをもって、みずからの営みを証しするのである。
海洋生物のような、陸ではたちまち凋残してしまって息も絶え絶えな人物造型を、文学や純文学といった領域に引揚げてくることはできぬ。書き手が自分の生きている現実にふれつつ、しかも、自分の人生の輪郭をはみだしてゆかなければ、他者をえがくことはかなわない。はみだすことは危険をともない、自分以外のもののえがき出し方の巧拙によって、書き手は書き手自身のいだいている人間観にまで、巧まずして読み手をさかのぼらせてしまいかねない。えがこうとするに際しても、書き手はかえって、みずからの人間観の理解の浅さに逢着する。登場する人物の心の広袤は、書き手のそれよりも枠組みが大きく、無辺であり、とらえがたいが、言語的ふるまいはこれをとらえ得ているかのような手堅い擬制を布くことができることをもって、かろうじて書き手は自分の人生をはみだしつつ他者を把捉する可能性を手にしている。ごくかぎられた狭い人間観を、えがき方を通じて、拡大しようとする努力が、いわゆる文学である。
書き手が言語的ふるまいによって相当迂遠な場所において他者を把捉しにかかるのは、言語的ふるまいじたいが擬制だからである。自分自身をえがくにしろ、書き手は実態からの、言語がそこにおいてふるまっている場所の遠さをまぬかれることはできぬ。言語的ふるまいは実態のふるまいからはかなりへだたっている。読み手から見て、言語的ふるまいが実態のふるまいと一直線にならぶことができれば、あたかも言語が実態に即しているかのようで、擬制はより手堅いものになる。これを逆から言うと、書き手の思惑など知る由もない読み手からすれば、言語的ふるまいとちょうど重複する形で、距離をおいて、やはりその背後に実態はひかえている風に見えるということである。言語的ふるまいがずれれば、みなしとして存在する実態の像も、ずれて結ばれる。言語は実態に即せず、そのはるか手前の、ちょうど実態と読み手とを一直線上に結ぶ位置にほうり投げられなければならない。この、ほうり投げるほかないところに言語の難しさはある。実態にぴたりとくっつくことができないからである。ほうり投げた位置で、書き手の思惑どおりに言語が実態を蔽いかくしているかどうかは、もう一人の読み手の批評に俟たねばならない。そこで言語のほうり投げ方についての議論が深められる。こうして、えがき方の技術は、実態を知っているか否かに係るのではなく、ほうり投げ方さえふさわしければ、実態を知っているか否かなどという問題を軽々と飛びこえられることがわかるのである。
どう見えたかの報告を受けて見せ方をあらためることのくりかえしが、文学の営みである以上、報告のないところに、文学もまた存在しない。かくして言語的ふるまいに精通してゆくことは、間接的にゆるやかに、人間観をあらためてゆくことである。
ところが、私はかかる報告が孑孑のようにわくものだとばかり思ってきたのに、創作者は元来おのが妄想の微温湯にどっぷりつかっているだけのただの怠け者なので、わくものもわかないのである。報告する労はとらないが、報告する労はとられたがる。鏡を欲しているが、自分が鏡になろうとはしない。思念に形相を与えようとするときに一切疑義を挟まずに現在化をほしいままにするのが彼らの身上である。疑義を挟むと、現在化が滞りがちになるので、彼らは不機嫌になってしまう。
言葉‐即‐現出をたやすく信じている彼らは、既存の表現を使いまわして倦くことを知らぬ。既存の表現にたよりきっていながら、彼らはなにか新しいものを生み出したかのように大そう得意げだが、実際はコピーを生み出しているにすぎぬ。ところで、文学の本姿においては、既存の表現によって便宜をはかられた現出の積み累なりに集中するのではなく、言葉から現出にいたるまでの距離に集中しなければならない。文学は言葉‐即‐現出に対するあくなき問いかけである。言葉から現出にいたるまでの――時間的に無いに等しい――この見えざる距たりを、いかに自覚的に読み手に渡らしめるのかという学問が、文学の学たるゆえんである。文学は現象学的関心に基づいている。
なぜ言葉が必要なのか?
――この問いかけの重要性は計り知れない。端的に言って、見ることはふれることにはならず、また、肉的にふれることをもってしても、まだふれられていない部分が頑としてこの世にはのこされているからで、言葉だけが、この隠微な、内的なものにふれることができるからなのである。
形態には説得力がある。だから私は見なくてはならないし、見ずにはおれない。けれども、形態の完成された美が汝の心を余すところなく揺さぶりつくし、剰え、それ以上何もいらない恍惚の境へと汝をいざなうことができるか、というと、そうではあるまい。形態の完成された美は、たとい、汝自身の体に一致するところの美であろうとも、心に直接ふれてくることはできず、この距離を渡りきれずに、あくまでも目を愉しませるにとどまる。心に直接ふれてくるにはまだ距離がある。それが、みずからの外部に屹立するにすぎない美ともなれば、なおさらである。心に直接ふれてくる美、この、形態の与らぬところに存在する美に唯一ふれられるのは、言葉である。研ぎ澄まされた言葉の指さきにはしる神経は、読み手のそれと根を同じうして、内的なものに覿面にふれうる神秘なる力がこもっているのだ。言葉は内的な手術刀である。往々にして痛みを伴う。
私的なことを書くときの精度は、創作世界の説得性に多分に報いるものである。私事においてさえ、字面を瞞着するわるい習癖は、どうしても、創作世界をもどこか修飾過多で、稼働性にとぼしく、光も風も匂いもなく、文字は文字として羽搏かず、ひたすら現勢的なものの不足が原因の酸欠状態に陥らせる。私のそれは、いくら厳格主義的にめかしこんでも、自分の云ったことが往々にして予言めいた力を後昆にふるうようにできている。それが自分の言語の精度であると思う。
私は小説家のことを、人生にかんする明察に富み、それを自身の人格形成に役立てることに長けている一団、と規定していた。こういう見方を私はいまだに覆せていない。書き手は自分の人生をはみ出しつつ、他者をえがくこと――もといそのえがき方の発達を通じて、自分の人間観を拡大してゆくからである。
また、Aは職場で困難には出会わなかったと書いた。Aの誇りを刺戟しなかったという点においては、現在の創作界隈の情勢においても、Aは困難に出会うことができなかったのである。
最後に、私は文学を否定し、そんなものは私の人生の何の役にも立たないからだ、と書いた。私はその反証の心算で――つまり、名ばかりの文学が、ほんとうにその営みを全うしうるかを試す心算で――さきごろ、かなりまずい出来の文章の、数に物を言わせて、二人の創作者を挑発した。だのに、そよとの風も吹かなかった(!)今こそおのれ一疋を執持して切り込んでゆくべきところで、どこ吹く風であった。やはり文学は役に立たなかった。切り込んでゆく役に文学は立たなかった。ここで直截に切り込んでこられなくて、何が文学なのだろうか、と思う。
だがそれも、よくよく思えば、私たちが互いにずれていたからにすぎない。彼らは純文学的な動機から文学を標榜し、私は文学的な動機から文学を標榜していたからにすぎない。私は彼らのことを、職場にいる人間と同じだと考えるほうが便利であることに気がついた。
理解されたいと念うことと、理解されるように変質することとはちがう。Sはもうだいぶ印象がちがう。Sは当初、枉げられない節をもって登場したかのような印象を、その硬さから受けたが、さて、実質的に書き送っているコミュニティが定まってくると、そのコミュニティの理解に訴えるようなことしか書かなくなった。枉げられない節など、はじめからなかったことがわかった。
私の言葉は、背後から人を刺し、あるいは切りつける凶器のようだとSは言った。切ったり、刺したりできなければ仕方がないと考えるのは、私である。面的に撫でさすったり、殴打したりする言葉なら、わざわざわれわれの発明に待つ必要はない。暴言と慰撫の言葉なら巷間に事欠かない。
私の不寛容は、ただに性、狷介のしからしむるところだったろうか? ならまだ救いがあったろう。早く出鼻をくじいてくれればよいのだ。しかし実際は、言語の上昇か、おのれの下降か、という点で、彼らとは相容れないだけであった。
ある日、Kが言った。自分には本職があり、みずからの信念を実践する場がある。人を感動させられればこれに越したことはないが、自分の活動はあくまで余暇の範疇にとどまる、と。私は今ならKの言うことを尊重するのみならず、全面的に共感することもやぶさかではない。
Kが職業作家になることをあえて引き合いに出したのは、創作活動と社会的体面とが連動していなければならないという考えがあるからだろう。社会にコミットしている容態こそ、純文学的である。私は私の誠実さなど、この社会のどこにも露わにしようがないと匆々に悟った気でいたが、なるほど、社会的体面に誠実さが露出し、二重生活をまぬかれ、自己分裂からおのれを救うことは何事にも代えがたい。しかし私の頭のなかでは、創作はあの世に属するものなので――かしこに於いて彼らはふるまい、われわれは此岸にあり、言葉がこのあわいを舒やかに流れる河面にほうり投げられるから――此岸に属するものを一切引きうけないところにこそ、文学は可能だと考えられている。
この世ではもう純文学的な動機によってしか、これに着手できないらしい。
文学を標榜していた私は、やはり、対話をのぞんでいた。純文学的な動機によっては、文学は機能しない。そこで独りで文学をする必要が生じ、自家発動の体系を模索した。それも、いよいよ限界だ。
私は十年来の書斎的なものの偏重をあらため、書斎を打ち壊す。
令和六年九月三日 記